Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

刈り初めの儀

2023-12-25 23:59:22 | つぶやき

 ある事業の起工式が行われて先立って安全祈願祭が行われた。いわゆる地鎮祭である。通常規模がどの程度を「通常」と言ってよいかは難しいが、多くの人に注目されているような事業の場合、こうした起工式が今もって行われることは多い。おととい行われた同じような起工式では、ここでいう安全祈願祭は実施されなかったが、形式的に「鍬入れ」が行われて、国会議員やお役所の偉い方々が盛り立てられた砂に鍬を入れる「もどき」を行った。大事業だけに、勢ぞろいした「偉い」方たちの数も多く、見事な「鍬入れ」でもあった。繰り返すが、とはいえ安全祈願祭というスタイルではなかった。

 今日行われた起工式では、従来方式で安全祈願祭が行われ、地元の神社の神職によって神事が行われた。仕事がらこうした起工式に立ち会うことが、今までにも何度かあったし、少なくなったとはいえ、時おりこういう場面に出くわす。参加するのはこれが「最後だろう」と思う安全祈願祭で、いわゆる「刈り初めの儀」というものを担った。ずいぶん昔にも同じ役を担った覚えがあるが、どこの現場であったかは記憶がない。それほど昔に「なぜわたしが」担ったのか、そのあたりも記憶にない。刈り初めの儀は整地するという意味らしく、砂盛された上に建てられた萱の葉を刈る役である。地鎮祭のクライマックスとも言える所作の中でも、最も最初に担うため、「人のするところを見て真似て」というわけにはいかない。ということで、事前にどうやってやるか、やり方を教えてもらってであったが、かつての担った時のやり方とそう変わるものでもなかったので、なんとなく教わってなんとか務めることができた。刈り初めの儀は、設計会社が担うものと言われていて、このあとに鍬入れ(施行主)、鋤入れ(施行者)と続く。

 かつては砂盛もそれほどきれいな形に成形されなかったものだが、今の砂盛は見るからに不自然なほどに奇麗に盛られていて、専門の業者が作り上げているのだろう。まさに「もどき」、というか形式的な所作であり、先日の「鍬入れ」は「やったぞ」というアピール、ようは写真用の催しであった。だいぶこういう儀式は略されるようになったが、注目度の高い事業では、いまもってこうした催しが行われることも事実。そして起工式が行われて、いよいよ事業は本格化するというわけである。


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