Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

生業

2005-07-07 21:27:05 | 民俗学
 生業は、『広辞苑』によると「[1]五穀がなるように努めるわざ。豊作。生産の業また,その作物をいい,「崇神紀」には〈農(なりわい)は天下の大きなる本なり〉とあり,万葉集18巻には〈作りたるそのなりわいを〉」とある。また、「[2]世わたりの仕事,すぎわい,よすぎ。なり。家業をあらわす」とある。農耕社会であった時代を考えれば、おおよそ[1]に示すような、生産の業=生業というものであったと思う。しかし、現代はどうだろう。第一次産業は減少し、いわゆる生産を業としていた人々の生業は、姿を潜めたといってよい。人々が生産(モノを作る)することにより、喜びを味わったのは過去のこととなってしまった。多くの人々は、生産過程の一コマを担ったり、また、その一コマのためにあまりの時間をかけてモノを成し遂げる部材に過ぎなくなり、自分は何をしているか、よくわからないままに生きるための金銭を受け取っているように思う。
 そんな現代の生業の姿から、後の世代を担う子どもたちが、生産する、モノを作るという現実を、体感することができるだろうか。口でモノを作れば金がもらえる。そんな流れが、地方、あるいは農村社会の主流になりつつある。そんな世の中にあって、例えば子どもたちに過去の生活を体感させたり、過去を振りかえさせる前に、自らの振る舞いを見直すのが先ではないか。
コメント    この記事についてブログを書く
« “いいこと” | トップ | 除草と暮らし »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事