Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

本当に効果があるのか

2009-01-28 12:25:22 | つぶやき
 あるブログで経済対策といいながら公共事業にその金が向けられているといって批判していた。理解しなくてはならないのは、公共事業とはいえ、もともと必要とされて計画されているものへの配分となる。ということは前不倒しと言った方が正しい。ちまたではそうはいっても懐は変わりないわけだから、前倒ししたあとに結局低迷期がやってくる。前倒しがいつまでも続くという予算配置ではないようだ。21年度に予定していたものを早く発注して金を使わせて活性化させるのだろうが、簡単に言えば公共事業のようなものは、こうした緊急時に対応し易いということがある。こまごましたものに金を配分するよりは実効性が高いということになる。もちろん地方に配分されるものすべてがそういう公共事業に回るわけではないが、ようは対応し易いということがその根本にある。

 定額給付金に対して批判があって、ちまたでは廃案にしろという言葉も大きくなっていたがどうも給付されるようだ。経済対策を辞めるというのならともかくとして、例えば配分している経済対策費も使う側がとまどっている部分があるのではないだろうか。だから手っ取り早く公共事業に使う。県内の様子を見ていても、前倒しに対応できる市町村は比較的常に公共事業をたくさんやっている景気の良さそうなところである。ということはどういうことかというと、使おうと思ってもなかなか使えないというところと格差が現れるということである。こうした事情を見ていると思うのは、早急に支給さえできたならば、こうした経済対策よりも定額給付金の効果は早く、また大きかったということである。それがなかなかできないというところに行政のシステムがあるから仕方ないわけで、それが回りまわって使いやすい公共事業というところに落ち着くことになるわけである。

 わが社でもそうした色めきたつ地域に仕事が出たといって騒いでいる。またまたそうした色めきたった地域のために、悲惨な地域は放っておかれ、格差が開くことになる。地方が経済動向に煽られるのはあまり良いものではない。勝たなくては飯が食えないというのなら仕方がないことだが、こうした矛盾をどうしても起こさせてしまう、行政の対応のあり方にも問題があるのだはないだろうか。

 さて、先日もあるお客さんのところで話をしていて、「昨年まで担当してもらっていたAさんは言うところでははっきりものを言ってくれて喧嘩になりそうなくらいだったが、今度のBさんは人がいいのか相手の言うことばかり聞いているからいつまでたっても結論に至らず相手の言うがままだ」と愚痴をこぼされた。人はそれぞれで性格があるということはお客さんも十分解っている。とはいえそうはいっても相手の言うなりにどんどんなっていく姿を見ていて、仕事を預けているとはいえ、「いいかげんにしろ」と言いたくなっている。相手の言うことに頭を下げて聞くことは、仕事に対して真面目な対応と思いがちだが、時と場合によってである。無駄な会議や打ち合わせをいくらやっていても、とくに相手が役所の人間ともなると、いいかげんにそんな暇な奴にはつきあっていられない、と思うことはよくある。それでも言うことを聞かないと印鑑を押さないというなら仕方ないが、それでも言うべきことを言っての結果である。どうもそのあたりのやり取りがへたくそな人が多くなって、なかなか結論が出ないという案件が多くなった。自ら難しい局面に導いてしまってはお話にならないわけである。国会も、そして世の中も、そんな具合に堂々巡りをしている時代になった。

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