豊丘村南部の小さな谷の景色である。谷底の農地は当然のように荒れている。写真の場所は樹木が生い茂っていないだけ、まだましな景色である。手前の斜面には植えられた木がたくさん並んでいた。ナンテンである。晩秋から冬の間赤い実をつけるナンテンは、ご存知のとおり「難を転ずる」といって正月の生花にも利用される。この地域にはナンテンを生産する農家も多い。とはいえナンテンが植えられている空間を目にすることはそう多くない。たとえば転作田に一面植えられているというような光景はまずない。多くは傾斜地の空いた空間が利用されることが多い。写真の法面は、道路下の法面で、車を停めてのぞいてみたら気がついた。
『豊丘風土記』18号(平成17年 豊丘史学会)に武田良實さんが「南天よもやまばなし」と題して文を寄せている。その中でナンテンをこの地域へ普及された武田英實さんが自らの著作に載せられた文を紹介している。
昭和三十年、村の合併前旧村で決まっていた芦部川林道の第一期工事として堀越分校より正の平迄七○○米を施行した。それ迄は分校より上村北側の山林を葭ケ沢へ廻り溝田洞へ曲がり込んで家の裏側を通っての路であった。数多くの難事はあったが一気に開通した。屋敷下の畑も新道のため細長く帯状に残り地ができた。ここに始めて南天苗五十本を苗木屋から一本八十円で購入して植えた。(後略)
加えて文末に「中央道の開通も目前に特産地として増殖されることを臨みたい」と記している。道路の改修をしたところ細長く残地ができた。その残地にナンテンを植えたのが始まりだという。まさにこの光景は、今も豊丘村の中でナンテンの植えられている代表的光景とも言える。ようは残地のような他の物は何も植えられない、というようなところにナンテンが植えられているのである。もちろん写真のように広いエリアに植えられることもあるが、ほかの物が植えられるような土地として利用価値の高いところには植えられないのである。
この地域では傾斜地といえば市田柿が植えられている空間が多い。そんな傾斜地の中でも狭い帯状の空間はナンテンとなるのである。
さて、谷底の向こう側に藤の花が見える。今年はわたしの印象として山々に藤の花が目立つ。妻に言わせると「もう前から」だと言うが、たまたま藤の季節に今年はよく現場に出ているということだけかもしれない。とはいえ道路から見える山々に藤色が本当に目立つ。この連休でよそからやってきた人たちにとってみれば「きれい」と映るかもしれないが、裏を返せば山々が荒れている証拠。藤の花が勢い、木々を枯らしてしまう。実は厄介な花なのである。
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