かつて「しょうぶはたき」を記した。平成元年6月4日に下高井郡木島平村和栗というところでこの行事を見た。19年も前の日記だが、その日記に「現在も行なわれているのか確認してない」と記した。この「しょうぶはたき」で検索したら、県版テレビにも出ていヤポンスキーこばやしさんが、取材で5年ほど前に稲荷ちくの「しょうぶはたき」を訪れていることを知った。コロナ禍後の現在のことはわからないが、「しょうぶはたき」が忘れ去られているわけではないことを知った。この行事のことを、当時何で知ったかと言うと、『信州の祭り大百科』(郷土出版社 1988年)に掲載されていたからだ。刊行された翌年に和栗を訪れている。そこにはこう記されている。「モグラを土中から追い出すために」と。藁苞で庭々を叩く行事で、全戸を回っていた。
「しょうぶはたき」については別項に譲るとして、この季節にしょうぶで地面を叩くとなると、家の庭々よりも田んぼの土手を叩きたいところ。ようはモグラを追い出すために。たんほの漏水の原因はモグラによるところが大きい。写真1枚目の黒くなっている所は田んぼの畔を切った際に表れるモグラの通り道である。畔塗りをなぜするかと言えば、漏水を防止するためである。それでも漏水は起きるのだが、モグラは畔際を通る。あるいは畔に対して直角方向にも進んで、これが漏水を起こす。写真はたまたま畔際も畔の天端に近いところをモグラが通っているが、これは餌となるミミズにも関係してタイル。ミミズの多くは畔の天端に近いところにいたりする。もちろん下の方にもいるから漏水を引き起こす穴ができたりするが、多くは地表に近いところに生息する。したがってモグラもそうしたところを通ってミミズを狙う。3枚目の写真は、いちおう叩いた後のものだが、本当はもっと何度も叩けば理想なのだが…。
今どきの畔塗りで古い畔を切り落としてする農家は少ない。というかトラクターで畔塗りをする場合、起こす際に畔際を起こして前年に塗った土を切り落とすように心がけるのだろうが、かつての手で畔塗りをしていたような畔切りは行わない。我が家ではトラクターではなく、小型畔塗り機で畔を塗るため、従来のように畔を切り落としている。もちろんシャベルでだ。その上で切り落とした際に露出したモグラの穴を潰すように槌で叩く。これをボタタタキと呼んでいるが、わが家の近所でもこんなことを今でもしているのは1軒くらい。というか昨日も記したように、そもそも田んぼを耕作しなくなっている。今日も近くの田んぼで80歳代の方がボタタタキをされていた。その方は我が家ほど叩かなくてはならない畔は長くないが、れでも歳が老いてくると、この作業は重労働だ。我が家では昨日と今日と、畔を切ってボタタタキを行った。畔を切る際にも、切った土はすぐそこに置くのではなく、起こしたあとの凹みに埋めるようにして均しているから、比較的遠くに投げる。したがってふだんしない動作を繰り返すから、今朝になれば昨日の筋肉痛が発生する。かつては今の倍の田んぼを耕作していたから、そのことを思うと楽になっているが、畔の距離が長い不正形な田んぼを今は耕作しているため、非効率であることは事実だ。
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