Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

新たな4月へ向けて

2024-03-12 23:17:31 | つぶやき

 先日「拭えないこの後の時代を憂い 前編」において「まさかの怒涛の3月を迎えた」と記した。確かに会計検査が入ったこともその理由だが、わたしにとっての最後の人事は、付録もついて初めてハローワークへ求人というモノを出した次第。

 長らく出先採用で働いていただいていた女性が、家庭の事情で辞められるという。本音はまだ働きたいと言うのだが、ご主人の依頼でご主人の仕事を手伝わなくてはならないという。今の部署に来てからわたしの事務部分を支えていただいたから、直接的には7年という付き合いだった。そもそもここへきて7年、それも長いのだか…。ちょうどわたしの定年に合わせるように辞められるから、「良かった」のかもしれない。新しいわたしの後任が、新しい人とともに始める、やりやすいかもしれない。

 今年の人事ではわたしのいる部署はわたしが代わるだけでほぼ出入りはない。あえて言えば、再雇用職員が昨年4月初めと比べると二人減って二人増えるから、そこだけである「変化」は。そのうちの一人がわたしだから、そしてもう一人も一昨年まで再雇用で働かれていたから、顔ぶれは変わらない。とは言うものの、怒涛の3月の背景には再雇用職員の入れ替えや、前述した出先採用の女性職員の求人といった、いつもはなかった心労(?)があった。この7年、ずっと悩まされ続けたのは再雇用職員の存在。人はそれほどいがみ合うという関係はない。ところが7年前から同じ部署に同い年の再雇用職員が配属された。再雇用職員は、基本的に地元に配属される。それでいて前歴は管理職。かつてならやりづらいという印象はあっただろうが、再雇用職員がこれほど当たり前となった今は、たとえ前歴が管理職であっても、お互いわきまえている部分もある。したがってわたしも「やりづらさ」は、当初はまったくなかった。ところがその二人が犬猿の仲、それも年を重ねるほどに、両者は口も利かなければ挨拶もしない。それだけなら良いが、性格がまったく正反対だから、それを理由に態度を露にしたりする。それほど人数が多い出先ではないので、周囲の人たちがやりづらいのは言うまでもない。それぞれに聞けば、それぞれが「悪い」という。この関係を解消するには、二人とも辞めてもらうしかないと考えていた。早期退職という看板があったため、65才までは仕方がなかったが、その年に達したのを契機に、翌年以降の採用は「しない」と引導を渡した。

 1か月ほど前の来年度人事(人員配置)が公表された際、「おまえのところは首を切ったのに、こっちには使えないやつが採用になって回された」という苦言をいただいた。ようはけして仕事ができなくて辞めていただくわけではないのに、いっぽう別の部署には天下りの再雇用が押し付けられて「まったく仕事ができない」という。人手不足だというのに、「なぜ首を切るんだ」と言うのである。とはいえ、わが社は再雇用であっても人員配置の際の勘定に入る。再雇用ばかり雇うと、若い人を外へ出さなくてはならなくなる。できれば地元出身の若者を地元で育てたいという思いが、わたしにはある。以前にも記してきたことだが、今は維持管理の時代。したがってお客さんの事情を理解するには、その地域で経験を積んだ方がお客さんのニーズに整合する。確かによその地域を知ることも必要だが、「地元」を意識してほしいと思う。そのためには、年寄りがその経験を摘んではならないし、そもそも年寄りはその知識を若い人たちに伝えていかなくてはならない。ということは、再雇用職員もその地元に精通した者でなくてはならない。人事理由で地元に長くおられなかった人もいるが、そうした人には遠慮してもらうしかない、と思う。

 この7年間、犬猿の仲の二人をどう扱うかで悩まされ、その間にはあえて再雇用職員を異動させるという策も講じたが、より一層わたしの悩みは増幅させられた。わたしがしなくてはならなかったことをわたしの在任中にできたことが、最後の大仕事だったと思う。故に怒涛の3月への誘いだったというわけであり、付録に女性求人という仕事が加わった。顔ぶれは変わらないが、穏やかな船出が4月から始められそうである。


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