Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

清水のカゼノカミサマ 後編

2024-03-21 23:28:12 | 民俗学

清水のカゼノカミサマ 前編より

 実は今回34年ぶりに訪れるにあたり、前回訪れた平成2年のカゼノカミサマの写真を印刷して見ていただこうとした。おそらくその写真に写っていた方もおられるだろうという期待もあった。年配の方はともかくとして、子どもたちが写っていたから、その際の子どもたちは40代くらいだろうと想像できた。参集された方たちに見ていただくと、もつろん「懐かしい」という言葉とともに、「これ俺だ」という言葉も聞くことができ、写真を持参したことが良かったとつくづく思った次第。

 

以下平成2年3月21日のカゼノカミサマ

 

 当時のモノクロ写真から想定すると、集会施設に集まっていたのは20人ほど。大人と子どもと半々くらいだっただろうか。ところが今回の写真に納まっている人たちは、午前の人形つくりと午後の百万遍念仏に参加された総数では30人近かった。とはいえ、清水地区の人口が増えたというわけではない。住民票を置いている世帯はすでに10戸を下回っており、減少傾向に変わりない。そもそも当時の印象からすれば、山間の30年後である。廃村になっていても不思議ではないほど時間は経過している。にもかかわらず、昨日掲載した写真のように、集会施設の部屋には大勢の輪ができた。聞くところによると、清水からすでによそに住民票を置いている人でも、自治会費を支払って付き合いを継続している家が何軒かあるという。したがって行事には人が集まるのである。午後の百万遍念仏に集まった人たちの口々から、あらためて過去の写真を見て歓声が上がっのは言うまでもない。

 よそへ出ていく人たちもいれば、平成2年以降によそから住み着いた人たちもいる。何より数年前より県宝の薬師堂を利用してヨガ教室が始められたといい、若い世代の人々によって他地区の人々を呼び込む催しが開かれるようになったという。この日も他地区から訪れてカゼノカミサマに参加される方がいた。子どもたちが何人も加わったのはそのせいもある。考えてみれば、人形を作って疫病神を送る、楽しいひと時に違いない。隣の谷の柏尾では、住民はほどんどいなくなったのに、同じ彼岸の中日の神送り行事に大勢の人が集まる。行われる行事は、疫病神を送るという、言ってみれば誰でも頼りたくなる行事。とりわけコロナ禍ですがるところがなかった時を経験した人々には、親しみのある行為に違いない。新たに始まっても不思議ではない行事である。もともとこの地域ではどこでもやっていたと思われる節もあり、今だからこそみなで神送りをすることへ意識は高まるのではないだろうか。

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