ハリソンさんはカノ紳士 ーフランス通過編 ー(後半)

今は昔の18世紀欧州が舞台の歴史大河ロマン。

26-18 今時の勇者は剣では戦わねぇんだっての!

2023年01月28日 | 第26話 婿になった修道士


 ハリソンさんからすれば、
決闘は17世紀位までならまだしもねぇ〜
な、古臭×短絡的問題解決手段
なのでした。

 18世紀も60年代の今では、
カツラ+法衣の方々が方々にいるし、
新聞や雑誌やパンフ、小説やオペラや演劇で
不正や不平不満を訴え世論を味方に付けるが良し。
何を自ら剣を振り回す必要など
あるんだろうか?と。

 すぐカッカとして
〈愛〉でも〈憎〉でも即実力行使。
英国人を「愛にも理屈をこねる冷てーヤツら」
と決め付ける、
誠にもってフランス人らしい解決法だと。

 そんなハリソンさんでも、
四面楚歌に開き直り凶暴化、
毒舌絶好調な閣下のお言葉には流石にムカッ腹。

 …それでも、流血の惨事にはならない。

 世に流行中で、自分も書こうと思っている
旅行記の未来の大ヒットを更に心に固く誓い、
「成就した暁こそが真の我が勝利の時」
とハリソンさんは思うのでした。

🏔️ 続きは来週以降。

26-17 股引丸見えでもカッコいい男?!

2023年01月25日 | 第26話 婿になった修道士


 修道院の方々、
年端の行かない子供達からは
「茶色いおじさん達」と呼ばれていました。
リュシエンヌも父親から再三
注意されてはいましたが、
幼少時からずっとそう呼び続けています。

 デノワ氏自身も修練時代に
そう呼ばれてショックを受けた事が
あったのでしたが、
今話冒頭、英国の牧師さんからは
もうハッキリ「糞坊主」と
英語で罵られちゃってます。


 当時は道路状況も悪く、
舗装されて無い道は
雨が降ったらなかなか乾かないドロドロ泥道。

 舗装が良くてもゴミや汚物まみれ、
雨天時には川みたくなってしまう。
そういった場合、裾の長い服を着ていたら
最悪まくり上げるしか無くなります。

 で、茶色いおじさん達、
そういうのに備えて、
下には股引履いていました。

 托鉢や宣教、ボランティアや
その他の労働等で外歩きが多いため、
そういう事が起こりうるのを前提に、
サン・フランソワ様存命の頃から
「制服は股引込みでの支給」
これまたわざわざ規則となっていたのでした。

 ウィリー・スーパー(ギョーム・シュペール)
氏はその事をからかっています。

 ノアイラさんの願いにも関わらず、
次ページではハリソンさんと侯爵閣下が
バッチバチの睨み合いとなってしまいます。

🏔️ 続きは週末。

26-16 制服で品定めをする娘

2023年01月06日 | 第26話 婿になった修道士


 若い頃のデノワ氏、
今話の冒頭で茶系の服着てるので、
サン・フランソワ会の分派、
カピュサン会系列の院で修行していたようです。

 他の修道会は白や黒を基調とした
シックな出で立ちなのに、
全茶だとリュウさんには
垢抜けてなく見えるようで、
「高校や企業の制服」「イケてる坊さん」
のノリでぶっちゃけちゃってます。

 サン・フランソワ会設立者は
イタリアの裕福な布商人の長男で、
若い頃は色鮮やかだったり、
最近の日本の芸能界でも見かける
左右非対称服みたいな、
つまりド派手服を好んで着ていました。

 騎士階級への憧れの夢破れ、
重病を転機に回心し、修道生活に入ると
上記服装の趣味やら
パーティピープル生活してた事
やらの反省から、
質素で地味過ぎる服装・生活
をするようになりました。

 「服が破れたら布切れで繕うように」と
わざわざ会則に書いてあったり
しているのでした。

 設立者の死後、
清貧へのこだわりがエスカレートして
拠点の地から追放するよう
教皇から当地の国王へと要請があった
オンボロ装束の分派すらあったようです。

 リュウさん、
カルム会はカッコいい方に入れてますが、
この会もフランスに出現した13世紀中頃は
制服がダサいと当時のパリジャン&パリジェンヌから
「縞坊主」と呼ばれ虐げられていました。

 会の方では
度重なる暴言暴力には決してめげず、
教皇からのデザイン変更の要求も
1287年まで突っぱね続け、
他国の会員の中には次世紀初期まで
縞柄の服装で通したツワ者もいたようです。

 ウィリー叔父さん、
ラブレーやノストラダムスが生きていた頃や、
ルイ14世時代のプロテスタント民の
ような態度を取ってはいませんが、
所々でカトリックの不可解さに首を傾げ、
表明しています。

 そして、デノワ夫妻はこの後、
フランソワ会との間にまた問題が起こるかも
しれない事に全く気が付いていないのでした。

🍁 続きは来週以降。






 




 

26-15 疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドラング)の人

2023年01月02日 | 第26話 婿になった修道士


 
 18世紀の前半は理性や知性が
重んじられていました。

 後半になると「感情の発見や
開放、感受性の賛美」が芸術の世界に始まり、
人々の心の世界を現代の人にも通じる、
理解されやすいものへと変えて行きました。

 簡単に言うとしたら、
この物語の頃に「エモい時代」へと変化しつつありました。

「あの頃の人は何かっていうと
本の中でも現実でもメソメソ、ワーワーと
泣いたり叫んだり感動したりしていた

と後の時代の人からは
笑いを誘う事もあったようですがー。

 とはいえ、
ウィリーさんの感情表現の振り幅、
聖母マリア様でも讃える
かのような大げさな讃え方。

 ハリソンさんは
あまりのストレートさに小っ恥ずかしくなり、
どうしたもんかと戸惑い、
防寒ガウンで今度はフード付チュニック姿の
修道士の物真似を始めてしまいました。

 そして、侯爵閣下は
完全アウェイ感に陥った余り
「この建物内の人達は何なんだ!
みんなどうかしてるんじゃないのか?」
と呆れています。


🍁 続きは1月6日(金)

 



 




26-14 OwOwイエ~イ!明日はみんなのお祭りday!

2023年01月01日 | 第26話 婿になった修道士


 この日は、
今から258年と約2ヶ月前の
1765年の11月10日の日曜日。

 突然、宿に現れた
髪型がベートーヴェンな
高速チャンポン英語叔父さん。
翌日の聖マルタン祭のお祝い用の
飲み物類を持って来ました。

 デノワ氏と
〈顔、顔!顔そっくり!〉
なので実の弟なんでしょうが、
この人も、ある時期まで消息不明でした。
その頃に居た場所がこういった雰囲気を
作ったと思われます。

 更にデノワ氏の事は
アントワーヌ→アントニー→トニー
リュシエンヌ→ルーシィ
と英語風に変換、
自分の事はギョーム→ウイリアム→ウィリー
と名乗っています。

 彼はどこで育ったのでしようか?
ちなみに生まれは確かに
フランス本国内なのでした。

 そして、当時のアヴィニョンは
飛び地のローマ教皇領だったので、
デノワ家はカトリック信者なのですが、
ウィリーさんは(ハリソンさんとは別派の)
プロテスタントでした。


🍁 続きは明日。