【各話末エッセイ①】
18世紀の歴史上の人物でフランクリンといえば、
アメリカ合衆国独立にも貢献した
ベンジャミン・フランクリン氏(1706-90)が
一番有名ではないでしょうか?
ところが、18世紀生まれという点では、
もう一人有名なフランクリンがいました。
こちらは英国海軍指揮官サ―・ジョン・フランクリン
(1786-1847)。
********************************************************
少年時代に海軍入隊。
ナポレオンの脅威去りし後は、北極方面の探検へと幾度も出かけた。
1845年出発の探検を最後に消息を絶ち、
14年後、1847年6月11日に病死した事が捜索隊により確認された。
同行した隊員達も極寒の地で全滅した事が分かった。
彼らが「生き延びる最終手段として死亡隊員を食べた」事も明らかとなり、
探検史上最も衝撃的な結末として語り継がれている。
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この人物を主人公にした小説に「緩慢の発見」という作品があり、
作者はドイツ人のシュテン・ナドルニー氏。
この小説内で、2回目の極地探検時のエピソード。
何と、フランクリン隊長は「トリストラム・シャンディ」の
トゥビー叔父さんと「ソックリ言動」をしていたのです!
意外な事に、北極圏以北でも虫は生息し、越冬もする。
蝶が壁に貼り付き、過酷な冬を耐え忍ぶ姿が、
アラスカ在住者が書いている本で描かれている。
蚊もちゃんといて、大群で行く手を遮ったりもする。
フランクリン隊長は、蚊に刺されても、軽く息をかけて飛ばし、
「この世界には、私達のどちらも生きて行くだけの場所は充分にある」
と言っていたのです。
一方、トゥビー叔父さんのお言葉。
Go.
I'll not hurt thee.
I'll not hurt a hair of thy head.
Go poor Devil,get thee gone,why should I hurt thee?
This world surely is wide enough to hold both thee and me.
食事中、自分の顔の周りで飛び回る蠅を捕まえ、
上記の台詞を言いながら、窓から逃がした出来事が、
叔父は勇気があり、平和を望む温和さも兼ね備えていたという、
甥のトリストラムの証言として、
第2巻第12章中で語られているのでした。
フランクリン隊長についても、
同じような性質の持ち主だったと想像できる描写が、
「緩慢の発見」中に何箇所かあります。
そして、トゥビー叔父さんには、トリムという忠実な召使いがいました。
フランクリン隊長には、若い頃に可愛がっていた雄猫がいたのですが、
名前がトリムでした。
そんな所から、
「『緩慢の発見』作者は、ひょっとして、
トゥビー叔父さんをキャラ造形の参考にしたのでは?」
という考えが、私の頭に浮かんだくらいなのです。
ところが、二人にはハッキリとした違いというのもあって、
それは、二人の婚姻・女性経験歴でした。
トゥビー叔父さんは生涯独身率100パーセント。
一方、フランクリン隊長は2婚が成立しています。
小説中では専門職の方々がいる場所へも遠征しているのでした。
トゥビー叔父さんには、17世紀末に参加した戦闘に伴う婦女暴行の描写は無く、
婚姻不成立となったウォドマン夫人や兄嫁のエリザベス義姉さんとすら、
必要最低限の会話しかしておりません。
そこんとこを抜かせば、二人とも将校の階級を持つ軍人ながら、
傍から見れば愚鈍にすら見られかねないくらいの、
のんびりした雰囲気を共通して漂わせています。
そんな所から、私の上記の説が出て来たのですが、
真相は分かりません。
単に偶然の一致、「シンクロニシティ」なのかもしれません。
比較文学を専門とする方に、おまかせするか、
直接ナドルニー氏に問い合わせるしかありません。
しかし、私がそうできる程度のドイツ語を習得してる間に、
両名とも「緩慢な死」を迎えている可能性が高いです。
ところで、「緩慢の発見」の方では、フランクリン隊長の
続きの言葉がありました。
「虫は食べる事も、打ち負かす事もできないからね」
極地探検には白熊・狼などの脅威があり、
現代の探検家・角幡唯介氏の極地探検記にも出てきます。
そういった経験からフランクリン隊長は、こういう言葉を続けたのでしょう。
そして、それを聞いた若い隊員の一人が、こう呟きました。
「あれほどのろまじゃ、蚊一匹殺せやしないさ!」
スターン師は基本、意地悪・冷酷な人、そして残酷な場面は描けなかったのね〜。
18世紀の歴史上の人物でフランクリンといえば、
アメリカ合衆国独立にも貢献した
ベンジャミン・フランクリン氏(1706-90)が
一番有名ではないでしょうか?
ところが、18世紀生まれという点では、
もう一人有名なフランクリンがいました。
こちらは英国海軍指揮官サ―・ジョン・フランクリン
(1786-1847)。
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少年時代に海軍入隊。
ナポレオンの脅威去りし後は、北極方面の探検へと幾度も出かけた。
1845年出発の探検を最後に消息を絶ち、
14年後、1847年6月11日に病死した事が捜索隊により確認された。
同行した隊員達も極寒の地で全滅した事が分かった。
彼らが「生き延びる最終手段として死亡隊員を食べた」事も明らかとなり、
探検史上最も衝撃的な結末として語り継がれている。
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この人物を主人公にした小説に「緩慢の発見」という作品があり、
作者はドイツ人のシュテン・ナドルニー氏。
この小説内で、2回目の極地探検時のエピソード。
何と、フランクリン隊長は「トリストラム・シャンディ」の
トゥビー叔父さんと「ソックリ言動」をしていたのです!
意外な事に、北極圏以北でも虫は生息し、越冬もする。
蝶が壁に貼り付き、過酷な冬を耐え忍ぶ姿が、
アラスカ在住者が書いている本で描かれている。
蚊もちゃんといて、大群で行く手を遮ったりもする。
フランクリン隊長は、蚊に刺されても、軽く息をかけて飛ばし、
「この世界には、私達のどちらも生きて行くだけの場所は充分にある」
と言っていたのです。
一方、トゥビー叔父さんのお言葉。
Go.
I'll not hurt thee.
I'll not hurt a hair of thy head.
Go poor Devil,get thee gone,why should I hurt thee?
This world surely is wide enough to hold both thee and me.
食事中、自分の顔の周りで飛び回る蠅を捕まえ、
上記の台詞を言いながら、窓から逃がした出来事が、
叔父は勇気があり、平和を望む温和さも兼ね備えていたという、
甥のトリストラムの証言として、
第2巻第12章中で語られているのでした。
フランクリン隊長についても、
同じような性質の持ち主だったと想像できる描写が、
「緩慢の発見」中に何箇所かあります。
そして、トゥビー叔父さんには、トリムという忠実な召使いがいました。
フランクリン隊長には、若い頃に可愛がっていた雄猫がいたのですが、
名前がトリムでした。
そんな所から、
「『緩慢の発見』作者は、ひょっとして、
トゥビー叔父さんをキャラ造形の参考にしたのでは?」
という考えが、私の頭に浮かんだくらいなのです。
ところが、二人にはハッキリとした違いというのもあって、
それは、二人の婚姻・女性経験歴でした。
トゥビー叔父さんは生涯独身率100パーセント。
一方、フランクリン隊長は2婚が成立しています。
小説中では専門職の方々がいる場所へも遠征しているのでした。
トゥビー叔父さんには、17世紀末に参加した戦闘に伴う婦女暴行の描写は無く、
婚姻不成立となったウォドマン夫人や兄嫁のエリザベス義姉さんとすら、
必要最低限の会話しかしておりません。
そこんとこを抜かせば、二人とも将校の階級を持つ軍人ながら、
傍から見れば愚鈍にすら見られかねないくらいの、
のんびりした雰囲気を共通して漂わせています。
そんな所から、私の上記の説が出て来たのですが、
真相は分かりません。
単に偶然の一致、「シンクロニシティ」なのかもしれません。
比較文学を専門とする方に、おまかせするか、
直接ナドルニー氏に問い合わせるしかありません。
しかし、私がそうできる程度のドイツ語を習得してる間に、
両名とも「緩慢な死」を迎えている可能性が高いです。
ところで、「緩慢の発見」の方では、フランクリン隊長の
続きの言葉がありました。
「虫は食べる事も、打ち負かす事もできないからね」
極地探検には白熊・狼などの脅威があり、
現代の探検家・角幡唯介氏の極地探検記にも出てきます。
そういった経験からフランクリン隊長は、こういう言葉を続けたのでしょう。
そして、それを聞いた若い隊員の一人が、こう呟きました。
「あれほどのろまじゃ、蚊一匹殺せやしないさ!」
スターン師は基本、意地悪・冷酷な人、そして残酷な場面は描けなかったのね〜。