夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

被災地再訪3:陸前高田、釜石

2015-01-03 | diary
気仙沼を出て、陸前高田、大船渡に向かう。ナビのソフトが古いらしく新しい道が表示されない。復興事業で高速道路ができ、無料で開放されている。ただ途切れ途切れにしか完成していない。



ナビに高田の松原という表示があるが、左右とも工事中だ。通り過ぎて、また高速に乗って走ると大船渡という出口表示がある。あれ?陸前高田はどうしたんだろう。ナビの行き先はちょっと先の大船渡にしていたが、当然通るものだと思っていた。訝しく思いながら一般道で戻る。行き先を陸前高田に修正し、やがて見えてきたのはさっきの広大な工事現場だった。



ナビは駅や市役所を表示するが、何もない。道もなくなったり、工事車両用に変えられていてナビが混乱する。



橋の上に停車し、あっけにとられながら写真を撮る。街並みを想起させるものは何もない。この風景をマスコミは伝えたのだろうか。ぼくが迂闊だったのか、仮設住宅にいるであろうようやく生き残って復興を望んでいる住民に気を遣っているのか。



これまで訪れた被災地は街の残骸が無残だったが、これは新たに開発し、造成中のニュータウンか工業団地にしか見えない。ただピラミッドの中腹を切り取ったような土盛りが異様だ。



コンビニの高い看板に「津波到達15メートル」と記してあるのを見て総毛立つ思いだ。



川の上流まで容赦なく破壊したのだろう。



たった1つだけ建物があった。マンションか宿舎だろう。



4階まで津波が押し寄せたことは間違いなさそうだ。これを見てはマスコミがいじくりまわした奇跡の一本松を見る気になれない。大船渡にも立ち寄る気をなくし、釜石に行く。初めて津波の凄まじさをぼくに教えた所へ。

3時半過ぎに釜石に近づいて、ここで泊まるつもりだからまだ時間がある。手前の山の山頂に巨大な観音像があるので寄ってみた。



門前の土産物店街の残骸があった。



中に入ると券売所の人が4時閉館ギリギリに来た客にちょっと驚いたようだった。



水子地蔵は観光地の寺の貴重な収入源だ。エスカレータで台座まで上がる。
観音像の足元からでも眺めはいいが、像の中を登ってみる。胎内めぐりという趣向で七福神や各種の観音像を丁寧に見ながら写真を撮る。螺旋階段が広くなったり狭くなるのは観音像の形のせいだろう。



汗をかいて、脚の筋肉が痛くなる。あまり無理をするとこの先困るので用心しながら歩を進めて、ようやく登り詰める。



どちらを見ても穏やかな美しい海だ。



市街地の方にはチョコレートのような土盛りと護岸用のコンクリートブロックが見える。あれだけ高くすれば安心なのか、あれだけしか予算がつかないのか。



昨日からいいタイミングで夕暮の海に巡りあえるようだ。



地震にも無事だったのか、特に説明は見当たらなかった。この手の観光宗教施設は好きではないが、釜石におカネを落とせるなら気にしない。

また例によって宿を探す。ここまでの街では市街地で見つからなかったから、民宿がいいなと思って、鉄道沿いに遠野方面に向かう。これまた例によって大規模店舗が見えるが、ネットカフェは見当たらない。パチンコ屋がいちばん大きな建物だったりする。被災者が通っているとか、復興工事をしている作業員が行くとか非難めいて言われたりするが、政府のカジノ構想の参考にしたらどうかと思う。



結局、どこまで行っても民宿はおろかホテルもなく、路面が凍結しているところまで来てしまったので引き返す。
駅前に釜石ステーションホテルというのを見かけたので、スマホにそう言うと場所や電話番号を表示してくれる。Siriは使えるなと思った。部屋があると聞いてほっとする。



ホテルに荷物を置いて飲みに行く。復興飲み屋街があるとフロントで聞いたので遠野方向に少し行くと大きなスーパーとケーズ電気の間の奥にこじんまりとあった。



流行っていそうな店よりもと思って探すが、小さいのはどれも同じようで入りにくい。



かなりうろうろしてから、意を決して入る。おかみさんとおじさんが1人。7人掛けのカウンターの後ろがすぐに壁という狭さだ。



その壁に掛けてある写真が気になる。3年前にも来たといった話をして、ちょっとうちとけてから写真に撮らせてもらう。
「同じ店が並んでますね」
「そうなの。全部流されちゃったけど」
「やっぱりお客さんは新日鉄とか漁業関連の?」
「うん、そうね」
にぎやかだったのだろう。



相客のおじさんは夏はうにを捕って、他の季節はわかめを捕っているそうだ。昔は新日鉄の関連会社に勤めていたそうだ。
「新日鉄の人は2年くらいで異動してくんだ」



地物だそうで、あわびがことのほかおいしい。



鶏ハラミ。脚の付け根のところだそうだが、冷凍ものながらこりこりしておいしい。



「観音像に寄って来たんですよ」
iPadで写真を見せる。ホテルがWifiになっていたので、繋いだらiPhoneから転送されていた。
「きれいね。上まで登った?」
「足がガクガクでしたけど」
「胸のところまで登ったんだ」
「胸ですか。顔ってわけにはいかないか。…なんで魚籃観音なんだろって。あんな魚を抱いた。…あ、そうか」
「釜石だから」
口にすると気づくこともあるものだ。



店の中も撮らせてもらう。
「塩辛食べる?赤かぶの漬け物は?…自作のだけど」
赤かぶが千枚漬けの味にそっくりでぼくの好きな味だった。



1本の木から彫ったものでこの横丁の各店にくれたそうだ。
「木の節とかあるし、表情もちょっとずつ違って。他のと比べてもいい表情だからよかった」
「表情がいいです。店に入った時から気になってました」



それじゃあ、またと言って出る。



駅に銀河鉄道のイルミネーションがあった。すぐ横のローソンで朝食を買って、ホテルに戻った。



夜明けを待ちかねるようにしてホテルを出る。市街地に入って驚いた。イオンが立ちふさがるように建っている。



イオンを中心に再開発しようとしているのか、方向感覚までわからなくなりそうだ。



あの赤い家には見覚えがある。「ガンバレ釜石」と2階の窓に書いてあった家だ。



まだ空き地が多いけれど、ここまで見てきた街の中ではいちばん復興が進んでいるように見える。



大資本中心でいいのかといった批判はあるかもしれない。しかし、復興事業頼り、税金頼りよりはいいだろう。
「いつになったら街が元のようになるのか。よそから作業員の人がいっぱい来てるし」
「でも、復興事業が終わっても困りませんか?」
「…そうなのよね」
昨日のおかみさんとそういう話もした。





ここだけ見れば瀟洒な新興住宅地のようだ。イオンが整備した通路だが。





この川だけは変わらない。鮭の死骸がたくさん沈んでいる。



川べりから改めて中心部に入る。





きれいに整備されている。



この建物にも記憶がある。中ががらんどうになっていたのを建て直したのだろう。





ここにも復興商店街があった。
「商売大変じゃないですか?」
「まあ、そうだけど、家賃がタダだから」
「あ、そうなんですか。なるほどそれならだいぶ違いますね」
「でも、ここは元々公園だからいつまでもってわけにはいかないのよ」
「ああ、それで児童公園があるのか。…だいじょうぶですよ。いざとなれば騒いじゃえば」
「1年伸ばしでねえ」
「政治ってそうなんですよね。料簡が狭いというか」



もっと写真を撮ったけれど、もういいだろう。漁港の方から街を眺めて宮古に向かうことにした。




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