夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

腰の引けた愛国主義

2014-02-22 | news
安倍首相が靖国神社に参拝した理由がいまだにわからない。首相本人が説明してるじゃないかと言われても困る。政治家に、特に政府の要職についている者に個人的な想いだけで行動されては国民はたまったもんじゃない。中国、韓国の反発は折り込み済みだったかもしれないが、火に油を注ぎたかったわけでもないだろう。アメリカの「失望」は想定外だったのかどうか。しかし、想定内なら事前にどうしようとしていたのか、想定外なら事後にどうしたのかがわからない。説明しないというのはもちろん外交問題だからあってもいいのだけれど、深く考えていたわけでもなく、大したことをしたとも見えない。
だから、ゆるいようにも、焦っているようにも見える。代償として集団的自衛権容認の閣議決定を差し出して、アメリカをなだめ、中国を牽制しようというのか。一般的には邪推だろうけど、今の首相を見ていると浅薄で失礼な見方と思わない。戦争できる国となって自前の抑止力を持ちたい、そのためには集団的自衛権を持ち、憲法改正を行うといった政治的環境づくりだけでなく、宗教的・精神的支柱が必要だと思うのは筋が通っているようで、両立しないアイディアなのだ。
日米安保を破棄して徹頭徹尾自国の軍隊だけで国を守るという気概を持った国会議員は逆立ちしてもいなさそうだ。米海軍第7艦隊並みの実力を持って中国に当たればミリオタには快感だろうけど、原子力空母や原子力潜水艦を自力開発するのにどれだけの時間がかかると思っているのか。その間、GDPで我が国を上回る米中とどう対していくのか。現実性などどこにもありはしない。あるのはアメリカといい関係を保ちながら中国や韓国に対応していく途だろう。どこかで腰が引けているはずだ。無邪気な「紺碧の艦隊」でさえナチス・ドイツを最終的な敵とし、屈折した愛国主義が漂う「コードギアス」がアジアをスルーしているのは批判を恐れているからだけではないだろう。
今、「対応」というあいまいな言葉を使ったが、政府自体が「言うべきことは言う」とか「説明して理解を求める」といったあいまいなことしか言わないから伝染してしまった。それに「毅然として」とか「丁寧に」という情緒的な形容詞をつけられても、懸念と疑念は消えない。
外交において追従に徹するのも、独立独歩も間違いか、少なくとも拙劣だろう。個人的な感情は別として、靖国が象徴するイデオロギーを是認する国はどこにもないと思う。「いいじゃないか、どこの国だってそういうとこあるでしょ?」というのは甘えにすぎない。「あんたの国に限ってそれはダメ!」と言われるのがオチだ。
「何をそんなに心配してるんだ?」と言われるだろうか。「時間が経てばアメリカも忘れてくれるよ」と。冗談じゃない。忘れてもらいたいことなら最初からやらなければいい。





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