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日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

四王天延孝著『ユダヤ思想及び運動』附録第三 シオンの議定書 第十二 議定 定期刊行物及書物の検閲、新体制

2024-04-24 10:17:57 | 英帝国ユダヤ・フリーメイソン

  
  四王天延孝著『ユダヤ思想及び運動』
   附録第三 シオンの議定書
 

   

第十二 議定 

自由の定義 
・・・・・・・自由主義者と無政府主義者
・・・・・・・將來の新聞
・・・・・・・定期刊行物及書物の検閲 
・・・・・・・新體制 

〔自由の定義〕 
 自由という言葉は色々に解釈出來るが、吾々はこう定義する。
自由とは法律で許された事を為し得る權利である。
この定義は吾々丈に役に立つのである。
それは自由と云ふのは吾々が如何様にでもきめ得るからである。
法律は吾々の計画にに應じて之を作ったり廢毁したり出來る。

新聞に就てはこうである。
現今新聞の役割は何であるかと言へば、党派の激情や偏狭な軋轢を起す ことで、
凡ては吾々に利益になるのである。

新聞は空虚で、不正で、嘘つきであって読者の大部は何の役に立つのかと疑ふとともある。
吾々が新聞を絞め上げ、之をしっかり綱に繫いで居るのである。 


 外の印刷物に就ても同様である。
なぜならば吾々が定期刊行物の攻撃から免れても、
パンフレットや書物で攻撃されて居ては何にもならぬからである。

 現在では公表には大変金がかゝるが、
吾々は逆に之を吾々の政府の有用なる財源になるようにする。

それには特別の印紙税を設け、出版業者と印刷所とに保証金を納めさせるのである。
そうすると言論機関からの有らゆる攻撃に對して政府を保護することが出來る。
若し攻撃を受けた場合には罰金を以て方々から之に對應する。 


 印紙、保証金、罰金と云ふ方法は政府への重要な收入になる。
勿論政党の機関紙などは多額のお金を取られても平気であらうが、
重ねて吾々に対する重大な攻撃をした場合には全然発行禁止にして終ふ。
 吾々の政治的確信の権威に触れたなら何物と雖も罰を免れない。


 發行を禁ずるには次の口実を用いる。
発行禁止になった印刷物は何等の理由も根據もなく、徒らに與論を激發したからだと。
吾々を攻撃する刊行物の中にも特に吾々の方で創刊するものがあることに注意せられたい。
そう云ふのが吾々の政策を攻撃するのは吾々が改正したいと思ってゐる點丈に向つてするのである。


 如何なる報道も広告も吾々が眼を通してからでなければ公けにされない。
世界各地のニュースが若干の通信社に集められ、
其の手を経て報道せられる様になってから、旣にその通りになってゐる。

 此等の通信社は他日全部吾々の権力下に這入り、
吾々が公表を許すもの以外のニュースは出せなくするであらう。


 今日、旣にゴイムの殆ど全部は吾々が眼の先へかけてやる色眼鏡を通して世界の出來事を視てゐる程に彼等の心を押へてゐるし、
又今日に於ても愚かなゴイムが「国家の祕密」などと云つでゐるものを吾々に透視出来ない国は一つも無い位になってゐるのだが、世界王として吾々を公然承認せしめた曉には吾々の在々の地位は一体どんなものであらうか? 


〔自由主義者と無政府主義者〕
 茲で新聞の將來に立戻ろう、何人も出版若、書店、 印刷業をやらうとすれば免許を得なければならのことにし、
その免許は吾々の法律に違反をした場合には取り消し得ることにする。

 それで、思想を発表することは吾々の政府の手による教育手段となり、
人々は思ひ思ひの道に迷ひ込んで人道的進歩など夢みる気遣いが無くなる。

 吾々の仲間は、かゝる空想的の親切は他に實行不可能なる希望に持つて行き、
人民と政府間に無政府關係を加へるに至ることと知らないものは無い筈だ。


 進歩、 否正義については進步思想は何等の制限なく解放運動の種々な体系を出現させた。
所即自由主義者は實行に於てはそうで無くとも少くも精神に於ては凡て根本的に無政府主義者である。
彼等特有の狂的強情から反対せんが為の反對をしながら無政府主義に陥った。


 併し新聞の問題を忘れない樣にしよう。
凡ての印刷物の毎頁に印紙稅をかけ、之は保証金で間違いなく取れることはする。
三百頁以下の書物はその税を2倍にする。
薄い刊行物は小冊子と名ける。
此く最も有毒な雑誌の數を減らすことにし、又一方には著作家が厚い本を書かざるを得なくする。
その代わりそういう本は退屈するのと、高価なので人が餘り読まなくなる。
然るに吾々自身の出版物は吾々の與論を導くのであるから廉価で忽ち売り切れる。
税の関係で思想的作家は尻込みをして終ふが處罰の脅威で全作者が吾々に降伏する。


 併しそれにも拘らず吾々を攻撃しようとするものがあっても出版を引受け手が無い。
それは印刷に附する前に出版業者、 印刷業者は、宣憲の許可を受ける必要がある。
之で吾々は予め吾々に反対する攻撃が準備されてゐることが判るから、
世に現はれる前に之を反駁することが出來るのである。


 文學とジャーナリスムとは最も重要な二大教育機關である。
それ故、吾々の政府は定期刊行物のほとんど全部の所有者となるであらう。
そして個人的新聞の害毒を中和して終って民衆の上に大きな勢力を有するに至るであらう。
比較的獨立の新聞と吾々との比例は一と三にする。

併し民衆はそんな事情は考へても見ないから、
吾々の発行する新聞は巧妙な方法で民衆を吾々に信頼させながら反對意見の方を支持する。
こうして吾々は敵を引附けるのである。
敵は警戒をしてゐないから、吾々の陷穽に落ち 無害なものになる。
  
〔将来の新聞〕
 重なる新聞と云ふのは機関紙的なものである。
それ等は絶えず吾々の利益を擁護し、従て彼等の勢力は比較的弱い。

 次には半官的なのもので、 その役割はれ吾々の方へ無關心の人の人々及び中立の人を引き入れるのである。
第三には明白な反対新聞で、少なくも紙面の一部に於て、吾々を攻撃する。
そこで吾々の本當の敵は此の反對論を眞實と思って彼等の腹を見せて終よ。


 吾々の新聞は総て色々違った主張を持ってゐる。
或ものは貴族政治的であり、他のものは共和主義又は革命的で無政府主義のもあるが、
之は勿論今の憲法が存続する間の話しである。
 印度のヴィシシュスー神の如くに、
これ等の新聞は百本の手を持って居て、その一つ一つが與論の各層に衝撃を與へる。 


 扇動時代にはこれ等の手は吾々の意見にしたがって與論を導くことに役立つ。
それは興奮した人々は理屈は考えないで、容易に指導されて終うからである。

馬鹿者は自分の党派の新聞の主張を反映して演説をしている積りでいるが、
何ぞ知らんそれは吾々の意見が彼らに与えたい意見を宣伝しているのである。

彼らの同志の新聞について行くと信じつつ、吾々が彼らのために拡げている旗について来ている。

〔定期刊行物及び書物の検閲〕

 吾々の新聞陣営が吾々の計画を敢行し得る為には、
吾々は大なる注意をもって言論機関を組織せねばならぬ。


 中央新聞局と云う名目で吾々は分泌者の会合を設け、
其処に吾々の覆面の手先が居て合言葉と付箋を与える。

 吾々の新聞は吾々の政策を批判したり、これに反対する。
勿論根本には触れずに表面的の事だけである。
又機関紙に対しても空砲を放ち、
起こった出来事に就いて詳報しなければならんと思っているような点を、補足できるようにしてくれる。

 併しこれ等の方法は必要な場合以外には用いないのである。
 新聞が吾々を攻撃することは、
新聞がまだ全然自由を失っていないという感じを民衆に与えることに役立つのである。


 それは又吾々の手先が、反対党は意義の無い反対説を立てている。
それが証拠には政府の政策を反駁する本当の根拠が無いではないかと説き廻る機会を与えるのである。
かかるやり方は一般の注目を避けて民衆に政府信頼の念を増させるのに最良の方法である。


 この方法によって状況に応じ、
政策に関する民衆の感情を激発させたり、鎮静したり出来る。
吾々は或る時には眞實を、或る時には嘘を注ぎ込んで、
人々を説き伏せたり、逆用したり出来る。

ある時は眞実を根拠として立論し、或る時は之に反対したりするが、
それは民衆に如何なる印象を与えるかによって違う。


 要は深い注意をもって足下を探りそれから足を踏み入れるのである。
吾々は常に理屈では敵に勝つ。
それは敵が根本的に説明できる新聞を持たないからである。
のみならず吾々が新聞界に押し付けた制度のおかげで、
吾々は真面目に反駁する必要がない位である。

 又吾々は半官紙を用いて、
反対新聞に吾々が掲げさせた輿論の風見気球をも強く否定することが出来る。


 フランスの新聞界はフリーメーソンの相互連帯が成立し合言葉もある。
すべての言論機関は職業上の秘密で結ばれている。

 すでに過ぎ去ったものでも、
前兆であったものは如何なる新聞でも命令でなければ秘密を暴くことはない。

 誰も之を敢えてしないのは、文学指導者の仲間に入るには、
予て何か恥ずべきことをしたことのあるもので、
その後不謹慎なることがあれば、直ちに之を暴露することになっているからである。

 この不行跡は極めて少数の人にだけ知られているのであるから、
新聞人としての権威は外国迄広がっている。
 そして民衆の間に名声を博しているのである。 


 吾々の計画は特に地方を包含し首都のものに対する野心と反対の希望とを激発せなければならぬ。
吾々は首府に向けてそれ等の野望を地方の主張であり見解であるとして現わさなければならぬ。
これ等の運動は吾々が主となって鼓吹するのである。


 吾々が公式に政権を執る迄は、首府は地方の輿論の下に置かなければならぬ。
言い換えれば吾々の手先が組織した大多数で制圧していくのである。
大事件になった時には首府は既成事実に対しては争うことはできない。
何となれば地方の大多数が承認しているからである。


〔新体制〕
 新体制とは吾々が権力を執る前の過度期であるが、
吾々は其の新体制の階級迄進んだ時には、
吾々は最早新聞に社会の腐敗記事を取り扱はせないで、
新体制はかく迄萬人を満足させたから最早罪を犯すものもないと信じさせなければならぬ。

 もし犯罪があったら、
何人も被害者と偶々通り合わせた証人だけしか知らないのである。

     「ひとりがたり馬渕睦夫」
   #8 ディープステートの正体とは?

    




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