四王天延孝著『ユダヤ思想及び運動』
附録第三 シオンの議定書
第十三 議定
民衆の心理をまどわす法・・・・・・進歩は迷想
〔民衆の心理をまどわす法〕
日常のパンの問題はゴイムをして黙々として吾々の従順な僕に甘んぜしめるに至った。
彼の中から吾々の新開に使ふ為に優秀な手先を選んだが、
吾々が公文書で明らさまに說明するのは、
都合の悪 い問題が起る度ごとに、
その手先が吾々が発表を命じた事を論ずるのである。
彼等が盛んに論戦をして居る間に吾々が考へた規則を発布して之を既成の事実として人民に示すと、
それは萬民の運命を改善する為の処置だとして示す限り、
何人もかくして發布された法令を撤回せよと要求するものは無い。
新開は既に此の時には新しい問題を取り上げて一般の注意をその方に引きつける。
吾々が永い間民衆を絶えず新しい感覚を求める方へと馴らして來たことは周知のことである。
愚かな「運命の人達」は 彼等が議論してゐると云ふ問題に就てどれだけ無智だかを諒解しなかったし、
今なお諒解して居ない癖に、この問題について喋下舌することに急である。
も一度繰返すが、
政治問題は唯之を作って之を幾世紀以來深く硏究して來た人でなければ理解し得ないのである。
之迄の事から諸君既に明らかであらう。
人民の與論を導く為には吾々の機關の働きを善くするだけで足りるのである。
又諸君は吾々が吾々の行為では無く、言説に賛同させる様に努力して居ることに諒解せられるであらう。
吾々は常に、
吾々の政策は、一般の幸福に役立ことの希望と確信を以て方針として居ることを声明して居る。
常に同様して居る民衆が政治問題を論ずるのを防止する為に、
吾々は別の飼料として商工業の問題を與へた。
此問題ならは彼等がどれ丈でも騒いでも宜しい。
大衆を政治問題から離れて居ることに同意させるには他の樂みを與へなければならぬ。
即ち例へは政治問題の様に取扱はせる商業などである。
元と元と
吾々自身がゴイムの政府に対する吾々の政戦に於て大衆の支援を得る為に彼等を連れて来たのであった。
彼等が獨立的に何等の決議をしない様カルタ、見せ物、遊び場等の娱樂を以て慰めるのである。
その内吾々は新聞の仲介によって、
美術、各種スポーツの範圍で優勝者の奨励を行ふことを始める。
此れ等の娯樂は、
吾々が人民と争はなければならない政治問題から徹底的に民衆を方向転換させる。
民衆が次第に自由を考える習慣を失ったならば吾々と結ぶことを考へ始めるに違ひない。
何となれば吾々丈が、表面無関係な人々を仲介として、
彼等に新しく考えべき事柄を提供するからである。
〔進歩は迷想〕
吾々の政策が承認されると自由主義空想理論の役割は終るのである。
それ迄は彼等は大變に吾々の為に役立つのである。
吾々は、彼等が進步主義と思ふてゐる空想論理論の方へ彼等の思想を導ひて來た。
なぜなれば「進步」と云ふ言葉を以て、
吾々は馬鹿氣たゴイムの頭脳を轉廻させることに成功したのである。
ゴイムの中にはこの言葉が物質上の発明に当てはまる外は、
単に虚偽な陥穴を覆ふものだと云ふことの判る頭脳を持った人間が居ないのである。
素より真理は一つしか無いから進步の入り込む余地は無いのだ。
進歩は誤った構想であるから、神の選民たる吾々だけが知ってかなければならぬ。
吾々その心理の番人であるから吾々だけ知らなければならぬ。
吾々の征服が出來上ったならば、
吾々の辯士は人類をごたつかせた大問題を論議し之を終に吾々の神聖なる律法の下に持ち帰るであろう。
その時になったならば、
今までの總ての問題は幾世紀に亘って何人にも暴露されなかった政策を用いて、
吾々が提出したのであったことを疑ふものは一人も無いであらう。