日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

頭山満述「英雄ヲ語ル」高杉晋作(5) 高杉と筑前勤皇黨  

2020-05-22 09:53:08 | 頭山 満


 頭山満 述 高杉晋作(5)  
   
     
 
      

高杉と筑前勤皇黨 

高杉が九州に逃れのたは元治元年高杉二十六歳の時だ時だ。
此年の八月、征長の令が下り、征長軍は、長州四邊に迫った。
藩内の俗論黨は此時とばかり蜂起し、勤皇派に抗爭した。さうして其頃、長藩重役中正義派唯一人の長老であった、藤田公輔(周布政之助)も同志を勵まさんとして自邸で憤死し、俗論派が全く藩政を支配することとなった。

 高杉は正義派の領袖として俗論黨から睨まれ、大いに身の危険を感じ逸早く脱奔を企てたのだ。
九州行を高杉に勧めたのは筑前勤皇の浪士中村圓大だ。

 中村は筑前勤皇家中でも、極めて勇壮、熱血の士で、平野國臣と共に、挺身、尊攘運動に實践した志士だ。

 長州では、唯野人と言ふいかにも變名らしき名を用ひてをつた。中村は、長州正義派を救くる爲に、九州連衡の策をたて、矢張り筑前藩の、淵上郁郞と相圖り連絡をとってをつた。高杉は「谷梅之進」の變名で、中村等と九州に渡った。

   心膽未灰欲 國欲灰
   何人拂盡  滿城埃
   變姿各炭  吾曹事
   且瀉丹心  共一杯  

 これは脱奔直前、病中の井上聞多を見舞った際の詩だ。更に彼は奇兵隊の軍監山縣狂介(後の有朋)を訪ひ、物來の囘天の大業を語り合ひ、行燈を引き寄せ行燈の紙に、
    燈火の影細く見る今宵かなの  一句をものした。

 彼は脱藩恍忙の際にも猶綽々たる襟度を見せ、おもむろに、捲土重来の時に備へ、親友井上、山縣を歴訪して將來囘天の大業を打合せたのだ。
 彼等が關門海峡を渡ったのはタ陽海に映ゆる頃だ。高杉は慨然として古詩一篇をし賦て居る。
    一順逆
    一賞罰 
    賞罰與順逆 天理今猶昔 
    東藩暴威盛 大擧來迫城 
    城中俗論起 骨肉欲相爭 
    一夜天花墮 俗議如烈火 
    俗議如火矣 大罰將及我 
    断然脱繋囚 潜伏山亦舟 
    幸有二士在 使吾去吾州 

    君不見楠公護鳳輦  更有尊氏反 
    又不見南宋衰亂間、 生一文々山 
    順逆賞罰尋常事丈夫爲之豈届志。

 又中村圓太の詩の次韻に、
    追君千里獨陪従
    正是微軀危急時
    蠖屈龍伸丈夫志 
    作奴作僕又何差
と詠み雌伏隠忍、囘天の志を述べてをる。 

 舟が福岡に近づくと、福岡城が眼前に現はれ來り、遠く海上に外國船の帆檣を認めた。高杉は意気昂然として、
    玄海洋上行欲半
    波浪高虞見蠻檣 
と詠った。

 福岡に入って、高杉は筑前勤皇の領柚、月形洗蔵の斡旋で、勤皇家、野村望東尼の平尾山荘に世話になることになった。 
      

 望東尼は福岡藩士野村貞貫の未亡人、貢貫と死別後佛門に入り、望東禅尼となったのだ。
望東尼は勤皇の志厚く、筑前勤皇の志士は勿論、各藩勤皇浪士が多く世話になった。 

         

 高杉の山莊滞在は、僅か十日ばかりであったが、尼は月形等と計って至れり盡せりの世話をした。高杉が山荘に落ちついて月形が早速訪ねて來たのに對し、高杉は、

    賣國囚君無不至    
    我呼快擧在斯辰  
    天祥高節成功略  
    欲學二人一爲一人  
と吟じ、月形も亦次韻したが其中に、
    晝策何無草莽臣 
    棒身天日在此辰 
と高杉の心境を詠った。

 望東尼は品高き女文夫であったが、歌は大隈言道の高弟として有名である。

    もののふのやまと心を縒りあはせ 
      すゑ一すぢの大縄にせよ 

 この歌も各藩勤皇の士が大同團結して忠誠を致すべきを説き、高杉を戒めたものだ。 
月形は勤皇黨の一人瀬口三兵衛を、高杉の爲炊事役に小間使に國學者吉村千秋の娘吉村清子を世話した。
 清子は十四歳であった。高杉は試みに清子に大和心を養ってをるかと糺してみたが、清子は即座に筆を執って、

     われもまた同じ御国に生れ来て
       大和心を知らざらめや 
と答へ乙女心の意気を見て、高杉を歡喜せしめた。

 高杉が筑前滞留は僅かに二週間位であったが、此間長州の状勢は急轉直下した。

蛤御門の變に關係した、三家老が切艘を命ぜられ、三條公等諸卿が九州に分送された。正義派は漸く追ひつめられ僅かに長府に餘勢をおさへてをる。三十六藩の征長軍が逷逷境に迫った。長州の正氣は将に地に墜ちんとしてをる。 

 高杉は右の情報を傳へ聞いて、愈々挺身囘天の策を断行することに決し、孤剣慨然長州にる歸ることとなつた。 

 望東尼はかねてより此事あるを信じ、高杉の為に用意して置いた、羽織や袷や襦袢などを取り揃へ
    山々の花散りぬとも谷の梅
    開く春邊を堪へて待たなん
との餞別の歌と共に高杉に贈った。

 月形等筑前勤皇黨に送られ、勇躍して博多を立った。疾風迅雷、驚天動地の高杉の大活躍はこれからだ。
 

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