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頭山満 述 「英雄ヲ語ル」 西郷隆盛(6)
自愡を排す
大西郷の詩に、
我有千絲髮
〇(不鮮明、?)々黒於漆
我有一片心
皓々白於雪
我髪猶可斷
我心不可截
と言ふのがある。
大西郷は、格別に、大鹽中齋(平八郎)を欽慕してをつたやうぢゃが、大鹽中齋も「鏡に對し鬢髮の乿るるを憂へず、ただ一心の亂るるを懼れよ」と戒めてをる。
昔から自惚と何とかの無いものは無いと言ふが、實にうがち得た諺で、自愡のない人間は仲々少いやうだ。
併しながら人間、自愡が出たらもう行き詰りぢゃ。
大西郷は南洲遺訓に、
「古より君國共に己を足れとする世に、治功の擧りたることなし。自己を足れりとせざるより、下々の言も聴き入るゝものなり。自己を足れりとすれば、人若し己れの非を云へば忽ち怒る。故に賢人君子は之を助けざるなり」と言うのである。
平几の敎のやうで實は仲々いい訓だ。
外交の要諦
大西郷は又外交の要諦を訓へてをる。これも遺憾ながら、我國從來の追従外交に對するに頂門の一針だ。
即ち、「正道を踏み、國を以て斃るるの精神無くんば、外國交際は全かるべからず、彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に從願するときは輕侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受くるに至らん」と云ふのだ。
實に名敎だ。併しながら、我國在來の軟弱外交に對しては、大痛棒だ。
近頃は漸く政治家や外交官連中も少しづつ眼が醒めて來たやうだ。從來我國の外交はどうだ。大西郷の此遺訓を見たら、穴にも入りたい気がするであらう。
英國の國威に畏れ、米国の國富におののき、阿諛便侫の、追従外交に一時一時を糊塗したのはつい此頃までぢゃ。
「正道を踏み、國を以て斃るるの精神」此氣魄、此信念を以て、從来日本が、樽爼折衝してをったならば、英、米の驕慢を遂うの昔反省せしめてをつたであらう。
肇国の精神に徹せよ
明治維新以來、我國の朝野は、西欧の文化を吸収するに急にして、到頭外國文物に中毒し、外國文化に眩感し、心醉した。馬鹿々々しきことだ。外國の文明、開化を吸牧するのは、手段ぢゃ。目的ぢゃないのだ。 何も彼も外國文化にかぶれ、その我が肇國の精神を忘れたからだ。
我國には我國傳統の尊いものがある。即ち我體と日本精神ぢゃ。外國文化は、これを一層輝かすべき、手段に過ぎぬのぢゃ。外國の文物、一にも二にも外國かぶれは、我國自らを卑くするものだ。
嘗て、國士館の會合の際、金子(堅太郎伯)が、支那人は仲々悧巧で、英語などもうまく話すが、日本人は英語が下手で困ると言ふから自分が即座に言ふたことであった。
「日本人はそれで結構ぢゃ。英語など下手で結構ぢゃ。國の勢力が隆々となり其國が他國を支配するやうになれば、其國の語が自然と使はれるやうになる。將來は、世界中、日本語を使ふやうになる。又さうさせねばならぬ」と言うたら金子も黙ってをつた。もう今の日本の勢ひだと東亜諸民族は勿論、世界の各民族が嫌でも日本語を使わねばならぬことになる。
國の本體を忘れ道義風教を怠り、一にも二にもい歐米諸國の模倣に汲々として魂まで奪われた時代が馬鹿馬鹿しい。昨今漸く目醒めて来たのが何よりぢゃ。
大西郷は南洲遺訓に
「廣く各國の制度を採り、開明に進まんと欲せば、まず我國の本體を立て、風教を張り、而して後徐に彼の長所を斟酌すべし。然らずして猥りに彼に倣はば、国體は衰退し、風教は委縮して、匤救すべからざるべし」と訓戒してをる。
實にいい戒めぢゃ。
明治以来、我國政治の運營はどうであつたか。思想問題はどうか。風教はどうか。
政治家も教育家も、西郷さんに、お恥ずかしい話だ。我國體と相容れざる、自由奔放の政治、経済が跳梁する。共産思想までが流行する。男女の風儀は目を追うて浮華淫蕩となつた。
幸ひ、満州事変以来、國民の大部分が、日本精神に歸り、互ひに反省し相戒め来たのは喜ばしい。