日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

頭山満述「英雄ヲ知ル」西郷南洲(1) 天人合一の大人格

2020-05-25 11:10:52 | 頭山 満


 頭山満 述  西郷隆盛(1)
   

  
人合一の大人格 
 夥(おびただし)くある大西郷の詩の中に、
   世上の毀譽、輕きこと塵に似たり
   眼前の富貴、僞邪、眞邪
   想ひ起す、孤島幽囚の樂
   今人に在らず、古人に在り 
と言ふのがある。
人生を達観した、達人の詩として自分は永く愛場し來ってをる。
此詩を通
じても、大西郷の錬達された、大人格が歛墓せらるるのだ。

 又、南洲遺訓の一節に
「人を相手とせす、天を相手にすべし。天を相手にして己を盡し、人を咎めす、我誠の足らざる所を尋るべし」と言ふのがある。これは、千古の名言として汎く人口に親炙してをる。
「人を相手にせす、天を相手にすべしとは實に、神韻だ。此超脱せる大精神が、大西郷をして、萬古不易の大人格としたのだ。
 而も
 「天を相手にして、己を盡し、人を咎ず、我誠の足らざる所を尋ぬべし」
と喝破してをる、誠に至言である。天を相手とし、自分の全神、全靊を献げ、至誠を傾倒しさてその成敗は一切、天の攝理に委ぬるのだ。
 
 更に又
「道は、天地自然のものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛すべし」
と訓へてをる。
 敬天、愛人、天人合一の大人格、大西郷に依って始めて之を観るの感がある。
古人も「誠は天の道なり、之をして誠ならしむるは人の道なり」と敎へて居るのもここのことちゃ。
貧富、賢愚、美醜、強弱と色々、形は變ってをつても、人間は、各々、天の與へられたる使命がある。
  
    巨大なる風格 
 海南の奇傑、坂本龍馬が、初めて、大西郷の風才に接し「西郷と言ふ男は、實に奥底の知れぬ大人物ぢゃ」と感瑛したと言ふ話であるが、同じく土佐の人傑、中岡慣太郎も、大西郷を評し、「此人、學識あり、膽略あり、常に寡にして、最も思慮雄斷に長じ、適ま一言を出せば、確然、人腸を貫く、且つ徳高くして人を報し、屢々、艱難を経て頗る事に老練す。其誠意、武市(瑞山)に似て、學識有之者、實に知行合一の人物也。此則ち、當世、洛西第一の英傑、云々」
と言ふやうに極めて南洲を、賞揚してをるのを観ても、如何に大西郷が偉大であったか凡そ想像が出來る。

 大政奉還の際、幕府の代表的人物に勝海舟があった。仲々の傑物で、大西郷と肝膽相照し、此兩雄の方寸、遂に、江戸を兵火の惨より救った。談笑の間、江戸城明け渡しをやり、大政奉還の大業を成就したのであるが。
大西郷は、其の以前、傑出せる勝の風格を墓って、勝が、海車練習所を預ってをる頃、人を介して初めて會ってをる。而して、勝との初對面の印象を、大久保(利通)に言ひ送ってをる。
 
「勝氏に初めて會ったが、實に驚き入った人物ぢゃ。實は事によったら、やり込めてやらう位思って會ったが、仲々どうして、頓と頭を下げ申した。どれたけ智慧あるやら知れぬ鹽梅に見受けた。英雄、肌合ひの人物で、佐久間(象山)より一層物事の出来るやに思ふ。學間と見識とでは、象山抜群のことであるが、現在事に臨んでは、勝先生だと、ひどく惚れ申した。」
と言ふやうな意味のことを書き、勝海舟の人物風格を激賞してをる。
英雄、英雄を知ると言ふ譯だ。
  
 このやうに、勝海舟翁も亦、大西郷の心事を一番よく知ってをる。大西郷が、●(印字不明)勃たら勤皇報國の赤誠を蔵しながら、空しく山の露と消えた時、心友、勝海舟はいたく大西郷の死を悼み、心境を洞察し
  亡友南洲氏風雲定大是云々
の詩を手向けたが、さすがに南洲翁の心事を最もよく知るだけ實によく出來てをる。
   亡友南洲氏
   風雲定大是
   拂衣故山去
   胸襟淡如水
   悠然事躬耕 
   鴫呼一高士 
   豈竟紊國紀 
   甘受叛賊訾 
   笑擲此殘骸 
   以付教弟子 
   毀譽皆皮相 
   雅能察微旨 
   唯有精靈在 
   千載存知己 
 
 土佐の有志家で、島本仲道と言ふ元気者が居った。海南の奇傑を以て自ら任じただけあって、
仲々気骨のある男ぢゃ。
 島本が司法省に居る頃、たしか、丸山作樂か何かの事件の時と思ふが、島本は衆人調座の中で、西郷を罵倒し、
「西郷々々と曾うて、世間では、貴方のことを何か人間以上のやうに言うてをるが、自分には、トント理屈が判らぬ。同志の者共が、多く、獄裡の人となり、不遇に呻吟してをるのに、貴方のみ、獨り恬然として、維新の元動ぢゃ、何ぢゃと、大道を闊歩してをるのは何たる情ぢゃ。同志の苦を見殺しにするやうな男が、何の大人物ぢゃ。自分の眼から見れば、蟲ケラも同然ぢゃ」
と、持ち前の氣一本で、痛烈に遣っつけたさうぢゃ。

 ところが、大西郷は、只黙々焉として
頭を下げ聞いて居ただけで、遂に一言も發せなかったさうぢゃ。すると、島本は「どうですか、一言の解も出來まい」と追及したさうだが、西郷は、依然、默々として、更に一言の言葉もなかったぢうちゃ。
するとその翌日は、大西郷の崇敬者達はこれを傳ヘ聞いて、いきり立ち、大西郷のとこらに押しかけ、島本の不遜と無禮を罵倒し、「實に不届至極の奴ぢゃ、生かしては置けぬ。あんな奴を同法省に一刻たりとも置く譯に參らぬ」と、口々に島本を罵った。 

 すると、西郷が、徐に口を開いて、「おう、彼の人が、島本さんでごわしたか、仲々偉い人ぢゃ。島本さんに言はれて見れば、どうも、西郷には、一言もごわせん。ああいふ確かりした人が「司法省に居られるので、おいどん達も安心でごわす」と、島本を讃嘆したので、意氣込んでをつた一同、開いた口が塞がらなかったと言ふ話ぢゃ。 
  一方、島本は、大西郷の此一言を傳え聞いて始めて、西郷の偉大さに感動し、「ああ、失禮なことを言うた、自分等とはとてもケタが違う」と、敬服したと言ふことぢゃ。 

  


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