みなさん、『チャレンジド』って言葉を知っていますか?
私は最近、ある方のブログを通してこの言葉を知りました。
『チャレンジド』=『障害者』を意味する言葉だそうです。
こう定義されていました。
Challenged(チャレンジド)というのは「障害を持つ人」を表す新しい米語「the Challenged (挑戦という使命や課題、挑戦するチャンスや資格を与えられた人)」を語源とし、障害をマイナスとのみ捉えるのでなく、障害を持つゆえに体験する様々な事象を自分自身のため、あるいは社会のためポジティブに生かして行こう、という想いを込め、プロップが1995年から提唱している呼称です。
なんか、言葉ってきれいごとなんですかね…
ってひねくれた気分になるのは私だけなんですかね?
『神様からチャレンジという使命を与えられた人、試練に挑戦する使命を与えられた人という意味である。すべての人間は、生まれながらに自分の課題に向き合う力が与えられている。しかも、その課題が大きければ大きいほど、向き合う力もたくさん与えられている、という考え方に基づいて作られた新語である。障害をマイナスとして捉えるのではなく、障害をもつ故に体験するさまざまな事象を自分自身のため、あるいは社会のためにポジティブに生かしていこうという意味合いである』
私は立派に障害者です。
どんなにキレイな言葉を使って言い換えたり、立派な意味合いを持たせたって、やっぱり障害者には変わらないと思う。
言葉なんてどうでもいいじゃんって思えます。
最近、「障害者」ではなく「障がい者」とか「障碍者」へと表記を替える動きが活発だけど、本当に障害を持って暮らしている人が望んでいるのは、文字がもつ意味や印象を変えることじゃなくて、法整備だったり、心のバリアフリーだったり、もっと生きやすくなることを望んでいるんじゃないのかな…
なんか、かえって、障害者って言葉を、できるだけ印象のいい言葉に置き換えようとする動きをみていると差別の心が見えているような気がしてしまいます。
だって、結局は、健常者と障害者を区別しているのには変わりないのだから…
なんか、さみしい気持ちになってしまいました。
私は最近、ある方のブログを通してこの言葉を知りました。
『チャレンジド』=『障害者』を意味する言葉だそうです。
こう定義されていました。
Challenged(チャレンジド)というのは「障害を持つ人」を表す新しい米語「the Challenged (挑戦という使命や課題、挑戦するチャンスや資格を与えられた人)」を語源とし、障害をマイナスとのみ捉えるのでなく、障害を持つゆえに体験する様々な事象を自分自身のため、あるいは社会のためポジティブに生かして行こう、という想いを込め、プロップが1995年から提唱している呼称です。
なんか、言葉ってきれいごとなんですかね…
ってひねくれた気分になるのは私だけなんですかね?
『神様からチャレンジという使命を与えられた人、試練に挑戦する使命を与えられた人という意味である。すべての人間は、生まれながらに自分の課題に向き合う力が与えられている。しかも、その課題が大きければ大きいほど、向き合う力もたくさん与えられている、という考え方に基づいて作られた新語である。障害をマイナスとして捉えるのではなく、障害をもつ故に体験するさまざまな事象を自分自身のため、あるいは社会のためにポジティブに生かしていこうという意味合いである』
私は立派に障害者です。
どんなにキレイな言葉を使って言い換えたり、立派な意味合いを持たせたって、やっぱり障害者には変わらないと思う。
言葉なんてどうでもいいじゃんって思えます。
最近、「障害者」ではなく「障がい者」とか「障碍者」へと表記を替える動きが活発だけど、本当に障害を持って暮らしている人が望んでいるのは、文字がもつ意味や印象を変えることじゃなくて、法整備だったり、心のバリアフリーだったり、もっと生きやすくなることを望んでいるんじゃないのかな…
なんか、かえって、障害者って言葉を、できるだけ印象のいい言葉に置き換えようとする動きをみていると差別の心が見えているような気がしてしまいます。
だって、結局は、健常者と障害者を区別しているのには変わりないのだから…
なんか、さみしい気持ちになってしまいました。