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あおぞら日記

おいしい嚥下食♪楽しくお出かけ♪在宅生活♪いろんな想い♪

発表⑤■私が望む、援助のかたち

2012年07月14日 | 発表 「障害受容」
ずいぶん放置してしまったけど、今日は発表シリーズを更新します。
今日で最終回。
今回は、私が想う、「援助すること」を書いていきます。
長くなると思いますが、お付き合いください。

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●「障害受容」は援助できるのか?

私は、「受容する」ことに対して直接的な援助は難しいと思っています。
それは「受け容れる」という過程は当事者の内面的要素や価値観に大きく影響されるもので、第三者が口をはさむことではないと思うからです。

でも、障害とは折り合いをつけて生活していかなくてはいけません。
それには、寄り添う人の存在が不可欠です。
障害と折り合いをつけていく過程は、一人で立ち向かうのは難しい。
でも最終的には自分次第なのです。


●医療職やケアスタッフに望むこと

それは、「受容すること」の援助ではなく、「理解すること」の援助です。

障害を乗り越えるとか受け容れるとか…
そういうことではなく
障害と「折り合いをつける」「共存していく」その方法を見つけていく手伝いができるのが専門職の役割であるのではと思うのです。
動かないこと、治らないことを分からせることが目的じゃない。
「動かない、治らないけど、折り合いをつけていかなくてはいけないこと」を理解してもらうように努力してほしいのです。


●理解を促すにはどうする?
その方法は、人それぞれです。
理解の程度もそれぞれ、そのときの気持ちによっても変わってくるものなので、
そのとき、その人に合わせて説明の仕方も変えなくてはいけません。

いろんな想いを傾聴してもらうことで整理できる人
理論的に説明されて納得する人
何度も繰り返し言われてようやくわかる人

いろんな人がいます。
その人に合った方法で理解を促すこと。
それが寄り添うことにつながります。

●心の支え

医療職などがどれだけ寄り添ってくれても、どうしても言えないこともあります。
身近な存在になったとしても、スタッフはやはりスタッフ。

そんなとき、肯定も否定もせずに受け入れてくれた家族の存在は大きかった思います。
そして、いままでと変わらない友達の存在も大きかった。
身近な支援者の存在は大変重要です。

私には、
医療職は「理解すること」の援助、家族や友人は「受け容れること」の援助
この関係がよかったと思います。

かといって、私自身、「受け容れる」ことができているかには疑問が残りますが…
障害と折り合いをつけて生活していくことが出来ています。


●さいごに…
「障害受容」について、私の想いを書いてきました。
当事者の内面的要素を「障害受容」っていう型にはめる必要はなく、障害があっても折り合いをつけて生活していくことが大切です。
そして、その「折り合いをつける」過程には、寄り添ってくれる人の存在が必要不可欠です。
医療・ケアスタッフには「理解すること」を援助することができます。
そのとき、その人に合った説明をしていってほしいと思います。


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これでおしまいです。
長々とお付き合いありがとうございました。
いかがでしたか?
ご意見・ご感想、大歓迎です。
よかったら、コメント欄やメッセージにどうぞ。

ここまで5回にわけて書いてきましたが、
同窓会のホームページからレジュメが見られるってオチが…(苦笑)

発表④■「理解すること」と「受け容れること」

2012年07月01日 | 発表 「障害受容」
今日から7月なんですね~

今年も半分終わっていたのか…早いな~
でも、前半ではこの発表もできたし、自分なりには結構充実していたのかも。
がんばったぞ、私(笑)

ってことで、続きにはいりまーす。


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●理解すること=受け容れること?

障害や予後について「理解すること」
障害や予後について「受け容れること」

これはイコールの関係なんだろうか?
わかっていても、気持ちがついてこなことってありませんか?
理解していても、受け入れ難いことってありませんか?

ここでちょっと体験談…
私は、歩くのが難しくなっても歩行訓練を止めようとはしませんでした。
どれだけリハビリを頑張ったからといって、歩けるようにならないことは十分理解していました。
いちおう元OT。そして自分の体。
そんなことは自分が一番わかっていました。

でも歩行訓練を止めなかった理由は「トイレに行きたいから」
担当PTに言われました。
「ポータブルトイレ置けばいいじゃん」って…

それが一番現実的なのはわかっています。
だけど、友達も遊びに来る部屋にトイレなんて置きたくないんです。
私、まだ28歳(当時)…
羞恥心だってあるんですけど…


こんなことがあったんですね。
自分の能力はわかっているけど、それ以上に譲れないことがある。
だけど、この時のセラピストたちの評価はまさしく、「障害受容できていない」になるのでしょう。

理解できれば受け入れられるわけではない。
でも、理解できなければ受け入れることはできない。

わかっていても、複雑な想いがあって受け入れられないことがあるのです。
やっぱり、「理解すること」と「受け容れること」は違うのです。


●じゃあ、障害受容って援助できるの?

障害を受け容れるということは、当事者の内面的な要素に依存します。
では、医療・介護・福祉の専門職は「障害を受け容れること」を援助することはできるのだろうか?


*ここでディスカッションを挟んでいただきました。
ディスカッションのテーマは…

あなたが『支援者』なら、援助できますか?
あなたが『当事者』なら、どうしてほしいですか?

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実際の研修会では、ここで15分間のディスカッションを予定していましたが…
なんと25分も話し合っていただけました。
私は遠くから眺めていただけですが、話し合いの声が漏れ聞こえてきて。
「揺れるよね」
「聞いてほしい」
「説明はしてもらいたい」

いろんな声が聞こえてきて、わくわくしました。
こうやって、当事者の気持ちを考えたりすることこそ、「寄り添う」ってことじゃないのかな?って。

次回はクライマックス。
私が望む、「障害受容」の援助について書いていきたいと思います。

ではでは~

発表③■障害って受容しなきゃいけませんか?

2012年06月27日 | 発表 「障害受容」
だいぶ空いてしまったけど、発表のこと再スタート。
今回は、私の「障害受容」に対する想いを書いていこうと思います。


●「障害受容」って誰のための言葉なの?

これは、私は自信を持って言える。
医療・福祉関係者のための言葉です。

だって、障害をもった当事者は、こんな心の内を概念に当てはめる必要なんてないし。
そんな機会はありません。
むしろ、医療・福祉関係者に当てはめられることに嫌悪感を抱いている人がかなりいるのが現実です。
「障害受容」という言葉は、当事者からは好かれていないのです。

そして、「障害受容」って言葉。
都合よく使っていないだろうか?

信頼関係が上手く作れないとき。
治療が思うように進まないとき。
なかなか理解が得られないとき。

「あの人は障害受容ができていない」と言ってはいないですか?

本当に受容できていないのですか?
それが本当の問題点ですか?


●そもそも、障害って受容しなきゃダメですか?

体のどの機能が失われたって、辛いものは辛い。
それを受け入れるのは容易なことではありません。
時間が解決してくれる?そんなに甘くはないのです。
段階論や価値転換論のように、障害をネガティブに捉えないというようなことが言われるけれど、実生活には確実に不便を感じるし、誰かの手を借りないと生活出来ないのだからそんなに簡単にはいきません。

じゃぁ、受容できていないからと言って困ることもないのです。
受け入れるとか、受け入れないとか、そんなことより、生活していくうえで折り合いをつけていくというのが一番近いのかもしれません。
歩けないことを受け入れたから、車いすに乗っているのではなくて、ただ生活していく移動手段として仕方なく使っているという感じです。
移動手段がなくては、ただの寝たきりになってしまうから。
だから使っているだけなのです。
だって、歩けるんだったら歩きたいんだから。

こうやって、生活していくために折り合いをつけていっているのです。
だから、私は障害を受容しているかではなくて、生活していけるかどうかが重要だと思うので
す。

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今回はここでおしまい。
なかなか上手くまとまりませんな~
難しい。
わかりにくくてすみません…
でも最後までがんばりますので、お付き合いください。

発表②■「障害受容論」は机上の空論?

2012年06月02日 | 発表 「障害受容」
発表シリーズの第2回目は、私の「障害」についての率直な想い、「障害受容論」への想いをお話しようと思います。

ここからが、私が実際にみなさんにお話をさせてもらった内容になります。
そんなに難しい内容はなくなるのでご安心をー。
では、のんびりはじめましょうー。


●はじめに…
私は、神経難病になって重度の障害が残り、「支援する側」から「支援される側」になりました。
いろんなことを考えさせられます。
『障害受容』って簡単なことではありません。
ずっと支援する側だったら気づかなかった、障害者になって見えてきたことを少しお話できればと思います。


●「障害受容」のイメージ
障害受容といえば、段階論。
そんなイメージないですか?
私は、学校で習った段階論のイメージが強く残っていました。そして、臨床に出て、リハビリ計画書では心理的要素の面で表記しなくてはいけなかったりしましたが、そこへ当てはめることの難しさを感じていました。
教科書的な知識では、評価なんてできない。
患者の心理を当てはめることの難しさ、その意味なんかを考えていました。


●「障害者」への想い
障害者手帳が交付されて、私は「障害者」になりました。
近年、「障害者」の表記が「障がい者」となってきています。
でも、私はあえて「障害者」と書いています。
なぜか…
それは、障害は私にとっては「害」だからです。
できたことができなくなった原因。
そう、「じゃま」「妨げ」なんです。
だから、私はいまでも「障害者」と書くのです。


●障害受容論を再読してみました
そこで、「障害者」になった私は、「あっ、障害受容論ってどんなっだっけ?」というただの思いつきでもう一度読むことになるのです。

段階論、価値転換論、社会受容論…
どれを読んでもしっくりこない……
違和感だらけのものでした。

とくに、価値転換論はとても頭に残りました。
こんなに上手く転換なんてできない。
私の障害に対する想いは、どの文献にも載っていない「諦め」に近いものでした。
価値の転換を強要された経験、それが思い出されてあまり気分のいいものにはなりませんでした。
障害はやっぱり自分にとっては「害」であって個性とは別のもの、価値の転換もできませんでした。


●「障害受容論」は机上の空論?
障害受容論を再読してみて、思うことは、受容の過程を型にはめるのは難しいってことです。

障害を持った人の感じることや障害の受け止め方はひとそれぞれ。
「頑張ろう」って思ったり「なんでこんなことになっちゃったの…」って思ったり常に揺れ動いているのです。
当事者の気持ちは、ポジティブになったりネガティブになったり忙しいのです。

健常者がどれだけ議論したって、そんな繊細な気持ちの揺れ動きなんて分からない、わかるはずがない。

障害受容論って机上の空論なんじゃないの?

そんな気持ちになってしまうのです。


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今回はここまで。
次回は、障害受容ってことばの使い方なんについて書こうと思います。
今回はちょっと堅苦しい内容の想いなので、こんな感じですが、だんだん患者の気持ちに近づいていけたらなって思っているので、そんな気持ちでよんでみてください。
ご意見、ご感想、大歓迎ですので、コメントやメッセージいれてください。
ではでは、また近いうちに…




発表①■「障害受容」ってどんなこと?

2012年06月01日 | 発表 「障害受容」
今回の発表のテーマは
障害者になって想う『障害受容』 ~私が望む、援助のかたち~

「障害受容」って医療や福祉の現場ではよく使われます。
でも、日常生活ではあまり耳にしませんよね。
ってことで、第1回目は、

「障害」って、「障害受容」ってどんなこと?
について書いてみます。

●障害ってどんなこと?
コレって、すごく難しい質問。
国語辞典で調べてみました…
「じゃま、妨げ」

それは、身体的なものであったり精神的なものだったり、それが原因の生活の制限だったり、社会参加の制限だったり多様なものですが。
でも、いままで出来ていたことができなくなったりするわけだから、「妨げ」なわけです。

●では、「障害受容」ってどういうこと?
「障害」を「受容」するってことですよね。
言葉にすれば簡単だけど、実際、そんなに簡単なことじゃない。
だって、「妨げ」を「受け容れる」ってことなんだから。


●日本における3つの『障害受容論』

*価値転換論:「障害受容とは、障害によって変化した諸条件を心から受け入れること」として紹介。

*段階論:障害受容には段階がある。ショック期⇒否認期⇒混乱期⇒解決への努力期⇒受容器

*社会受容論:「障害は障害者本人に内在するだけでなく、環境や社会がそれをどう受容するかに影響される」と発表。

このように、日本でも世界でも、「障害受容論」というものが結構あります。
時代の移り変わり、障害者である当事者からの発信によって、「障害受容論」はいまも議論されています。

●障害受容の本質は『価値の転換』だ
上田敏(1980)は、
『障害受容とは、諦めでも居直りでもなく、障害に対する価値観の転換であり、障害を持つことが自己の人間的価値を低下させるものではないことの認識を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転じることである』
と定義しています。

それは、簡単に言うと…

身体障害⇒不幸⇒価値あるものの喪失
     ↓
持っている価値を転換しよう!!
     ↓
障害を克服できる!!!    

障害があること、できないことは、恥ずかしいことじゃないよ。
もっとほかにできることがあるでしょ。
あなたの価値は障害の有無で決まることじゃなんだよ。
さぁ、ポジティブに考えてごらん!!

と、まぁ、こんな感じです。
はっきりとは言われなくても、こんな感じの雰囲気、感じたことがある患者さんは多いのではないでしょうか?

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あまりわかりやすいお話ができなくてすみません。
私の力不足です…
次回からは、私が実際にお話した内容にはいっていきたいと思います。
障害受容を考えさせられた経験、そこで考えたことなどです。
よろしければ、お付き合いくださいね~
「わかりにくんじゃ~ボケ~~」ってコメントも大歓迎です。