ずいぶん放置してしまったけど、今日は発表シリーズを更新します。
今日で最終回。
今回は、私が想う、「援助すること」を書いていきます。
長くなると思いますが、お付き合いください。
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●「障害受容」は援助できるのか?
私は、「受容する」ことに対して直接的な援助は難しいと思っています。
それは「受け容れる」という過程は当事者の内面的要素や価値観に大きく影響されるもので、第三者が口をはさむことではないと思うからです。
でも、障害とは折り合いをつけて生活していかなくてはいけません。
それには、寄り添う人の存在が不可欠です。
障害と折り合いをつけていく過程は、一人で立ち向かうのは難しい。
でも最終的には自分次第なのです。
●医療職やケアスタッフに望むこと
それは、「受容すること」の援助ではなく、「理解すること」の援助です。
障害を乗り越えるとか受け容れるとか…
そういうことではなく
障害と「折り合いをつける」「共存していく」その方法を見つけていく手伝いができるのが専門職の役割であるのではと思うのです。
動かないこと、治らないことを分からせることが目的じゃない。
「動かない、治らないけど、折り合いをつけていかなくてはいけないこと」を理解してもらうように努力してほしいのです。
●理解を促すにはどうする?
その方法は、人それぞれです。
理解の程度もそれぞれ、そのときの気持ちによっても変わってくるものなので、
そのとき、その人に合わせて説明の仕方も変えなくてはいけません。
いろんな想いを傾聴してもらうことで整理できる人
理論的に説明されて納得する人
何度も繰り返し言われてようやくわかる人
いろんな人がいます。
その人に合った方法で理解を促すこと。
それが寄り添うことにつながります。
●心の支え
医療職などがどれだけ寄り添ってくれても、どうしても言えないこともあります。
身近な存在になったとしても、スタッフはやはりスタッフ。
そんなとき、肯定も否定もせずに受け入れてくれた家族の存在は大きかった思います。
そして、いままでと変わらない友達の存在も大きかった。
身近な支援者の存在は大変重要です。
私には、
医療職は「理解すること」の援助、家族や友人は「受け容れること」の援助
この関係がよかったと思います。
かといって、私自身、「受け容れる」ことができているかには疑問が残りますが…
障害と折り合いをつけて生活していくことが出来ています。
●さいごに…
「障害受容」について、私の想いを書いてきました。
当事者の内面的要素を「障害受容」っていう型にはめる必要はなく、障害があっても折り合いをつけて生活していくことが大切です。
そして、その「折り合いをつける」過程には、寄り添ってくれる人の存在が必要不可欠です。
医療・ケアスタッフには「理解すること」を援助することができます。
そのとき、その人に合った説明をしていってほしいと思います。
*****************************************************************************************************
これでおしまいです。
長々とお付き合いありがとうございました。
いかがでしたか?
ご意見・ご感想、大歓迎です。
よかったら、コメント欄やメッセージにどうぞ。
ここまで5回にわけて書いてきましたが、
同窓会のホームページからレジュメが見られるってオチが…(苦笑)
今日で最終回。
今回は、私が想う、「援助すること」を書いていきます。
長くなると思いますが、お付き合いください。
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●「障害受容」は援助できるのか?
私は、「受容する」ことに対して直接的な援助は難しいと思っています。
それは「受け容れる」という過程は当事者の内面的要素や価値観に大きく影響されるもので、第三者が口をはさむことではないと思うからです。
でも、障害とは折り合いをつけて生活していかなくてはいけません。
それには、寄り添う人の存在が不可欠です。
障害と折り合いをつけていく過程は、一人で立ち向かうのは難しい。
でも最終的には自分次第なのです。
●医療職やケアスタッフに望むこと
それは、「受容すること」の援助ではなく、「理解すること」の援助です。
障害を乗り越えるとか受け容れるとか…
そういうことではなく
障害と「折り合いをつける」「共存していく」その方法を見つけていく手伝いができるのが専門職の役割であるのではと思うのです。
動かないこと、治らないことを分からせることが目的じゃない。
「動かない、治らないけど、折り合いをつけていかなくてはいけないこと」を理解してもらうように努力してほしいのです。
●理解を促すにはどうする?
その方法は、人それぞれです。
理解の程度もそれぞれ、そのときの気持ちによっても変わってくるものなので、
そのとき、その人に合わせて説明の仕方も変えなくてはいけません。
いろんな想いを傾聴してもらうことで整理できる人
理論的に説明されて納得する人
何度も繰り返し言われてようやくわかる人
いろんな人がいます。
その人に合った方法で理解を促すこと。
それが寄り添うことにつながります。
●心の支え
医療職などがどれだけ寄り添ってくれても、どうしても言えないこともあります。
身近な存在になったとしても、スタッフはやはりスタッフ。
そんなとき、肯定も否定もせずに受け入れてくれた家族の存在は大きかった思います。
そして、いままでと変わらない友達の存在も大きかった。
身近な支援者の存在は大変重要です。
私には、
医療職は「理解すること」の援助、家族や友人は「受け容れること」の援助
この関係がよかったと思います。
かといって、私自身、「受け容れる」ことができているかには疑問が残りますが…
障害と折り合いをつけて生活していくことが出来ています。
●さいごに…
「障害受容」について、私の想いを書いてきました。
当事者の内面的要素を「障害受容」っていう型にはめる必要はなく、障害があっても折り合いをつけて生活していくことが大切です。
そして、その「折り合いをつける」過程には、寄り添ってくれる人の存在が必要不可欠です。
医療・ケアスタッフには「理解すること」を援助することができます。
そのとき、その人に合った説明をしていってほしいと思います。
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これでおしまいです。
長々とお付き合いありがとうございました。
いかがでしたか?
ご意見・ご感想、大歓迎です。
よかったら、コメント欄やメッセージにどうぞ。
ここまで5回にわけて書いてきましたが、
同窓会のホームページからレジュメが見られるってオチが…(苦笑)