Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

Dark end of the street

2012-02-23 | 音楽

 

 Dark end of the street 。

 このソウルバラードの名曲中の名曲には、あまりにも沢山の思い入れがあり過ぎる。

 ホッホさんが私のハートに火を点けてしまったので、とてもコメント欄で返信するには収まりが悪い。

 改めて記事を立ち上げることにした。

 

 私とこの曲の最初の出会いが、ライ・クーダーだったのかジェームス・カーだったのか、今となっては判然としない。

 でも確実に云えるのは、最初に脳天を撃ち抜いたのは間違いなくゴールドワックス盤のジェームス・カーの歌声だった。

 本当にレコードが擦り切れるほど聴いた。

 そして来日コンサートにも行った。

 しかし、これは悲惨だった。

 過度のアルコールと精神障害で、あのゴールデンヴォイスは見る影もなく、立っているのがやっとの有様だった。

 そして最近は、どちらかと云うとライ・クーダーのアコーステックギターのインストゥルメンタル・ヴァージョンを聴くことの方が多くなった。

 

 改めてネットで検索してみると、カヴァーが多い。

 アレサ・フランクリン、パーシーー・スレッジ、リンダ・ロンシュタット、エルビス・コステロetc…

 それらを、ずっと聴いているとあっと云う間に時間が過ぎてしまった。

 なんて幸福な時間なんだ(笑)

 そして極め付けは、あの英映画の傑作「ザ・コミットメンツ」の劇中歌として歌われているじゃないか。

 さぁ、まとめて全部聴いてくれ。

 この熱いハートを、あなたにも。

 

 Dark end of the street on parade

 Ry Cooder

 James Carr

 Aretha Franklin

 Percy Sledge

 Linda Ronstadt

 Elvis Costello

 The Commitments

 ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリートの歌詞より

通りの突き当りの暗がりで
私たちはいつも逢う
他人の世界の物陰に隠れて
自らの罪を隠しながら
あなたと私、通りの突き当りの暗がりで
あなたと私・・・

時の流れは代償を要求するものさ
私達は奪った愛の代償を払わなければなら
ないんだ
それは罪なこと
愛は日増しに強くなるけれど・・・
今夜私たちは通りの突き当たりの暗がりで逢う
君と俺

彼らは見つけるだろう
私たちを見つけるだろう
彼らは見つけるだろう
いつの日か
君と俺、通りの突き当りの暗がりで

日が暮れて
街でばったり出会ったら
そのまま歩き続けよう
ああダーリン、泣かないで
今夜私たちは通りの突き当りの暗がりで逢う
あなたと私

 

 


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7 コメント

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どぶねずみみたいに美しくなりたい。甲本ヒロシ (ホッホ)
2012-02-25 01:47:24
ジェームス・カーの歌声骨の髄まで沁み込みました。CD買いに行きます。
リンダ・ロンシュタット何十年振りかで聞きました。こんなに歌うまかったんだ。

伊予市の花屋さんに時々行きます。
そこに、30歳半ばの女性の店員さんがいます。
その方は、少し障がいがあります。
初めて会う人は、直ぐには気がつかないかもしれません。
花を買う時は、できるだけその人に近付いて花のアレンジとかパッケージとか予算とか花の事について色々話をします。
いつも、一生懸命考えて顔を左に傾けたり右に傾けたり真剣です。
本当は、花など適当でいいのです。
彼女の純粋な魂に触れれば汚れた魂が浄化され幸福になれます。

散髪も伊予市の灘町商店街の南にある理容店に行きます。
昔、何気なくその理容店に入ると60歳半ばの散髪屋さんがいました。
聾唖の方ですが、少し耳は聞こえるみたいです。90歳近いお母様が、最初は通訳してくれました。
今は何も言わず座れば最後までお任せです。
凄く丁寧でカット1時間以上、髭そり15分シャンプー3回、電動式マッサージ10分いつもあまりの気持ちよさに何回か眠ってしまいます。
支障がある時は、指で頬を軽く突かれます。
何より良いのは、お互いが気を使ってお喋りしなくていいのです。
最初に、オールバックにしたので仕上げは一糸乱れぬ角刈りみたいなオールバックになります。代金を払いお見送りされ見えなくなると手櫛で髪をバサバサにしてから整えます。
そのままだとあまりにも恥ずかしいので。

亡くなった兄(障がい者)の面影や一緒に暮した時間を求めて自然とこの人達と出合ったのかもしれません。

以前、ランスケさんにとってブログとはの問いに返って来た答えはアイデンティティー(自分自身)でした。
生前の病身の母親の写真をネットで公開(晒す)する覚悟には恐れ入ります。
ご期待にはなかなか添えませんが私なりにやってみます。
河合隼雄の「大人の友達」に理想の形は茶飲み友達だとあります。
これからも「茶飲み友達」でいたいのでキツイ時や着いていけない時は(メンドクサイ)と言うので今後ともご贔屓に宜しく。
返信する
物語の再生 (ランスケ)
2012-02-26 01:18:21
ホッホさん、好いコメントですね。
誰かの借り物の言葉でなく、あなたの声を聞きたかったので嬉しいです。

そうですね。
私は、あのとき「アイデンティティー」と云ってしまいました。
そしてリアリティとまで表現してしまった。
はは…これは凡そ、私の語り口とは、かけ離れた言い回しでした。

私が10年間続けてきたHPを閉めてブログへと移行したのは、
どうしても私自身が「物語」を必要としていたからだと思います。
「日記」という形式をとった「私」という一人称で語られる物語です。
もちろん、そこには嘘はないがリアリズムとは
程遠いと思う。
私という視点は、いつも何処か日常を逸脱しているから。

私は、この2年間で父や母が衰え、やがて死んでゆく過程を克明に記録してきました。
そして人の死が、残された者に、どう作用してゆくかを。
でも、それは事実だけを記録したリアリズムとは、やっぱり程遠い。

でもリアリティって何だろうね?

震災を目の当りにして、私たちが便利さと快適さを求めて築き上げてきた
文明というリアリティが一瞬で瓦解するのを目撃した。
グローバル世界は、限られた資源を富を、ほんの一握りの富者が独占する
という世界の構図を露骨に見せつけてくれた。
現実と思っていたものが実は、脆弱で実体のないものだということが露呈した。

それでも私は物語を必要としている。
どんな方向へ流れてゆくか判らないけれど、これからも見届けてゆきたい。

ホッホさん、あなたも既にこの物語に足を踏み入れてしまった。
マテリアリストを自認するホッホさんが、どう絡んでくるか今後の成り行きが楽しみです。
返信する
まさに二人の世界 (鬼城)
2012-02-27 16:29:54
ホッホさん、大歓迎ですよ。
私も最近は自分を忘れるくらい動いています。
お二人の音楽、いや芸術に関する話題、年代的には近い(失礼)と思うのですが・・・
私の世代はビートルズですね。

ブログ論になってきましたが、私はただ自分の生活の整理として上げています。
リアリティの世界をバーチャルリアリティの中で描くこともおもしろいですね。
ご両親の死から、四国遍路を通してまさにランスケさんの人生そのもの、人柄が分かります。
たのしい会話ができるようよろしくお願いします。

散髪の話題が出ていましたが、切る髪が少なくなった鬼城でした。(爆)
返信する
残された時間 (ランスケ)
2012-02-27 23:08:30
さぁ、いよいよ鬼城さんも追い込みですね。
春の企画展、伊達正宗のあのダースベーダーのような黒い甲冑と出会う日が楽しみです。

私も、この春は高野山へのお遍路のお礼参りと亡き父母が心残りにしていた
吉野山の千本桜を父母のためにも観てきたいと思っています。

鬼城さん、私たちの残された時間を考えると、貪欲に動き廻りましょうね(笑)

そろそろ石鎚へ通い続けられる時間を計算して撮影の優先順位を考えています。

そしてホッホさん、tsumoさん、後輩たちが面白い書き手としてブログに参入してくれて心強いです。
返信する
薄識 (ホッホ)
2012-02-28 00:04:01
訂正です。
甲本ヒロシは、甲本ヒロト
30歳半ばと60歳半ばは、30代半ばと60代半ば
「大人の友達」は「大人の友情」
校正、確認もれでした。他あれば、ご容赦を

ジェームス・カーYouTubeで他の歌も色々聴いた。久しぶりにずぅーと鳥肌たちっぱなし!
カーの吐き出す蜘蛛の糸にグルグル巻きになり
ました。
今、仕事終えたのでコメントは次回に。
返信する
もう一度、残された時間 (ランスケ)
2012-02-28 20:30:59
ホッホさん、誤字脱字を気にしていたら、きりがない。
まぁ、あなたの几帳面な性格から云ってそれは無理か(笑)

ジェームス・カーの歌声に共振してくれて嬉しいです。
これから徐々に私の聴いてきたディープな音楽世界も紹介してゆきたいと思っています。

tsumoさんの「冬の聖地へ」に寄せたくれたコメントへ書いたように、
あの頃のホッホさんやtsumoさんは痩身で不遜な眼をしていた。
きっと、あなたたちは否定するだろうけど、
抱えきれない思いと焦燥感を持て余していた17歳くらいの、あの頃の子供たちは
みんな大人への不信感を露わにして、あんな眼をしていたと思う。
それとも私の思い過ごし?
それとも私だけ?

鬼城さんへのコメントで応えたように、私たちは残りの時間を意識しなければならない年齢です。
「狼が連れ立って走る月」で書いた、私たちには気の遠くなるような時間が待ち受けている、
は超高齢化社会における、生かされている時間です。
それとは別に自分の意志で思うように身体を動かせる時間は、
おそらく後、10年から15年くらいでしょうね。
そのことを私たちは、もう考えなければなりません。
返信する
心のずっと奥の方涙はそこからやって来る甲本ヒロト (ホッホ)
2012-02-29 00:48:26
誤字、脱字の校正は、几帳面と言うよりも印刷会社なので・・・冊子、文集、俳句、短歌集
月刊誌あらゆる印刷物は,後世に残り、原稿のミスや校正もれは印刷会社の責任になるからです。

17歳の頃は、何の目的も持たず、ましてや夢などなく、いつも苛立ちと腹立たしさの中で過ぎて行く日々に埋没し八方塞で堂々巡りを繰り返し真理を求めて川面を流れ漂う浮草のように今という時を失いつずける喪失の日々でした。

鬼城さんが尾田龍馬のコメントをされた時、野見山暁冶と窪島誠一郎の尾田龍馬に関する書込みをしましたが、野見山暁冶の絵は、喪失の絵ですよね。学生時代に失った友のイメージやその時見た色だったり、イメージの断片だったり、本人は意識していないと思うけど変な言い回しですが、喪失したものを描いてますよね、その証拠に空には千の風が吹き荒れてます。
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