7月に母が入院してから、退院後の在宅介護を考えて介護認定の再申請をお願いした。
当時「要介護1」だった母の認定基準では、
退院後の身体的介護の状況にズレが生じてくるための処置だった。
ところが病院を訪れた福祉課の調査員は、
「母が喋れないという状況では聞き取りが出来ないので、
健康状態が回復してから、再調査に伺います」といって帰っていった。
それから幾度が福祉課より連絡が入ったが母の状況は変わらないので、
そのまま申請は宙に浮いたまま据え置かれた。
10月になって、母の「胃ろう」の手術が決まった時点で
病院の相談員のHさんが病室を訪れ、
退院後の在宅療養の説明とケアについての面談となった。
そんな話の流れの中で「高齢者の患者さんには意志の伝達が出来ない方が
たくさんいます。それなのに介護認定が出来ないのはおかしい。」
と、もっともなお話。
再度、その旨を伝えて福祉課に連絡すると、簡単に受理された(苦笑)
10月最終週に調査員が聞き取りに訪れ、
母の状況を確認して、私と面談。
その後、ナースステーションで聞き取りをして調査は終了。
ほぼ10日後の昨日、新しい介護保険証が届いた。
再申請の結果は「要介護5」。
5段階の介護認定制度で、最も重い認定結果となった。
ちなみに、以前母が認定を受けた「要介護1」と
今度の「要介護5」を充たす要件を比較してみた。
「要介護1」
生活の一部について部分的に介護を要する。
食事、排泄、衣類着脱いずれも概ね、自立しているか
一部介助支援を必要とする。
「要介護5」
過酷な介護を必要とする。
寝返りを打つことができない状態であり、
意志の伝達が困難。
食事、排泄、衣類着脱のいずれにも介護者の全面的な介助を必要とする。
過酷な介護…う~ん、いきなり恐ろしい言葉が出鼻を挫く。
本当に在宅介護は可能だろうか?
「胃ろう」患者の在宅介護、それも夫婦でなく単身者のケースは
ほとんど例がないとケアマネさんが脅かす…
益々意気消沈してゆく(溜め息)
話が前後するが、その後の展開で、「特養」施設のデイケアに毎日通うことで
なんとか在宅介護の道が開けそうだ。
「胃ろう」患者のケアは医療行為になるのでヘルパーさんでは要件を充たさず
看護師さんか家族しか処置ができないという案件が
大きな障害になって、なかなか進展しなかった。
その後、高齢者の「胃ろう」手術自体を疑問視する医師のアンケート結果
までネット検索で出てきて、私の気持ちは大きく揺れている。
11月第一週予定の母の「胃ろう」手術は、腸炎のその後の経過が思わしくなく
まだずっと延びている…
嚥下障害を起こした高齢者にとって「胃ろう」以外の選択肢もあると
ある医師は言っている。
母さん、どうしようか?
ホワイトボードを使っての意志伝達を試みたが、無理だった。
あなたの意志が確認できない以上、私が最善の選択を迫られている。
結構苦しいよ…母さん。
また今日も病室の母は、私をぼんやり見つめるばかりだ…
■掲載した画像は、わずか2年前の春。桜の花の下、自力で歩く母。
手に取るように判ります…
私も父母が健在の頃は、身内ゆえに疎ましく思うことが
多々ありました。
認知症の父母を在宅介護する全ての家庭が
同じような揺れ動く心のバランスを保ちながら
日々を送っているはずです。
(3月のブログ記事「心が壊れてゆく」をどうぞ)
私も春に父を見送り、残された母が急速に生きる意志を
失ってゆく過程で、やっと伝えられない母の心情を
慮(おもんばか)るようになりました。
お父様、伯母様を看取り、そして今もお母様ともう一人の伯母様を
介護し続けるkyoichさんが何時も言っているように、
思うに任せない老いの衰えの中で、
父や母たちは伝えられない思いを心の内に溜め込み
その虚ろな瞳の奥で、いつも私たちに訴えかけている筈です。
それは現在読んでいる岩波新書「認知症とは何か」
にも同様に記されていました。
まだ意志の疎通が可能な頃の父母を思い出して、
伝えられない父母の思いを汲みとってゆくしかなさそうです。
一番辛いのは彼らなのだと云う事を
いつも念頭に置いて病床の父母と接して行きたいものです。
ねぇmisaさん、そう心掛けましょう。
その方が、ずっと自分自身の心が豊かになれるじゃないですか(笑)
昨日もそう・・・・
今の生活がずっと続くのかと思うと
無心に食事を口に運ぶ母を疎ましく思ったことも事実、朝に晩に電話を掛けてきて何度も同じことを繰り返す・・・
いつからか私をこの世に存在させてくれた人であることなど何処かに消え去り
仕事に託けて逃げに廻ってやしないかと問いかけています
ランスケさん、貴方は本当に細やかな心をお持ちですね?
自分より廻りの大切な人を思いやり知らぬうちに自分を追いつめてしまうのでは?
昨日は母の傍で昔話などに花を咲かせるべきであったと反省します
この天候不順は石鎚の神様が私に罰を与えたのかもしれません
私も母の介護認定の再申請を出しました
とても介護1ではなく、父も障害が有り退院後の生活をどう過ごすか大きな問題です
ブログを拝見しました。
奥様のご両親の供養の巡礼だったそうですね。
私は四国遍路は死者と共に巡る旅だと認識しています。
生前の約束通り、母を看取ったら私も父母と共に巡ってみるつもり。
改めて鬼城さんkyoichさんの心根の優しさには感謝。
そして介護の現実を知るお二人の言葉は、
柔らかい水のように、私の心にスルリと沁み込んできます。
今日、病院に連絡を入れ、主治医との予約を取りました。
母の「胃ろう」以外の選択肢を相談してみるつもりです。
嚥下障害の進行による「母の残された時間」が限られているなら、
「母のためにやって上げられる最善を尽くすべきだ」
という自明の理に、やっと気づきました。
日常の忙しさや煩雑さなど、本当にどうでも良い
鍋の表面に沸く灰汁(あく)のようなものに捉われていたようです。
やっぱり、こうやって頭の中の未整理な部分を
文章にして
整理する日記のような作業は、
私にとって忘れてはならない大事な時間でした。
何度もブログで書いているのに、
また忘れて、日常の煩雑さに流されてしまう自分が情けない…
ランスケさんに気をつけてもらいたいのは自分自身の精神的なものを含めての健康です。自己管理だけでなく、周りをよく見ましょう。気遣って下さる仲間がいます。物言わぬお母さんも毎日、ランスケさんに感謝の気持ちで接していると思いますよ。
情けないことに、最近の私は現実に目を背けて、
アルコールに逃げています。
(胃潰瘍が治ったばかりだというのに)
ひとりの夜と向き合うことが怖いのです。
おかげで読みたくて買った本も進みません。
昨日、思いの丈を書いたことで、
少し気持ちに整理がつきました。
「胃ろう」の手術が延びているのは、
何か母の伝えられない意志の表れのような気がします。
主治医に「胃ろう」意外の選択肢を問うてみます。
「胃ろう」意外に在宅介護の可能性があるのか?
母が家に帰って最後の日々を過ごす可能性があるのか?
この事は、体験した者にしかなかなか理解できないと思いますね。
家庭の秘事をよく公開するなーという人さえいます。医師でもいうのですから。
これは、「人それぞれ」ではすますことができないと思います。
介護認定は、小生の伯母の場合、意志の疎通が図れないということで、小生と施設の担当者との聞き取りで、即等級が上がりました。
支援1から介護3です。それ以外も悪くなったのはありましたが。
また、退院できた場合どうするか?との検討のなかで、看護師さんが1名しかいないので受け入れは難しいとの話なども聞きましたので、今看護師が担当している人数にも依るのだろうと推測した次第です。
松山なんかは、多いから難しいのでしょうね?
「意思の伝達」小生の想いが伝わらなくて、つらいときもありましたが、途中から「想いは伝わっている」のだと思うようになりました。
伝わっているが、その返答ができないだけだと考えます。それ故に、考えてしたことは伯母の思いと同じだと信じてやりました。
ランスケさんの心で、自信を持って、共に過ごすのにはそう長くはない時間を共有してください。
「あれもこれもしてあげていら」と思うこともありますが、一方で「やるべき事はやった」とも思っています。(笑)
貴兄のように理路整然とは言えませんが・・