Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

秋の日のヴィオロンのため息

2010-11-05 | 
 秋の石鎚から、ほとんど何も手につかないまま時を過ごした。
 本も何だか、あれもこれもと読み散らす内に
 どんどん読みたい本ばかりが増えてきて収拾がつかない(笑)
 「歌うクジラ」「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」「水辺にて」
 の3冊を読み散らしながら、まだ10冊くらい読みたい本が控えている。

 う~ん、頭が雲丹(うに)のようになってきている。
 気分転換に、久し振りの皿ヶ嶺の森歩きを企てた。


 
 
 

 放射冷却で朝露もしくは霜が期待できるかもしれない?
 早起き出来れば、それも叶っただろう…(竜神平には霜が降りたようだ)
 でも冷たい朝は、なかなか寝床から起きられない。

 
 

 畑野川登山口から渓流沿いの道を辿り、竜神平への最短ルートを取った。
 なんだか全体に皿ヶ嶺の森は色づきが良くない(色がくすんだ印象)

 それでも竜神平からの周回路は、木漏れ陽に揺れる黄色や赤の葉擦れに
 飛び交うカラ類の群れ…どんどん心が癒されてゆく。

 
 
 
 

 長い間、この森から遠去かっていたが、
 また小学生の頃から馴染んできた、この森へ帰ってこよう。
 遠い石鎚へは、当分足を向けることは叶わないかもしれない。
 でも近場に、こんな豊かな森がある。

 
 
 
 

  
 

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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あぁ~ この一節 (マロン)
2010-11-06 19:53:25
秋の日のヴィオロンの・・・中学生の頃
に好きな詩の一節でした。深まる秋の
もの悲しさを的確に表現しているようで
秋になるとこの詩を思い浮かべます。

皿ケ嶺の秋の写真、どれもランスケさん
らしい手法でステキです。
愛大避難小屋、龍神平のススキ、どちらも
同じ場所でシャッターを切った写真が手元
にありますが、自分のとは全然違います。
どうすればこんなに詩的な写真が撮れる
のでしょう。

最近、私もよく皿ケ嶺に出かけています。
ランスケさんと同様、近くにこんなすばらしい森があることを嬉しく思っています。
休日、時間があれば出向いていますから、先日
の瓶林道のように偶然に出くわすことがあるかもしれませんね。



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ヴェルレーヌがリフレイン (ランスケ)
2010-11-07 01:14:58
もう今回の記事のタイトルは、これしかありません(笑)
ずっと頭の中で、ヴェルレーヌの詩がリフレインしていました。

竜神平周回路からブナの尾根道は、まさに「ヴィオロンのため息」
私は画学生の頃、この詩を課題に絵を描かされ悪戦苦闘した苦い思い出が(苦笑)

愛大小屋内の机の上に、アウトドアショップ「P・F」さんからの提言が…
「勝手ボランティア」と称する見解は、
ちょっと首を傾げる内容でした?

皿ヶ嶺の森は、都市近郊に残された貴重な自然ではあるけど、
決して手付かずの原生林ではありません。
山麓から800m付近までは人工林が覆っているし、
自然林の割合は稜線付近の一部だけ。
謂わば自然公園の延長線上にあるような森。
(上林トンネルが開通して、一層公園化が加速した)
その場所に、人の管理を廃した無垢の自然を求めるのは
ちょっとピント外れでは…?
環境破壊の問題はボランティア活動ではなく
オーバーユースにあるのでは?

P・Fさんの提言に興味のある方は、竜神平の愛大小屋を
覗いてみてください。

マロンさんは、もうあのコピーを御覧になりましたか?

返信する
皿ケ嶺の自然 (マロン)
2010-11-07 17:32:01
寒くなると避難小屋の中で仲良しのUちゃん
と暖をとりながら食事をするのですが、外での食事ばかりでノートに気付きませんでした。
次回に登った際、中に入り読んでみます。

情報社会の影響で訪れて欲しくない人々も
ズカズカと森の中へ入っています。
貴重な花もなくなりつつある皿ケ嶺の現状、
さみしい限りです。
返信する
P.Fさんの提言 (ランスケ)
2010-11-08 01:12:34
やっぱり、ちゃんとP.Fさんの提言を紹介しなければ、
何を言っているのか伝わりませんよね。
誤った記述をして、却って誤解を招くといけないと懸念しました。

おそらくお店のお客さんが、この提言に共感して、
皿ヶ嶺の愛大小屋内に置いていったのではないかと想像します。
(コピーされた紙2枚くらい)

凡その内容は、こんな感じです…
「皿ヶ嶺におけるボランティアと思われる竜神平や山頂周辺の
過剰な椅子の設置や笹刈り等の登山道整備は、やり過ぎである。
自然環境には人間が何も手を加えないのが一番良い。
ボランティア活動による登山道整備が、却って環境破壊を招いている。
何も手を加えない自然本来の姿に戻そう」
と言った内容でした。

ざっと読むと、共感してしまいそうな提言です(笑)
でも、もうこんな自然に対する素朴でナイーブな他人事のような
アプローチは迷惑なのです。

登山口まで車で来て自然を謳歌する私たちは、
便利さと快適さに慣らされた、
高度成長期の消費社会を蕩尽したきた世代です。
その結果が温室効果ガスを撒き散らし、極端な気候変動と加速度的な種の消滅を
招いています。
その責任は自分たちにあることを何時までたっても自覚しない。

いまだに「手付かずの自然」などという幻想を抱いている。
一度壊したモノを再生させるのは私たち世代の責任だと思う。

絶滅危惧種の消滅や盗掘に苦言を言ってみても埒(らち)があかない。
堂ヶ森のササユリ風景を再生させたように、
皿ヶ嶺の失われゆく風景を再生させるべきだと思う。
都市近郊の自然公園としての性格の強い皿ヶ嶺の森は、
積極的に人間の手で管理して失われゆく自然を再生してゆく
場所であってほしい。
(もちろん、それは本来植生しないような植物や無用の建造物を造ることではない)

私の私的妄想は、皿ヶ嶺に牧野植物園のような森を再現させることです(笑)
竜神平を湿性植物の庭として再生させるのも良い。
風穴あたりにビジターセンターを設けて定期的な自然観察会を開きます。
北軽井沢の星野リゾートのような野鳥観察小屋を造り、
野鳥やリスを間近で子供たちに見せます。
広い公園内の監視員は、皿ヶ嶺リピーターの人たちに
ボランティアとして参加してもらえれば良い。
山野草愛好家による稀少な植物の再生と
森全体に野生動物の食料となる果実のなる樹をたくさん植えます。

そう、それは夢のような森のテーマパークです(笑)

今日、「のんびり山歩」さんの写真展に行ってきました。
たいへんな盛況でしたよ。
山歩さん、山に通い続けたアナタの見事な成果でしたね(拍手)
お疲れ様でした。

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又少しだけ・・・ (misa)
2010-11-08 21:49:50
一度壊したものを再生させるのは容易ではなく私たち人類はある意味、犯罪者なのかもしれません
牧野植物園は主人の生家近くに位置し
竹林寺の檀家でもあるためよく足を運びました
雑踏から離れたい時の絶好のポイントですね

北軽井沢の星野へ出かけられた事がおありなのですか?
実は晩秋の星野高原教会で二人だけの式を挙げたんですよ
一週間好天にも恵まれ信州を満喫
5年後、私が退職したら二人で再び訪れる計画です
野鳥の声で目覚めた最高の朝でした
返信する
野鳥の楽園 (ランスケ)
2010-11-09 00:03:06
misaさん、Eメールに続いて再度登場感謝します。

北軽井沢の星野リゾート周辺の森は、
有名な野鳥の楽園です。
バードウォッチャーだった頃、随分通いました。
冬のあの森で撮った「赤い冬の渡り鳥、オオマシコ」
の写真は、私の宝物のひとつです。

以前、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」
に星野リゾートの青年社長のリゾートホテル再建の
様子が紹介されていましたね。

川沿いの美しい道と野鳥の森は、星野リゾート周辺で
お薦めの散歩コースです。
再訪の際は、是非お二人でどうぞ(笑)
返信する
コメントが後先に (鬼城)
2010-11-12 13:05:51
 秋の気配が感じられる写真群です。皿が峰小屋には思い出があります。夏合宿後、お金がないため40日間ほど山ごもりをしました。最後の頃は置いていって頂いた食料がふんだんにあるため飯盒一杯食べていました。4合ですね。見た目もふくれあがり、帰省したとき母親がどこか悪いに違いないから医者に行けと言われたことを思い出しました。いい山です・・・ここでスキーをしたのも思い出の一つです。山は良い!浮き世の垢を落としてくれる。
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それぞれの思い出の場所 (ランスケ)
2010-11-13 00:50:41
愛大山岳会の白石さんも、石鎚、堂ヶ森、
そして皿ヶ嶺と愛大山岳会の所有していた山小屋を
すべて再建され山岳会の代表を退かれたようですね。
(今度は知事選の応援ですね。忙しい)

私にとっても、皆さんが岩登りの訓練をした御幸寺山は
私の生家の裏山で日頃の遊び場。
皿ヶ嶺は昆虫少年の憧れの場所で、県立博物館主催の
自然科学教室で夏休みに訪れた思い出の場所です。
白石さん、鬼城さん、私と少しづつ年代が違いますが、
それぞれの思い出の場所が重なるのは面白い(笑)
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御幸寺山が裏山・・・ (鬼城)
2010-11-15 20:24:06
 驚きです。先日、このあたりを歩いていたら山容が変わっているのに驚きました。岩登りの練習コースまで!感動を覚えます。この練習コースで落下しました。私はご覧のように小さく、当時は48kgほどでした。落下したとき、木の枝にあたり、それがクッションになって背中を打撲した程度で済みました。また懐かしい自然科学教室、今でも存続していますよ。思い出の重なり、本当に面白いですね。
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人の想いはそれぞれ (山野貴公子)
2010-11-15 23:48:43
南予地域の山岳関係者の某氏も、このような主張をされていますが、果たしてどのくらいの人がこの考えに同調してるのだろうか?

また、「自然のままに」すると自然はどうなるのかお考えがあってのことなのだろうかと考える一人です。

里山は、勿論自然のままにしておくと住民の生活圏は後退して里山は荒れるでしょう。

さらに、山際の田んぼをほったらかしておくと田は「自然に帰り」雑木や雑草の地になるでしょう。

翻って、登って愉しむ山においても適正に管理してこそ美しくて感動でき、人間と共生できる山たり得る、と考える。

ま、人の想いはそれぞれ、であるとは認識しているが。
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