7/27、ブログ記事「山上のウェディング/RE:新婚さんからの便り」に、あるコメントが届いた。
TKさんからの書き込みは非常に重い内容だった。
私なりにTKさんの提言に対して心を尽くして回答したつもりだったが、まだ言葉が足りないようだ。
TKさんの提言は3.11以前に自分自身が社会に対して感じていたことでもある。
そして今現在、あの3.11以降の未来に対して私たちは重要な岐路に立たされています。
この問題は新たに記事として取り上げ、皆さんにも考えてほしい。
以下、TKさんの提言。
私の返信。
そしてkyoichさんの返信。
の3通を「山上のウェディング/RE:」から切り離して新たな記事に掲載します。
皆さんの活発な御意見を待っています。
どんな素朴な内容でも辛辣な内容でも、すべてを受け入れるつもり。
- Unknown (TK)
- 2011-07-27 13:51:36
- 2年程前に「いろんな子、いっぱいおってかまんかまん。」という女性の言葉が、伊予鉄道の電車に書かれて街を走っていました。この言葉は、のどかな松山にだけ通用する特異ないものです。親の虐待で死ぬ子、いじめで自殺する子、旱魃で餓死する子のことは、この女性の目には写っていなかったのでしょう。近所の男にレイプされ、笑うことを忘れた女子小学生がいます。胎児性水俣病の空虚な目をした女の子もいました。しかし、あらゆる命は命であるが故に尊いのです。「感激なき人生は空虚である。」との言葉は極めて陳腐であると同時に、何でもない生活に対する感謝の気持ちがありません。感激できる人生を送れるのは選ばれた人です。選ばれた人種と思い込んだ人の思い上がりだけを感じています。
- TKさんへ。 (ランスケ)
- 2011-07-27 18:43:00
- TKさん、確かに貴方の仰る通りでしょう。
息の詰まるような子供たちへの虐待や奇形や飢餓の話、そしてドキュメントは、
おそらく80年代末期頃から世界中に溢れてきました。
私も暫くは、目を背けないで丹念に見てきたつもりです。
でも、それが2000年以降は日常的な事件となって来ました。
どんな悲惨な事件が起きても「またか」と片付けられるくらいに。
それは何が原因だったと思いますか?
私は経済システムを最優先にしてきた高度資本主義社会の当然の帰結だったと思います。
水俣もアフリカの飢餓も果てしない弱者に対する暴力も
すべては、そこに行き着くと思います。
3.11以降、私たちは、自分たちの築き上げてきた文明が経済システムが
大自然の猛威の前に一瞬で瓦解する姿を目撃しました。
そして、すべてを失しなった先から、初めて私たちは「希望の光」をみました。
それは「他人のために何かしてあげたい」という無償の善意が、この世界に溢れたことです。
30年以上続いてきた閉塞感から、やっと抜け出すチャンスなのです。
TKさん、大人であるあなた自身が意識を変えなければ、
あなたが言うように出口を失った子供たちは、いつまでも救われません。
まずは「脱原発」。
日本は2等国だって結構。
日本人の身の丈にあった経済で充分。
もっと人と人との心が通い合える小さな社会へ舵取りをするチャンスなのです。
この時に変わらなければ、永久にTKさんの言うような閉塞感は続きますよ。
TKさん、まずあなた自身が変わらないと。
- 人生いろいろ (kyo-chan)
- 2011-07-27 23:23:34
- 自分の意に反して、まさに想定外の不幸に
出会うことも多々あるし、その反対もあるのが人生である。
また、いわれのなき差別に苦しんでいる人がいるのも、そんなことも知らずに生きているのも、知っていても幸せな想いで暮らしている人がいるのもこの世の現実である。
そういう人々がいるからと、
自分の人生の目標を掲げるのを
その言葉だけを捉えて、
良しとしないのは、一面的であると考える。
むしろ、自分の健康を謳歌するのも、感激できる人生をと叫ぶのも、五体不満足で生きるのも、それぞれの人生。それぞれの人生の中に、悲喜交々がある。人生いろいろ。
いわしの弔いも大漁の騒ぎもあるのが人生で
弔いがあるので、大漁を祝うなと言うのは如何なものか?
ちなみに、小生はいわしの弔いには線香を供えているつもり?