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Tosh!'s Blog

ただ生きるな善く生きよ(ソクラテス)

あのね、もうね、...。

2012-08-22 15:47:22 | うつ


(´Д⊂ モウダメポ ...

ご家庭や商店・事務所など低圧の電気をお使いいただいているお客さまへ
電気料金値上げの実施につきまして

 日頃より弊社の電気をお使いいただき、誠にありがとうございます。
 弊社は、ご家庭や商店・事務所などのお客さまの電気料金の値上げを経済産業大臣に申請し国の査定を受けておりましたが、平均8.46%の値上げにて認可をいただき、平成24年9月1日から実施させていただくこととなりました。お客さまに多大なご負担をお願いいたしますことを深くお詫び申し上げます。
 弊社では、新たな経営陣のもと、さらなる経営合理化を徹底するとともに、お客さまからの様々なご意見・ご指摘を真摯に受け止め、経営や業務を変革してまいります。
 今後も、電気の安定供給に全力で努めてまいりますので、何卒ご理解を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

地域独占で「弊社の電気をお使いいただき」って、選択肢があるならもうとっくに別会社に乗り換えているって。東電管内に住んでいるだけで逃げ場がないっちゅうの。「誠にありがとうございます」って言うより「ました」と過去形にして下さいな。東電曰く「無主物」と云う放射性物質をまき散らし、被害を被っているのに、迷惑料も払わず、減額もせず、値上げだとぉ?

私は精神障害者手帳を持っているけれど、私以上に精神に異常を来しているのじゃないかい、東電筆頭に電力業界、御用学者、経産省、政府の関係者達は。あぁ、記者クラブもね。

朝鮮半島も中国も私が思う人類として酷いけれど、日本のエスタブリッシュメントも酷い。と感じるのだけれど、彼等が正しくて、私が間違っているの?

私が間違っているの?...否、...私が間違っているの?...否々、...私が間違っているの?...(´Д⊂ モウダメポ ...

一部ジャーナリストや、官邸や国会議事堂を取り囲んでデモしている人達を見て、自分の信念は間違っていないだろうとは思うものの、世の中が軌道修正せずに進んでいるから、無力に、挫折感に押し潰されそうになる。処方薬を服用し睡眠に入る時、もう瞼が開かなくても良い、開かないで...と思うこの頃。

性善説で物事を捉えていると、世の中の出来事の理解に苦しむ。信念曲げずに、苦しいけれど、東電の値上げに対する根拠に納得いかない点を書いてみるね。

1、今回の値上げは柏崎刈羽原子力発電所の再稼働ありきのパーセンテージ。記してはいないけれど、原発再稼働がなければ更なる値上げをするつもり。
2、原価算定が平成24年度~平成26年度の3年間で、為替レートを78.5円/ドルで見積もっている点。東電を潰したくない政府筋からすれば、円安誘導すれば東電の算定が崩れ破綻を招く危険がある。穿った見方をすれば、向こう3年日銀は動かない。エコノミストが円を刷れと言うが、政府はデフレ脱却を考えていない様だ。何しろこの算定で政府が値上げ認定したのだからね。
3、申請総原価内訳に修正指示が入ったので修正総原価内訳は841億円削減したとあるが、人件費削減と共に健康保険料の企業負担率引き下げ10%がさりげなく入っていたりする。その10%を東電社員が払っているのなら良いのだけれど。
4、総括原価方式なのに事業報酬3.0%→2.9%の減額が内訳に内包されていて、尚かつ事業報酬分を引いた総計で再計算しても事業報酬は3.0%以上ある。どうもまやかしっぽい。
5、公租公課、ヤードストック査定、つまり税金の減額も含まれている。

と、プレスリリースの中身をちょいと見ただけでも、到底「企業努力」は認められない。

資本主義は法律で守られた合法的な奴隷制度であって、末端はもう切り捨て。ピラミッド構造の頂点は喰うに困らない人達。何処かで原子力発電所内部映像を見た事があるかと思うが、黄色い床を雑巾掛けしている光景を見てや居まいか。彼等は日雇いだったりして、決して社員でない。放射能で汚れた格納容器の蓋を雑巾で磨いているのだ。被爆量も社員とは雲泥の差。福島第一で汚染水に浸かり、足を被爆した人が報道されたが、知られては困る被爆死など表に出る訳が無い。福島第一の4号機はその黄色い蓋が吹き飛んで残った柱の陰に寄り添っているのが写真で判る。

東電のプレスリリースには1号機と3号機のみ「水素爆発を起こした可能性が考えられます」としか書かれていなく、3号機の異常な爆発を核爆発とは認めていない。が、私は核爆発だと思う。隣のタービン建屋より下まで破壊されて、格納容器の上部も吹っ飛んでいる故、水蒸気が出ていたのであろう。1.2号機、3,4号機の中間辺りに各々白い鉄塔があるが、あれが所謂「ベント」であって、非常時にあそこから放射性物質を含む水蒸気が排出される。

路チューもまだ忘れていない細野豪志原発担当相が4号機のプールを視察していた様だが、私が後ろに居たのならきっとプールに突き落としていた...だろう。「福島を最終処分所にしない...」など、聞いて呆れる。現実的に考えて除染も侭ならない、半永久的に被爆した土地以外最終処分所を何処が受け入れると云うのか。使用済み燃料含め冷却だけで3~50年要し、地層処分でもその後数万年以上保管しなくてはならないのに...そんな数万年も維持出来る人工物が造れるだろうか?

更に、ウラン鉱床から採掘する人々にはその危険性を知らせずに作業させている事を考えると...これも奴隷の様だ...この際、原子力発電から手を引くべき。人間の叡智とは、その方向に進むべき事だろう。それは科学の後退ではない。放射性物質を封じ込める技術開発こそが進歩と呼べるのではないか?

陰謀と云うと「論」を付して思考停止に陥る人が居るが、陰謀とは密かに企む悪事の事である。ケネディ大統領暗殺は公に知らされた計画だろうか?ふふっ、それを企てる事を陰謀と呼ぶのである。陰謀は実在する。

9.11をアメリカの自作自演だと言うと「陰謀論者」とレッテルを貼り、疑義に与しない人がいる。或る人は「自国民を犠牲にするか!」と聴く耳を持たないが、真珠湾攻撃だって米国は知ってい乍ら自国を攻撃させ戦争の火蓋を切る事をして来たじゃないか。色んな検証がなされて来たが、公式見解よりも検証の方が論理的だし、その後の動きを見ても自作自演であった可能性の方が圧倒的に強い。日本の大手マスコミも真実を報道しない。アメリカももはや自由の国ではない。嘘の報道をしても、何れはバレるのである。BBCが第7ビル崩壊前に「崩壊した」とフライング放送してしまった。シナリオがあったと考えて妥当だ。が、私が決定的にそうだと言い切れないのは自分の目で見ていないからだ。だからと云って、自分の目で見たテレビ映像等を疑念も持たず信じる事などしない。

伝聞もまた鵜呑みにはしないが、NHKにはアメリカ人が張り付いているそうだ。長谷川浩論説委員の変死もプンプン臭うぞ。

写真の富士山は20日月曜日撮影。夏は雲に覆われる日が多く、空気も霞み遠くに見える。富士山の向こう側に行けば東電から逃れられるけれど、日本だと何処も同じかも。いっそ、国外に移り住もうかしら...。

( ´ー`)yー-~

防衛省内局(背広組)が介在するから、防衛大臣と幕僚長(制服組トップ)の意思疎通に数週間掛かるとは有事の際に機能するのかいな?

孤独にメスを

2012-05-22 03:55:27 | うつ


愛なら此処にあるじゃない
通り越して何処を見ているの?
決まった言い訳がまた 幸せから手を引いているよ
愛なんて誰の胸にも
記憶して 刻まれているよ
私がきみの孤独に メスを入れてあげるよ 今から
孤独に メスを入れてあげるよ...
紅月ノリコ「孤独にメスを」より

写真は「ハリエンジュ(針槐)」、「ニセアカシア」とも云い、マメ科の落葉高木樹。

先週は眠れぬ日々が続き、意識も朦朧としていました。例え、短時間でも熟睡出来れば一旦は意識が途切れるので、途切れた前後で昨日今日の認識が簡単に得られます。1日に何度か熟睡しても、今日が何日で何曜日か少々混乱を来しますが、比較的簡単に現状認識は可能です。が、眠れずに意識が途切れず何日も意識が連続し、意識が朦朧とすると今日が何日で何曜日か確認しても、それが本当の認識か幻想か混乱した侭で、正常な認識が出来ずに見ている物さえ信用出来ない状況になります。

或る意味、私は違法ドラッグを使用した経験など有りませんが、そう云う覚せい剤等で幻想に支配されるのが何となく理解出来ます。恐らく、薬物に依る幻想と私が経験する幻想は或る意味似ている物と想像は出来ますが、前者は悦楽を、後者は混沌と云う苦痛が伴う意味では似て非なる物です。故に、後者では依存など有りません。

結果には原因があるものですが、原因は単一ではありません。単一の原因で結果が生まれるなど、世の中そんなに単純なものではありません。私が「うつ」になったのも、様々な複合的原因が齎した結果です。私が「うつ」を治す意味でも、治癒した後に再発しない様にする為にも、その複合的な原因の幾つもの原因に対して対策を講じなければ、また、その経緯を認識して於かなければなりませんが、その前に、結果を見誤ると、其処に至ったプロセスを間違ったプロセスに見誤る可能性があります。

「うつ」を理解しようと私也に勉強して来ましたが、その大前提が「うつ」は「病気」である事。最近になって、その前提が間違いでないかと疑う様になって来ました。生理的になるべくしてなった結果であると捉えると今の私には自然な事で、ウィルスが体内に入った事に依る発熱も自然な事で、其処で解熱剤を使う事自体ウィルスを逆に増殖してしまう訳で、発熱でウィルスを殺す自然な反応を「病気」として捉えるから発熱は通常と違うから「病気」とする様なもの。

「病気」だから「薬」で治す。と、安易に考えては治るものも治らないのだと、幾つもの症例で体験していましたから、昔から少し医療に対して少し疑念を持って居りました。更には、自然治癒していたと云う症例も幾度となく体験しています。

今では笑い話の類いですが、20代の頃高熱が続いて、病院に行くと診察の後「今晩泊まりなさい」と云われたので、今晩だけならと気軽に応じたのですが翌日になっても帰して貰えず、インフォームドコンセントもなく、看護師に「何時帰れるの?」と聞いても「熱が下がらないと帰れません」と云われるばかり。訳も判らず、検査だと称して「髄液検査」をされ、腰に太い注射を刺して髄液を抜かれるのですから痛いのなんの。その結果も教えて貰えず、その後、職場の上司が2人見舞いに来ました。退院時にも一悶着あったのですが、職場復帰した後に見舞いに来てくれた上司から聞かされて驚きました。私が「余命僅か」だと医師に聞かされたから見舞いに来られたのだそうで。入院時、点滴も投薬もなく、自然に熱が下がるのを待って退院したのですから、「余命僅か」が本当なら、何らかの処置をしたでしょう。しないのかなぁ?だから、私がその上司に言ったのは「(同室の)隣の患者と間違ったんじゃないの?」

20代の頃は、他にも「狭心症」「心外膜炎」等、心臓疾患も診断されましたが、何れも自然治癒です。と云うよりも、本当に病気だったのか?と云う疑念が拭いきれないのです。狭心症の発作時の薬として「ニトログリセリン」を処方されていました。

さて、体験していますと云っても、それが症例だと云っても、診断が正しかったのかと考えると、医師が誤診していたかもしれず、そうだとしたら体験も誤診の体験、症例もたいした症例ではありません。私のカルテを総合すると、今の年齢まで生きて来た事も奇跡の様にさえ思えて来ます。実際の処、そう云ったあまり聞き慣れない珍しい診断名を聞いても実感はありませんでした。

ついでに記しますと、「心外膜炎」と診断したのは、或る会社の診療所の所長さん。心電図やエコーの結果での診断でした。次回診察時は、外部大学病院の医師で、診察時に一連の問診で私が「心外膜炎」と口にした途端、茹で蛸の如く顔を赤くして「そんな病気は○万分の1しかないんだ!」と怒り始めたのです。恐らく「心内膜炎」と聞き間違えたのでしょうが、たとえ○万分の1だとしても、その1人が目の前にいる可能性を統計学で否定するなんて医師とは思えませんでした。私は顔色変える事なく内心「お前は統計学者か!」と思いつつ、それを診断したのは私ではなく、医師である診療所の所長さんですよと、怒りを私にぶつけるのは筋違いでしょと医師に言いましたよ。

或る意味、巡り合わせが悪いと云うか、あまり信頼出来る医師に当たった事がないので、医師の言う事もあまり信じてはいません。「早期発見、早期治療」と云いますが、私は若い頃から高血圧で、会社の定期検診で必ず「あら、高いわねぇ。もう一度計りましょう」と血圧測定は毎回2回計られて、それでも医師からは「若いから大丈夫」と無視され続けられて来て、この歳になって医師の方からリスクが高いからと薬を処方される様になってしまいました。私にしてみれば何を今更なのですが、私の健康を気遣ってくれる医師を無碍にする事は出来ませんから従ってはいます。副作用が出れば勿論止めますけれど。

兎角、医者は標準値にしようとしますが、人の心・精神も身体的にも千差万別です。リスクを否定しませんが、血圧が高い事も、反対に低い事も、その人也の生理的メカニズムに於いては正常なのかもしれないと云う考え方は成り立たないのでしょうか。

人の寿命が機械的に決まっていて、その寿命に足りないから治療するしないの判断なら何となく判る気もするのですが、寿命と云う観点からすると医療によってそれを出来るだけ長くが果たして正しいのかな?と考えると自然の摂理に反する気がするのです。まぁ、それよりも社会生活に支障を来す事は、廻りの人にも迷惑を掛ける事になるので、社会生活を滞りなく過ごす為の医療だと捉えた方が良いのでしょうね。

話が廻り諄くなりましたが、「うつ」は身体的な自然なメカニズムで、実際にその治療薬は「対処療法」でしかなく、原因を治すものではないので、服薬で治すものではありません。「うつ」に至るプロセスを把握して、同じ轍を踏まない様にしないと再発するのだと思います。そこで、今までの思考パターンと変える必要があるのだと思うのです。「自尊心」の無さに気付いた時、大きく私の体調も心理的負担も減りました。が、また「うつ」の波に飲まれてしまいました。と云う事は、まだ、思考プロセスの改革が必要で、「病気」と云う概念を疑っている処です。

( ´ー`)yー-~

「先生、僕の病状はどうでしょうか?」
「ええ、だいぶ良いですよ」
「以前より良くなっていますか!」
「いえ、明日よりです」

春雨

2012-04-23 11:40:18 | うつ


心を編んだセーター 渡す事もできず
一人 部屋で 解す糸に想い出を辿りながら
あの人が好きだった 悲しい恋の歌
いつも 一人 聞いた
古いレコードに傷をつけた...
村下孝蔵「春雨」より

昨日のBlogには記し忘れていた。噂話に落胆し、「うつ」の波に飲み込まれてしまったものの、市役所の公園担当に直接聞いたら、噂でしかなかった。今期も入札があり、公園管理業者が決まる。確か3年契約だから、私が社会復帰するまでは、もうそんな心配はしないで済むだろう。

「うつ」を患うと物事をネガティブに捉えがちになる。最良でなく最悪の事態を想定してしまい、その対応策が見つからないと悲嘆に暮れる。9日のBlogは私を悩ます諸問題を力の限り書き綴り、その後は「うつ」の闇に陥ってしまった。11日にヘルパーさんが来たが、前の週と激変している私を案じて廻り廻って精神保健福祉士さんから電話が初めて入った。電話番号も市の障害福祉から聞き出したのだろう。

其処には私1人の為に何人が動いたのだろうか。申し訳なさと共に私が悲嘆する程人間関係も悪くないと感じた。勿論、人は十人十色、福祉に携わっていてもその資質のない人も居る。私はラッキーだ。人との巡り合わせは人知を越えた処に有る。故に、善い人に巡り会わせるとは、ラッキーだと思う。

善くない人との交流を避ける事は出来るが、街を歩いているだけで突然因縁を付けられる事もある。そう云う人との接触を絶つ事は不可能だ。人間不信から孤島で暮らしていても、マスコミが報じる様に何処からか干渉はされる。干渉を嫌っていてもそっとはしてくれないものだ。

若い頃、帰路の電車の中、車窓から外の景色を見ていたのだが、夜だから車内の蛍光灯の光が反射してよく見えないのは確か。その車窓の側に立っていた人の顔が映っていた事も知ってはいるが、逆に視線を感じ嫌な予感がした。「なに人の顔をじろじろ見てるんだ!」と来た。不細工なおっさんに興味はないし、誰が好んでじろじろ見たいのか?所謂メンチを切られたと思ったのか、顔を見られては困るお尋ね者か、「外を見ていた」と言っても気に入らない様だ。車窓にぼんやり映る私の眼の動きを正確に捉えられるかね?逆に不細工なおっさんの方が私をじろじろ見ていたのではないか。

暴力は嫌いだが、頭に血が上り、次の駅で降りたそのおっさんの後を追ったが、降車客に紛れ見失ってしまった。車内で言い争いになっても誰も助けてはくれない。不条理な文句を付けられ気分を害しただけで終ってしまったと良いたいが、この様に今でも憶えている。その時の感情も憶えている。禍根を残すとはこの事だ。

道理が通らない不条理な事柄には上司でも苦言を呈す。故に、今の自分が有る。

「うつ」の波に飲まれると、易々と這い上がれない。身体が思いの侭にならないのだ。「うつ」を怠け病だと罵る人は、感情を発散出来るので「うつ」にはならないと思う。が、そう云う者に「うつ」の何たるかは一生解るまい。そして、その言動で人を死に追いやる事も解るまい。

自殺者や孤独死が年間3万人越えも何年も続いているが、この問題は偽善者には解決出来ない。GKB48などとチャラけている者達には有効な対策など打てる筈も無い。何も解っていないのだから。

医者ですら解らない、解ろうとする人は少ないと思う。

今日も倦怠感が酷いのでこの辺で失礼。

LOVE LOVE

2012-04-09 15:45:46 | うつ


We don’t have too much time here, and time is travels far too fast!
We’re not too far We’re too near, before they take it from our hands!
Why don’t you teach your heart to feel, and give your love love,
Give your love love and give it all way;
Why don’t you teach your heart to talk and give your love love,
Give your love love.
Gimme, gimme what I need.
TAKE THAT「LOVE LOVE」より

今日の花は「花桃」。寛仁親王妃信子殿下のお印であり、お誕生日である。報道では「三笠宮」を冠すが、宮号は賜っていない為、寛仁親王殿下御自身も「三笠宮」をつけるのは間違いと指摘されている。それでも、「三笠宮」を冠す報道は間違いであり、誤解を招くものでしかない。

さて、寛仁親王妃信子殿下は旧姓麻生であり、自民党元総裁麻生太郎の妹に当たる。「生まれはいいが、育ちがわるい」と云う麻生太郎氏を私は嫌いではない。筆も達筆だし、小学生レベルの野田佳彦氏よりよっぽど育ちが良い。私に言わせれば麻生太郎はエリートである。エリートを批難視する向きも多いが、私は十把一絡げに人物を見ない。思想が違うとも、それは誰に縛られるものでもなく、個人の自由だ。

野党や報道から「失言」と罵られても、其処には思想の自由を奪う非健全な束縛が含まれるから、必ずしも「失言」と、私は捉えない。漢字の読み間違いは誰にだってある。日本語学者でない限り。それをメディアスクラムでバッシングする方に怒りすら覚えた。全てに於いてパーフェクトな人間などいない。誰にだって一長一短はある。漢字の読み間違いを追求する方々は麻生太郎氏よりも筆は達筆かい。

そうして、揚げ足取りをするのは虐めに他ならない。虐めは差別を生み、差別は争いを引き起こす。麻生太郎が豪邸に住んでいるって?別に良いじゃない。彼の自由だ。カップヌードルの値段を知らない?そりゃそうだろう、葉巻を愛煙しているのだから庶民じゃない。先に述べた様に彼はエリートだ。そう云う家系に生まれたのだから、なるべくしてなった。

それを庶民感覚がないと罵るのはやっかみでしかない。私の言う格差是正とは、エリートを庶民レベルに引き下げろと云うのではない。ずるく、利己的で、私利私欲を貪り、その報酬に見合わない責務しか果たさない者が、エリート意識を振りかざすのが間違いだと言っているのだ。それは「公正」でない。

麻生太郎はこう言っていた。「政治はばくちじゃない。ちょっとやらせてみようかと云うのは違う話だ」

私は政権交代が悪いとは言わない。新陳代謝は必要だ。が、政権を取ったら手のひら返しとは全くもって、政治家の資質がない。議論は何処かで妥協しなければ結実しない。「妥協」と云うと悪いイメージもあろうかと思うが、精神は十人十色、考え方は各々違う。何処かで擦り合せをしなければ物別れとなり、議論が無駄になる。全ての人がハッピーになる思想など無いのだ。全ての人が其のデメリットを甘受出来るギリギリのラインを探るのが議論だ。

私が日産のゴーン氏を批難した事はない。私には想像出来ない報酬を貰っていても、彼はそれ也の仕事をしている。国内事情だけで、判断しては誤りだ。自動車産業も最初に海外に工場を造ったのはホンダだが、現地の雇用を生み出した。ジャパンバッシングの酷かった頃、関税障壁を乗り越え、現地で歓迎された。自動車を輸出する船で、帰りは空荷にせずオレンジを積み込み輸入もしていた。東京青山本社のショールームでそうして輸入したオレンジジュースを売っていた。

以前、経団連を批難したが、その後、一部報道によってその実態の一部が暴露された。経団連が消費税増税に異議を唱えないのは私が記した。東電の値上げを批難しないのが報じられた。石油の取引価格を幾らネットで調べようと試みても、何処にも情報が無い。私の憶測通り、一部メディアも報じ始めたが、正にブラックマーケット。経団連顧客とは蜜月関係にあり、一般家庭の3割程度の電気料金しか徴収していないと云う。東電管内で輪番操業したのも、そう云う蜜月関係を世間に隠す為のパフォーマンスだったのかと今になって思う。

暴排条例が施行され1年経つが、排除するのは間違いだと述べた。排除の根底には差別意識、以前述べた村意識であり、至極簡単な事だが「あっち行け」と自分の縄張りから退いてくれればそれで良しなのだから、何処に行けば安住出来るのだろう。他所に迷惑を掛ける条例でしかない。

が、皮肉を込めて言わせて貰おう。近代国家だって暴力(Violence)無しには生まれなかった。革命には広義で云う暴力が付き物だ。私だって暴力は嫌いだが、抑圧されるのはもっと嫌いだ。ブラックマーケットを形成する東電や経団連やらそれをバックアップする政権やら官僚やらは、ヤクザの任侠道にすら劣る。やっている事は暴力団よりうす汚いから、暴力団の定義さえ変えれば彼等を取り締まれる。法律の抜け道を作り上げ、コンプライアンスがどうのこうの宣う輩など、ふざけてろっ!

「教育」とは孟子が使った言葉だから随分前から在る言葉だが、教育の教の「攵(ぼくづくり)」とは「卜(ぼく)」=木の鞭と「又」=手からなる「攴(ぼく)」が変化したもので、棒で叩く意味。「育」は元々は股の間から子供を産む姿を表した意。「教育」と軽々しく云うが、元々の意味は子供を育て教えるにも今程甘っちょろいものじゃないとは漢字が示している。

法律もアメリカじゃ州に依って様々だ。国に依って様々だが、其処に集う者達の思想であるから、全人類にとってパーフェクトなんてものは在りはしない。甘っちょろい教育が生んだ、甘っちょろい法律も司法判断も、何だか私には無意味に思えて仕方ない。

旧社保庁の年金問題でも、グリーンピアを安値で売るより刑務所に改造し、旧社保庁の公文書偽造やら、その消失させた年金分ぶち込んでおけと旧Blogでも記したが、誰一人お咎めを喰らったものは居ない。日本年金機構に変えても、実際は何ら旧社保庁と変わりない。

どうしたら世の中良くなるのか考えても考えても、答えが見つからない。世間との認識のギャップを感じ乍らも、どうにかこうにか生きて来た。

私が潰しに掛かっていた公園愛護会が、公園全体を管理する様になると云う噂を聞き、音を上げてしまった。Give up!

そうか、そう来たか。私の振る舞いが、誰かを刺激したのは確かだが、また排斥が始まる。私も暴力団同様、厄介者みたいだね。今、私が末期癌で余命を宣告されたなら、万歳三唱だよ。生きるには辛過ぎる。

今日のBlogで話が彼方此方ぶれまくったのも、民主党の政策と同じだ。人様を責める前に、自分を戒めようと思う。何処かでしでかして来たミスを見つけねば。と云う訳で、暫く引き蘢ります。

拠所無い事情の為、暫く休載します。

ミツマタ

2012-04-05 23:07:06 | うつ


今日の花は「ミツマタ(三椏)」です。ジンチョウゲ科の落葉低木で中国南東部及びヒマラヤ地方原産。名前の由来は、写真の様に枝が必ず三叉、三つに分岐するからで、三椏の椏は木の股の意味があります。赤い花を咲かせる品種はアカバナミツマタ(赤花三椏)と云う園芸種。春の花で、万葉歌人はサキサク又はサキクサと呼んでいました。サキクサを変換すると「三枝」が出るかもしれません。三枝(さえぐさ、さいぐさ)さんの姓の語源だそうです。

このミツマタ、和紙の原料だったりします。和紙の原料と云えば「コウゾ(楮)」が有名ですが、透かしの入れ易さから明治以降日本のお札の原料となっているのです。三椏の椏は木の股の意味があります。

春されば まず三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあらば 後にも逢はむ な恋ひこそ吾妹(わぎも)
柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

さればとは来る、訪れるという意味。春が来れば先ず真っ先に三椏が咲き...と、何よりも先ず(私とあなたが)幸運ならば...と掛けてある処が技巧派な人麻呂。続く言葉は...また逢えるでしょう、そんなに恋焦がれなくとも。愛しき人よ。

万葉集の歌人はロマンチストですねぇ。繊細な心情を歌にするのですから、雅な趣が私は好きです。

今朝は8:00過ぎには買置の煙草も切れたし、午後からは市役所に行かねばならず、ゴミ拾いはしないものの、公園に向い煙草を買ってからYさん宅に寄り、猫ボランティア仲間のケンさんに会い、ルル達と戯れて遊んでから、紫陽花の下草取りへ。

雑草取りと、飴に添付されていた乾燥剤を持って行きましたので、乾燥剤も生石灰ですから紫陽花の肥やしにと撒いてあげます。石灰はアルカリ性ですから、紫陽花には丁度良いのです。土壌をアルカリ性にしてやると赤が増します。根元に直接やると傷みますからやり過ぎない様に。

紫陽花と来ればカタツムリ、カタツムリはアルカリ性を好みます。殻が炭酸カルシウムで出来ているので、それがアルカリ性だから殻を大きくするにも酸性は好まないのです。雨の日などにブロック塀に這っているのを見掛ける事がありますが、実はブロック塀を食べているんです。コンクリートにも石灰が混ぜられています。つまり、生石灰とは酸化カルシウム、消石灰とは水酸化カルシウムの事。

紫陽花の下草取りをしていると、ちょくちょくカタツムリの抜け殻が転がっています。これも石灰と同じですから、その侭紫陽花の肥料となります。酸性雨なる言葉も生まれて近しいですが、土壌も酸性になりがち、どうせ捨てるのならその乾燥剤有効活用してみましょう。シリカゲルをあげちゃ駄目ですよ!

ボランティアにお金を掛けないのは私の主義です。ボランティアだから、報酬も頂きません。

下草取りもだいぶ進んだ頃、ヨっちゃんがやって来まして、暫く喋りながらやっていたのですが、この処頭が廻らなくて、一度に複数の事を出来なくなってしまいました。ヨっちゃんがいきなり大きな声で「コウモリだ!」と言いますから、私も見上げてみると確かにコウモリ。多分、ヒヨドリでしょう、そのコウモリが襲われて落ちたみたい。ヨっちゃんが見に行きます。私も雑草取りを止め、終い支度をして落ちたコウモリの所へ。

ありゃ、まだ子供だと、可哀想だから山に返してあげようと、つまみ上げて、先ずは片手に持っている掘り出した石をYさん宅へ置いてから、雑草の入った袋を始末し、公園の裏山は防空壕に放してあげました。下に写真を張って於きますね。掴まっているのは人差し指です。まだ、生まれて間もない飛び始めた幼子です。まだ、目が開いていないし、それにコウモリは何度か捕まえた事がありますし、大きさは大体判っています。ひょっとしたら絶滅危惧種かもしれませんので、アブラコウモリだとは思うのですが、それにモリが付くと珍種となります。私は専門家ではないので違いまでは良く判らないのです。



コウモリを山に放し、ヨっちゃんは触るのさえも嫌な様で、図体は大きいのですが気が小さい処が...市役所までには時間もありますし、春を捜しに行こうかとちょっくらお散歩して来ました。暫くは、掲載写真に困らないくらい。ツクシも今日はいっぱい見つけました。小さい頃はツクシを取って帰って、萼を取るお手伝いをしては食卓に上ったものです。

今日、PodcastはTBSラジオの「Dig」は外山恵理さんと荻上チキさんのコンビ。結構好きです。今日は「尊厳死法制化」のテーマでした。呼ばれたのは超党派での議員連盟の会長を務める民主党参議院議員増子輝彦氏で、反対派はNPOのさくら会の理事川口有美子さん。聴いていると法案の趣旨は臓器提供意思表示の様なもので、尊厳死も本人の意思表示を尊重し法的に認めようと云うもの。

内容を聴く前にタイトルの「尊厳死法制化」のそもそも法律の必要性が理解出来ません。そんなものは現実、内々に安楽死を選択しているのではないですかね。それで、後になって医者が訴えられる事のない様に法制化するのかとしか思えなかったのですが、議員さんの話からはそもそも論が抜けていて、あくまでも個人の意思表示ないとと言うばかり。

反対派の意見は切実で、24時間介護が必要なのに3時間しか介護保険を使えないとか、家族が疲弊している状況で、生きる権利を担保してからでないと、死ぬ権利など有り得ないと。然し、議員さんは本人が意思表示出来ない状況ではそう云う人も対象外だからと、煉りに煉って叩き台として長年掛けて纏めたのだと。

私は思うのですよ。論点には出て来なかったのですが、性善説だけで法整備すべきではないと。死ぬ権利を与えると、例えば元気な時に意思表示して於き、脳梗塞等で倒れ、植物状態になって、医者から見放された時、医者の知見もレベルは様々で、病床を空けたい病院の都合で安易に使われやしないかと。心境の変化があって辞退する事も出来ると云っても、その時には喋る事も出来なかったら、意思表示してあるじゃないかとなる。反対派はそれを言っている。

それにね、エゴイスト程延命を望むものですよ。自尊心の低い人程、家族に迷惑を掛けたくないと尊厳死をチョイスする。また、こう云う事を記すと感情論になる。延命を望むものは身勝手かと。否、そうではない。

法律で尊厳死が認められれば、ブラックマーケットで保険金目当てになりやしないか。懸念材料は山程あるのに法制化は必要ないだろう。そもそもが憲法違反じゃないかな。

( ´ー`)yー-~

ある病室に2人の末期ガンの患者が入院していた。 1人は窓側のベッド、もう1人はドア側のベッド。
2人とも寝たきりの状態だったが、窓際のベッドの男は、ドア側のベッドの男に窓の外の様子を話してあげていた。
「今日は雲一つない青空だ」「桜の花が咲いたよ」「ツバメが巣を作ったんだ」
そんな会話のお陰で、死を間近に控えながらも2人は穏やかに過ごしていた。
ある晩、窓際のベッドの男の様態が急変した。自分でナースコールも出来ないようだ。
ドア側の男はナースコールに手を伸ばした。が、直前になってボタンを押す手をとめた。
「もしあいつが死んだら、自分が窓からの景色を直接見れる…」
どうせお互い先のない命、少しでも安らかな時を過ごしたいと思ったドア側のベッドの男は、 自分は眠っていたと云う事にして、窓側のベッドの男を見殺しにした。
そして窓側のベッドの男は、その晩、そのまま死亡した。
翌日、ドア側のベッドの男はいよいよ窓側のベッドへ移ることになった。
男は、看護婦に抱きかかえられてカーテンのそばに横になる。
期待に胸がうちふるえた。
そこから見える外の景色、これこそ彼が求めているものだった。
そこから見えたもの、カーテンの向こうは、ただの薄汚れたコンクリートの壁だった。