
明けまして御目出度う御座います。平素のご無沙汰を御詫び致し、新年の御慶びを申し上げます。
物皆者 新吉 唯 人者奮之 応宜 (物皆は 新しき良し ただしくも 人は奮きし 宜しかるべし)
万葉集巻10-1885:作者不詳
物はみんな新しいほうが良いね。だけれど、人は歳を重ねているほうが良い筈だよね。
来し方行く末。
2011年、東日本大震災の余震がそれ以前の数十倍から数百倍も観測され、「次第に減ってはいるものの」と云う報道の一部を恣意的に捉え、『地震の大きさが小さくなる訳ではない』事を肝に銘じて於くべきです。避難方法や備えを十二分に用意して於けば、怯えて暮らす事もない筈です。大震災を経験しなかった地域も人ごとと思わずに、備えあれば患なしですよ。日本海側、北海道は大雪だそうで、雪崩にも気をつけてくださいね。
12月の通院で「もう少し眠りを深くしたい」と懇願したのに、「ロヒプノール」から「ニトラゼパム」に変わり、全く寝付けなくなった。薬の効き目は個人差があるので、「ニトラゼパム」が劣っているとは言わないが、私には合わない様だから、今月の通院では「ロヒプノール」に戻して貰う。4週間分処方されているが、待ってはいられないから早めに受診する。
サプリメントも多種多様であるが、最近あまり見聞きしなくなった「GABA(ギャバ)」は経口摂取しても血液脳関門を通過しないので意味がない。「GABA」とはγ-(ガンマ)アミノ酪酸の事であるが、これも神経伝達物質であり、先の睡眠導入剤のベンゾジアゼピン系はGABAの濃度を高め、抗不安、睡眠、抗てんかん、筋弛緩作用を促す。
何でも表裏一体、匙加減で薬になる物は毒でもある。ベンゾジアゼピン依存症、離脱症候群と、有害な側面もあるので医師の処方は守る様に。そう云う意味でも私は薬嫌いである。曳いてはサプリメント嫌いである。普通の食事で、普通に身体機能が働いていれば、薬もサプリメントも必要ない。頭痛がするから、熱があるからと安々と薬に頼ってはいけないと思う。身体が発する異常信号、若しくは赤信号なのだから、素直にその信号に従い休めば良いのである。
そうは云っても仕事があるからと、薬でその信号を揉み消してばかりいると、身体も順応して次からはもっと危険度が増さないと信号を発しなくなる。そうして身体が発する信号を無視し続けると私の様に「うつ」になる。もっと無視すれば「過労死」になるのだろう。
睡眠と云えば体内時計であるが、体内時計は24時間周期でなく25時間に近いらしい。日本は飛鳥時代から太陰太陽暦を和暦として使用して来たが、明治6年西洋の(宗教色強い)グレゴリオ暦導入以来、太陽に合わせ暮らしている。「うつ」暦10年の私が感じるに「朝日を浴びて体内時計をリセットしましょう」と云うのがどうも後付けの様な気がしてならない。英語の「Month」も語源が「月(moon, mona)」の様に本来人間は(海の生き物は今でも)月の満ち欠け、海の干満に合わせて生きて来たのではないかしら。「lunatic(常軌を逸したさま)」もラテン語の「luna(月)」に由来し、月の満ち欠けが狂気の要因になると云う迷信(?)から発生した語。女性の月経も月の周期に近くないか?
そうは云っても日光も必要だ。紫外線に当って皮下でビタミンDを合成し、腸でカルシウムイオンを吸収し骨を作る。ほらほら、SPF値の高いUVカットは確かに日焼け止めには効果があるが、一方でビタミンDの合成を阻んでいるのをお忘れなく。「適度」って曖昧な言葉だが、そう云うバランス感覚は自分の身体に訊くのが宜しかろう。
薬と云えば血圧降下剤も服用しているのだが、齢を重ねる毎にリスクは高くなるのだから、医者の方から「もう服薬を止めて良いですよ」とは言わないだろうと思い始め、別段長寿を切望している訳でなし、どうやって断薬すべきか少々頭を悩ましている。通院をすっぽかすのは簡単だが、社会復帰する際に健康診断で引っ掛かるのは困る。精神状態が悪いと血圧も乱高下する嫌いがあるから、今は何ともしがたいが、高止まりでも安定した方が医者を説得しやすいかなぁと思う。
これも12月の事だが、内科の主治医が臨時休診で、違う医師曰く「貴方にはこっちの方が適している」と変えた血圧降下剤が全然効かない。毎日3回計測してグラフにしているから一目瞭然。何にしても、医者任せではいけないよぉ。
来し方行く末の行く末の方向なれど、Blogもお休みし過ぎ。文章は少なくなってもあまり間を空けずに更新しようと思う次第。果てさて、思う様に出来ますかな。
( ´ー`)yー-~
医者が連れ立って鴨撃ちに行った。
最初に内科医が銃を構えたが、
「私にはアレは鴨に見えるが本当に鴨だろうか?セカンドオピオニオンを求めたい」
と撃たなかった。
次に小児科医も銃を構えたが、
「あの鴨は撃つには小さすぎる。成長するまで待とう」
と撃たなかった。
精神科医は、
「あの鴨は自分が鴨だと認識しているのだろう?」
と、これも撃たなかった。
そのとき藪の向こうで何かが動いた。
外科医は迷わずぶっぱなした後で病理医に言った。
「鴨かどうか見てきてくれ」