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映画『ドレミファ娘の血は騒ぐ』

2012年01月05日 | 映画の感想

 

監督  黒沢清
伊丹十三 (平山教授)
洞口依子 (秋子)
麻生うさぎ (エミ)
加藤賢崇 (吉岡)
岸野萌圓 (ゼミ生男1)

秋子は高校時代の上級生吉岡を慕って、田舎から都内の某大学にやって来た。華やかなキャンパスは、彼女の目に夢のようにも、またハレンチのようにも映る。そこで発見した吉岡は、すでに以前の彼とは似ても似つかぬ軽佻浮薄な出鱈目人間になっていた。抱き続けた夢が破れた秋子は田舎に帰る決心をするが、それをひきとめたのは心理学ゼミの教授・平山だった。「恥じらい」の心理を独自な理論で研究している初老の平山は、秋子を恰好の研究対象として自説の完成を計る。それは同時に、彼女に対する淡い恋情を禁じ得ない。一方秋子も、平山の紳士的な態度に悪い印象は持たなかった。そんなある日、平山の心理学ゼミを受講している学生達が平山の老案した「恥ずかし実験」を彼には無断で行ってしまう・・・

★☆☆☆☆

う~む、変なもの、見ちゃった。黒沢清監督の初期の映画。『女子大生恥ずかしゼミナール』のタイトルで日活ポルノとして製作するも配給を拒否され、濡れ場シーンを大幅にカットして再編集してディレクターズカンパニーで公開した作品ということだ。そのためもあって流れが実にイビツだ。この流れだと絶対乱交だよね、ガク!なんてふうに。もともとアングラチックな前衛映画っぽい作りだったんだろうけれど余計わけがわからない。80分ほどの映画を見るのに、伊丹十三も出ているし、洞口依子や麻生うさぎのエロシーンもあるのに、こんなにしんどいなんて。だって劇中に挟まれる自主製作映画と本編の区別がつかないくらい、セリフが棒読みの人が多いんだもの。内容としては、大学のレジャーランド化やモラトリアム人間が世間で騒がれ始めた頃らしく、まるでSEX遊園地のように描かれている。そこで伊丹が唱えるのが『恥ずかしいと感じることこそ愛だ!』という理論。その実験と称して、あの『バーバレラ』の快楽責めオルガンマシーンみたいな、恥ずかし責めマシーンが登場し、洞口依子を責めるあたりがクライマックス。こう書くと、ちょっと面白そうでしょ?でもラストは川土手での空想戦闘シーン。今の学生たちは、何のために、何に対して戦えばいいのか?という問いかけを暗示して終わる。ゴダールとかテオ・アンドロゲプスを彷彿とする。あれくらいに眠い・・・(爆)

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