萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

one scene 或日、学校にてact.8 驟雨―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-09 04:30:54 | 陽はまた昇るanother,side story
言ってもらえたから、今



one scene 或日、学校にてact.8 驟雨―another,side story「陽はまた昇る」

ふりそそぐ木洩陽、いつもより優しい。

ベンチの木蔭はいつものよう涼やかに風が吹く。
どこか今日はいつもより明るくて、すこし鼓動が速くて、けれど安らぎが穏やかにふれる。
こんなふうに「いつものように」がすこし特別なのは、隣に座っている人の所為だろう。

「周太、その本は何?」

綺麗な低い声に訊かれて周太は隣を見た。
その視界の真中に綺麗な笑顔が咲いている、この笑顔が嬉しくて周太は笑いかけた。

「これはね、山の植物について書いてあるんだ…標高や緯度、地質の差が影響するって…あと風向きとかも、」
「山の植物学、って感じなんだ?」

興味を持った、そんな貌で訊いてくれる。やっぱり山ヤの英二は「山」のことなら何でも興味があるだろう。
ふたり共通に興味を持てる本かもしれない?嬉しい期待に微笑んで周太は頷いた。

「ん、そう。『山の自然学』っていう題名なんだ…見て?穂高岳の写真も載ってるよ、」
「お、夏の穂高だな?涸沢カールだろ、これ、」
「そうなの?…あ、ほんとだ、ここに書いてあるよ?崖錐の出来方とかも、」

話しながら一緒にページを繰ってみる。
記されている内容は植生がメインだけれど、その現場になる山自体の成立ちもコンパクトにまとめられている。
思ったとおり、山の勉強も出来そうだな?そう思った隣から英二が楽しげに笑ってくれた。

「周太、これ良い本だな?俺も買おうかな、後でまた本屋に行っても良い?」

同じ本に興味を持って「買いたい」と言ってくれた。
こういう事は初めてだ、偶然に同じ本を読んでいたことはあるけれど「周太の本を見て買う」は今までにない。

…本のお揃いだね?

心つぶやいた言葉に、首筋へと熱が昇ってしまう。
こういうのは嬉しい、自分の好きだと思った本を見せて好きになってくれるのは、認めて貰えたと思える。
いつも本当は自信が無い自分だから、こういう「認めてくれる」は嬉しくなる、嬉しい想いに周太は頷いた。

「ん、本屋行こうね?でね…北岳のことも載ってるよ?」

北岳、この山についても書かれているのは買う時の決定にも大きい。
きっと英二も同じだろうな?そう見た先で切長い目が嬉しそうに華やいだ。

「お、北岳も載ってるんだ?」

ほら、『北岳』に興味を持ってくれた。

この山は「哲人」の異称を持つ本邦第2峰、高潔な山容が美しい。
この山の雰囲気はどこか英二に似て、英二自身も特別な山と思っている感じがする。
だから尚更、この本を読んでみたくなった。やっぱり好きな人の「特別」は知りたいから。
そして出来るなら行ってみたい、この願いを周太は大好きな婚約者へと素直にねだった。

「読んでいると、行ってみたくなるね。夏の花が咲くとき、行ってみたいな、」
「それなら周太、一緒に登りに行こう?夏の休暇とか、どこかで時間作るから、」

ほら、約束を言ってくれる。

英二の特別な山に行く約束が嬉しい。
出来るなら今夏に行きたい、今夏ならまだ自由だから。
この自由の時に出来るだけ幸せな約束を叶えたい、この願いに周太は笑いかけた。

「ほんと?…英二が連れて行ってくれるの?」
「うん、俺が連れて行くよ?光一と練習で登りに行くから、その後ならコースもちゃんと解かるしさ、」
「うれしいな…楽しみにしてるね、」

楽しみな気持と見つめた先、幸せな笑顔が綺麗に咲いてくれる。
その大好きな笑顔の向こうで、急に紗がひかれるよう色彩が変わった。

「…ん、雨?」

呟いて周太は梢の向こうを見た。
そして視界に白い紗をひくよう雨音が降り始めた。

…さああ、さあああっ、…

やわらかで絶え間ない水の音が、白く視界を染めていく。
白い雨音に包まれて木蔭が隠される、水ふるだけの静謐が優しくて周太は微笑んだ。

「…夕立だね?驟雨、っても言うけど…すぐに止むと思う、」

こんな景色を見たことがある。

ふりそそぐ雨けぶる公園の深い森。
あわい水煙に緑が滲んで、幻の世界に変わっていく。
空気も水を含んで涼やかな風が頬撫でる、雨と樹木の香を燻らさす。この温度も香も懐かしい。

…ん、懐かしい…初めての外泊日もこうだったね、

あのとき恋に墜ちた、そう英二は教えてくれた。
もし今の瞬間が、あの時に戻ったら英二は何て言ってくれるのだろう?
そんな想いに隣を見ると、端正な横顔は目を瞑っていた。

…また眠っちゃったのかな?

ここに座るとき、ときおり英二は瞳を閉じて眠りこむ。
とくに今は眠たいかもしれない、一昨日は夜間捜索で睡眠時間が短かった筈だから。
それでも昨夜は割と早く眠っただろうと思うな?考えながら周太は声をかけた。

「英二?…こんな所で寝たら、風邪ひくよ、」

声に、濃い睫がゆらいで瞳が披く。
真直ぐに澄んだ瞳は見つめ返してくれる、その深い色は一年前より美しい。
あのときと変わらない驟雨のベンチ、けれど前よりずっと幸せに英二は綺麗な笑顔ほころばせた。

「寝てないよ、」
「ん、よかった、」

…あ、これって同じだね?

ひとりごと心こぼれて周太は微笑んだ。
あのときも英二は眠っているよう見えて、自分は声をかけた。
なんだか時間が戻ったみたい?そんな想いにさっき感じた事がふれた時、綺麗な低い声が名前を呼んだ。

「周太、」
「ん?」

呼ばれて振向いた先、綺麗な笑顔が幸せに咲いてくれる。
この笑顔が見られると嬉しくなってしまう、嬉しくて微笑んだ周太を英二は抱き寄せてくれた。

「周太、君が好きだ。君に恋して愛してる、だから、俺のことだけ見つめて?…」

…これ、あのときの告白?

そんな想いごと唇が重ねられて、ほろ苦く甘い香が熱ふれる。
この今の瞬間は、あのとき叶わなかったキスと、叶わなかった告白?
あのときと今と重なって想いを伝えてくれる、交わしあう温もり抱きしめたまま、そっと唇を離す。
見つめられて気恥ずかしくて、ここが公園なことも恥ずかしくて首筋に熱が昇ってしまう。

…恥ずかしい、でも…うれしい、

気恥ずかしさに伏せた目を覗きこまれて、そっとキスふれてくれる。
このキスは告白の答えを求めてくれる?やわらかな温もり微笑んで、周太は婚約者に答えた。

「英二が好き…ずっと見ていたいよ?英二の笑顔は、俺の宝物だから、」

あのとき言ってもらえなかった大切な言葉へ、今、応えられた。






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