萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

one scene 某日、学校にてact.8 驟雨―side story「陽はまた昇る」

2012-08-10 04:35:07 | 陽はまた昇るside story
本音を言ったら、



one scene 某日、学校にてact.8 驟雨―side story「陽はまた昇る」

雨後の空気は、水の香が懐かしい。

清澄な風とゆれる街路樹は、梢に陽射しが翻る。
水たまり避けて歩いていく道、並んで歩く隣の髪にも陽光きらめいていく。
ふわり風に髪払われて聡明な額が露になる、眩しそうに睫伏せる翳が綺麗で。
こんなふうに「きれいだ」と並んで歩いた1年前は、切なかった。

きれいだと、隣を想う。
そのたびに触れられない切なさが痛くて、哀しくて。
あの瞬間の傷みを知っている、だから尚更に今も瞬間が愛しい。
この愛しさに微笑んで、英二は隣を歩く人に笑いかけた。

「周太、ちょっと寄り道していい?」
「ん、いいよ?」

黒目がちの瞳が見上げて笑ってくれる。
この笑顔をずっと見ていたい、そしてもっと笑ってほしい。
あのときと変わらない「笑顔を見たい」この願いに笑って英二は、いつもの店の扉を開いた。

「こんにちは、お久しぶりですね、」

馴染みの店員が迎えてくれる。
ラーメン屋でも久しぶりだと言われたけれど、確かに新宿を歩くことは暫くなかった。
このところ忙しかった時間を想いながら英二は微笑んだ。

「こんにちは、夏服もう入ってますよね、」
「はい。ごゆっくり、ご覧くださいね、」

笑顔で彼女はカウンターで服を畳みながら見送ってくれた。
いつも英二は自分で服を選ぶから、そのことを彼女は知って構わないでいてくれる。
これが英二としては嬉しい、彼女に感謝しながら英二は2階へと上がった。
明るいコーナーを見まわすと涼しげな服が並んでいる、その中から何点か目に着いたものを手早く英二は選んだ。

「ほら、周太。これどうかな?着てみて、」

試着室の壁に服を掛けながら振向くと、困ったよう黒目がちの瞳が見つめてくれる。
どうしたのかなと笑いかけた英二に、遠慮がちに周太は口を開いた。

「あの、英二、それ着てみるけど…でも、今日は俺、自分で買うね?」

よく英二は周太の服を買う、こんな服を着てほしいと思うから。
そのことを周太は申し訳ない様に思ってくれるけれど、何も遠慮してほしくない。
だから今も正直に英二は婚約者へ笑いかけた。

「ダメだよ、周太。周太の服は俺がプレゼントしたいんだ、言うこと聴いて?」
「…でも、いつも悪いから…」

困ったよう言って見つめてくれる貌が可愛い。
こんな貌するから余計に服を買いたくなる、笑って英二はすこし屈んで恋人を覗きこんだ。

「俺が選んで贈ったものを着て欲しいんだ。そうしたら周太、いつも俺のこと忘れられないだろ?そうやって独り占めしたいだけ」

独り占めしたい、これが本音。
だから言うこと聴いてほしいな?そう見つめた周太の頬がゆるやかに赤くなっていく。
あと一押しで言うこと聴いてくれるかな、英二はすこし悪戯な気持と一緒に笑いかけた。

「それに自分で贈った服を脱がすのって、俺、嬉しいんだけど?」

言葉に、さっと周太は額まで真赤になった。
この赤くなる所が可愛くて好きで、つい恥ずかしがらせたくなる。
嬉しくて見つめていると周太は少し唇噛んで、すぐ口を開くと素っ気ない言葉を英二に投げつけた。

「っ、えいじのばかえっちへんたいっどうしてすぐそういうこというの?」
「えっちで変態だからだろ?周太限定でね、」

即答して笑いかけると、黒目がちの瞳が大きくなった。
困ったよう眉がしかめられて、大きくなった瞳が睨むよう見上げてくる。
けれど、くるり踵返すと周太は試着室に入って、ざっと勢いよくカーテンを引いてしまった。

―怒らせちゃったかな?

やりすぎたかな?そんな反省と一緒に英二はソファに腰掛けた。
いま引かれたカーテン一枚に隔てられている、こういうシーンをどこかで読んだ?
そんな考え廻らして、記憶の抽斗から出た答えに英二は微笑んだ。

「…そっか、『天の岩戸』だな?」

太陽の女神が怒って洞窟に隠れてしまう、そんなシーンの話。
あのとき残された者たちは困って、女神が出てくるよう宴会をして気を惹いた。
太陽が現われなければ、万物は枯れてしまうから。そんなストーリーに想い重ねて英二は微笑んだ。

―俺にとったら、太陽の女神は周太だな?

周太が笑ってくれないと哀しい。
周太がいないと心が空っぽになって、虚しさが心覆ってしまう。
周太に出逢う前の自分は「生きている」ことにすら迷っていた、けれど今は夢までも抱いている。
そんな自分にとって「周太」は歓びで、自分の全てで、想うだけで明るく温かい。
こんな自分はもう「周太無し」だと枯れてしまう、太陽を浴びない花の様に。

だから失うことが怖くて。
周太にとっても自分を必要な存在にしたくて、すこしも自分を忘れてほしくない。
だから今も服を買いたい、着ているとき想い出してくれるように、そのたび「好き」だと想ってほしくて。
そして今みたいに困らせたくなる、構ってほしくて見つめてほしくて。

周太は今、怒ってる?
それとも困ってるだけかな、また俺に困らされてる?
俺に怒って困って、けれど俺が選んだ服に着替えながら、俺のことばかり考えてくれている?

こんなふう自分のことで頭を廻らせていて欲しい、他の誰かを考える暇がないくらいに。
そんな想いと見つめて待っているカーテンの向こう側、静かに気配が動いている。
そろそろ着替え終るかな?そんな期待と見つめたカーテンがゆっくり開いてくれた。

「…着たけど、」

ぼそっと言った顔が、恥ずかしげに頬赤い。
あわいブルーの半袖パーカーに明るいカーキのカーゴパンツ、その裾がすこし長い。
やっぱり着替えてくれたのが嬉しい、嬉しくて笑いかけながら英二は恋人の足元に膝まづいた。

「ちょっと裾、短めに折ると可愛いよ?」

言いながら足首が出るまで裾を折り上げる。
この辺と思うところへ折ると、立ち上がって眺めた。そのストレートな感想が勝手に口から微笑んだ。

「…かわいい、」

パンツの裾から出ている足首が、なんだかすごく可愛いんですけど?

こういう「裾が短い」格好は考えたら初めて見る、周太は足が綺麗だから出てると可愛いんだ?
今まで気付かなかった、つい見惚れてしまう、こんな予想外かなり嬉しいどうしよう?
やっぱり短パン買うべき?膝小僧とか可愛いだろな、でもそれだと露骨すぎる?
っていうか他のヤツに見せすぎるのも嫌だな、どうしよう?

「英二?どうしたの?」

声に我に返ると、黒目がちの瞳が不思議そうに見つめてくれる。
ほら、こんな貌も可愛いのに、こんな格好でされるとちょっと困りそう?
こんな自分に笑って英二は、クロップドパンツを選んで試着室に上がりこんだ。

「周太、こっちも履いてみて?」
「ん、…あの、英二?」

クロップドパンツを受けとりながら周太が首を傾げこんだ。
なんか問題があるのかな?そんなふう笑いかけて英二は一緒に首傾げてみせた。
そんな英二を見つめて周太は困ったよう訊いてくれた。

「どうして英二も試着室に入ってるの?」
「ダメ?」

ダメに決まってるんだけどね?
でも、もしかしたら目の前で着替えてくれるかな、なんて期待したんだけどね?
そんな内心と笑って英二は、素直に試着室から降りるとカーテンを閉めた。

―きっと周太、今、真赤だろうな?

いまの英二の行動に、きっと周太は困っている。
困らせる位は解かってやったことだし、困っている様子を見てみたかった。
本当はそのままカーテンの内側に居たい、こんな少しの時間すら離れていたくない、ずっと傍で見つめていたい。
こんな自分はワガママで駄々っ子みたいだ?けれど今は駄々っ子でも赦してほしい、だって今しかないかもしれない。
いつか離れる時間が訪れる、その向こう側に再び共に過ごせる時間があるとしても、別離の時間は怖い。
だから「今」一緒にいられる時間であるならば、少しでも一緒に過ごしていたい。

本当は「今」ちょっとの間も離れていたくない、少しでも多く君の時間を独り占めしたいから。
本当はずっと自分の体で君を抱きしめていたい、けれど出来ないから、代わりに自分が贈った服で君の素肌を包みたい。
そして許される時には服を脱がせて、自分の素肌で君を包んでしまいたい。

本当は自分の懐から君を出していたくない、誰の視線にすら触れさない、独り占めに体温を感じていたい。
こんなの酷いワガママ勝手で君の自由を奪うと知っている、それなのに閉じ込めて離したくない、それが本音。
これが今の本音、とてもワガママで自分勝手だけれど、本音だから仕方ない。
もしこの本音を言ったら君は、なんて答えてくれるだろう?

こんなワガママでも赦してくれる?





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