萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.34 another,side story「陽はまた昇る」

2021-11-11 08:39:00 | 陽はまた昇るanother,side story
That after many wanderings 
kenshi―周太24歳4月


第86話 建巳 act.34 another,side story「陽はまた昇る」

白い光、薄紅ふくんだ花の風。

「わぁ…」

こぼれる声に花かすめて甘い、光いっぱい空の門。
細めた眼もと花ふれて掠めて、ほら?記憶ゆすられる。

『あんた、この春の新入生?』

あの日、警察学校の門であなたに出会った。
春三月の終わり2年前、父の軌跡を追うために立ったあの場所で。

―あのとき僕、いやだなって思ったな…さいしょは、

あなたの昏い眼が僕を見た、きれいで無機質な貌の深い鋭い視線。
冷たい仮面のようで、けれど瞳の深く僕に問いかけた。

“俺の答えを知っている?本当は生きる意味と誇りを、ずっと探している”

この疑問に応えられる?そんな問いかける瞳に惹きこまれた。
惹きこまれて、それよりも立ち尽くす「父の殉職」こわばる鼓動と孤独の鎧を着こんだ。
ただ真相を知りたくて、ただ渇望あがくまま頭上の花も見えないまま、父を死なせた門を見つめていた。

けれど今、この瞳いっぱい爛漫の春。

「きれい…」

白い光が舞う、この門をくぐった父の春がある。
同じキャンパスこの足が歩いてゆく、行く軌跡すこし違う道へ。

「…前を見よう」

そっと声にして、あなたの声すこし遠くする。
昨日の約束すぐ考えそう、だからこそ今一歩ごと明日を見たい。
だって今この時を生きるならきっと、あなたの眼をまっすぐ見られる。

「ん、いい天気、」

仰ぐ青空ほのぼの明るい門、キャンパスの静謐おだやかに朝陽ふる。
ここで今日から明日を見る、ただ眩しくて嬉しくて周太は門をくぐった。

“私の母校でも一緒に散歩したいわ、”

ほら?祖母の声が響く、明日を見つめた手紙の聲だ。

“大きな図書館がとても素敵なのよ?君のお祖父さんの研究室も案内したいです。”

命の限りを知りながら明日を謳う、そんな手紙を遺してくれたひと。
まだ三十歳を過ぎたばかり、けれど生きられないと知って、それでも未来を信じて僕に宛ててくれた。
そうしてキャンパスの一隅に今、彼女の未来に微笑んだ。

「ほんとうに素敵だね…ありがとう、」

声ひそやかに仰いだ空、桜ゆるやかに朝が薫る。
おだやかな清閑にレンガ造り微睡む、射しこむ光ひそやかに靴音が軽い。
昨日よりスーツの肩ずっと軽い、弾むレザーソール聞きながら窓口に着いた。

「おはようございます、フランス文学の田嶋研究室の湯原と申します。鍵をお願いできますか?」

ちょっと確認しますね、とパソコンのキー叩いてくれる。
こちらの顔と確認して、鍵ひとつ渡してくれた。

「新任の方ですね、こちらが研究室の鍵になります。受取り時刻とお名前の記入お願いします、」
「はい、ありがとうございます、」

受けとって台帳にペン走らせる。
預かった鍵すぐスーツのポケットにしまって、係員が教えてくれた。

「田嶋教授から職員証を受け取られてくださいね、解らないことがあれば内線こちらにどうぞ、」
「ありがとうございます、これからお世話になります、」

頭さげて、鍵のポケットそっと押さえて踵返す。
弾む金属の重みにソールの音、昇ってゆく階段すぐ扉に着いた。

“フランス語フランス文学研究室 田嶋教授”

仰いだ表札、昨日も見たのに真新しい。
かすかな緊張かちり鍵さしこんで、開いた扉そっと本が薫った。

ことん、ことん、

足音やわらかな静謐、かすかな渋い甘い香くゆる。
古書おだやかな空気の底、書架を通って窓のカーテン開いた。

「…きれい、」

ひそめた声に桜が咲く、祖父が植えた樹だ。
かたわら山桜の蕾ふくらむ、あと一週間くらいで咲くだろうか?
それより遅くても早くても花きっと見られる、この窓ずっと毎日に開くなら。

「…だからここに植えたの?お祖父さん、」

声こぼれた書架の隅、祖父の著書たち息づく。
並んだ背表紙の名前に微笑んで、昨日教えられたロッカーに鞄をしまい紙袋だした。

「おっ、早いなあ?」

低いくせ闊達な声が響く。
聞きなれたトーン振りむいて、まっすぐ周太は微笑んだ。

「おはようございます、田嶋先生。今日からよろしくお願い致します、」
「こっちこそだ、引き受けてくれて助かるよ?」

低く明るい声からり、鳶色の瞳ほがらかに笑ってくれる。
この眼差しが昨日この差しだしてくれた場所で、緊張すこし微笑んだ。

「こちらこそです。文学の研究も秘書も初めてですが、お役に立つよう務めます、」
「充分に務まるさ、今までしてくれてたコトの延長だからな。でも兼務の分きっちり給料はずむよ、」

大学がな?
そう言いながら手にした書類ファイル示してくれる。
白髪まじりの茶毛くしゃくしゃ掻きあげながら、研究室の主は書斎机に鞄どさり置いた。

「ほんと助かるよ?今までも秘書を置けって言われてはいたんだけどなあ、俺こんなだろ?学者センセイのイメージで来られたらさ、なあ?」

書籍と書類うずまるデスク、ワイシャツの袖まくりながら学者が笑う。
あらわれる腕は健やかな雪焼け頑健で、こんな父の旧友につい笑った。

「山ヤならイメージのままですね?」
「だろ?」

からり笑って腕のジャケットをハンガーひっかける。
朝陽おだやかなデスクの上、新たに一件の契約書をひろげた。

「これが教授秘書の契約書だ、研究員との兼務についても書いてあるから、」
「はい、ありがとうございます、」

肯いて文面よく噛みしめる。
一度また確かめ2枚それぞれサインして、押印した1枚を差しだした。

「引き受けてもらえて良かったよ、でも院の受験勉強には遠慮なく時間とれな?でないと湯原先生に顔向けできねえ、」

祖父の名前に微笑んで、鳶色の瞳が念押ししてくれる。
こういう教え子を遺してくれた、つながる温もりに笑いかけた。

「はい、勉強させて頂きます、」
「無理が無いように俺も考えるな、体調管理もシッカリ頼むぞ?」

告げてくれる眼差しは温かい。
窓ふる朝陽おだやかなデスク、書類たち広げられる。

「職員証とガイドブックな、パスワードの登録についてはコレか、」

気さくなトーン教えてくれる声、低いくせ温かに響く。
こんなふうに父とも話していたのだろうか?たどらす想いに教授が教えてくれた。

「仏文は他に常勤3人いるんだ、非常勤もかなりいる。湯原先生の教え子もいてな、また紹介するな、」
「はい、よろしくお願い致します、」

頭さげながら、鼓動ゆるく熱い。
こんな会話に現実なのだと沁みてくる、本当に今ここから始まるんだ?

“Yuhara Susumu 文学博士 湯原 晉”

並んだ背表紙、祖父の名前いくつも光る。
あの芳蹟に今もう踏みこんでしまった、名前の実感と緊張に教授が笑った。

「そんな緊張しないでいいぞ?この部屋は俺しかいないしなあ、たまーに来る学生も気楽なもんさ?」

言われて息ほっと零れる、肩ゆるくほどかれる。
解かれた緊張に父の旧友が笑った。

「周太くんの緊張する貌、ほんと馨そっくりだなあ?父と息子ってそんなもんかな、」

そっくり、は嬉しいな?
素直な想い微笑んで、持参した紙袋とりだした。

「あの、朝のお茶は召し上がられますか?ご迷惑でなければお茶請けを持ってきたのですが、」
「いいねえ、もちろん歓迎だぞ?」

からり闊達な鳶色の瞳が笑ってくれる。
その目もと朝陽ふれて、光ひとすじ眩い。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」より抜粋】

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