萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.33 another,side story「陽はまた昇る」

2021-10-09 23:57:00 | 陽はまた昇るanother,side story
Do take a sober colouring from an eye 
kenshi―周太24歳4月


第86話 建巳 act.33 another,side story「陽はまた昇る」

今日、あの街にあのひとがいた。
それは偶然だろうか?

「そう、英二くんに会えたのね?」

母の瞳ゆっくり瞬いて、アルト穏やかに訊き返してくれる。
微笑んだ貌と声いつものままで、ほっと息吐いて周太も微笑んだ。

「新宿のね、あの公苑にいたら英二が来たんだ…来るかもしれないって思ったら、ね、」

微笑んだ口もと、甘い芳醇かろやかに香る。
テラスの窓くゆらす湯気、焼菓子の温もり指先ふれた。

「約束なんてしてなかったんだ、1時間も一緒にいなかったよ?でも僕、ずっと訊きたかったこと言えたんだ、」

話しながら指さき温かい、甘い香ばしい空気に息つける。
懐かしい香の温もりに、黒目がちの瞳そっと微笑んだ。

「周、ずっと訊きたいことがあったの?」
「ん、」

肯いて、さくり割ったスコンが温かい。
くゆらす香あまく優しくて、あわい金色ごし母に言った。

「英二が僕といた本音を訊きたかったんだ、正義感かもしれないって…お父さんのことあるから、」

英二、あなたの素顔は直情的で真直ぐだ。
そんな貌いくつも見た時間の涯、母の瞳ふわり笑った。

「あの公苑、桜きれいだったでしょう?」
「ん、満開には早いけど…」

訊かれて頷いて、母の瞳が笑ってくれる。
黒目がちの瞳やわらかにランプ映して、オレンジ優しい灯に微笑んだ。

「英二くん、元気そうだった?」
「よくわからない…我慢するとこあるから、」

素直に答えながら、瞳の記憶そっと軋む。
あの切長い眼いつもどおり綺麗で、けれど僕を見ていたろうか?

「また会うんでしょう?」

母が訊いてくれる声、穏やかなアルトやわらかい。
その眼ざしも明るく穏やかで、ほっと周太も微笑んだ。

「ん、しあさって…大学が終わった後にって、約束して、」

しあさって、あなたに会える?
期待と、かすかな痛み淡く甘くて、首筋そっと熱い。

―なんだか恥ずかしいな、こんなの…僕どうして、

あなたに会う、その期待が僕を支配する?
そんな自分に頬きっと赤い、ただ逆上せるまま母が微笑んだ。

「じゃあ、お母さんもゴハンしてくるね?しあさって、」
「ん…ありがとう、」

頷いて、ティーカップ口つけて温かい。
甘やかな芳香かすかな渋み、朗らかなアルトが訊いた。

「ところでね、周?加田さんの下宿のことだけど、叔母さまへのお返事どうしたいかな?」

言われた名前に現実そっと戻らせる。
大叔母が提案してくれた安全策、その提案に微笑んだ。

「ん、お母さんがいいなら…誠実な方だと思うし、」
「叔母さまも誠実な方って仰ってたわ、周も大学のこと聴けていいかもしれないものね?学部は違うけど、キャンパスは隣なのでしょう?」

朗らかな瞳やわらかに笑って、決めた返事と肯いてくれる。
その言葉に温もり優しくて、嬉しくて口ひらいた。

「あのね、大学のことなのだけど…僕、フランスにも行くかもしれないんだ、」

今日、示してもらえた一つの未来。
ただ嬉しくて声にした先、黒目がちの瞳ぱっと笑ってくれた。

「フランス?もしかして周、田嶋先生の研究室でお世話になるの?」

ほら、すぐ解って笑ってくれる。
母の笑顔ただ嬉しくて、周太は幸せに笑った。

「そう、田嶋先生の研究をお手伝いすることになってね、それでパリ大学にも行くみたいで。お給料もいただけるんだよ?」

祖父の愛弟子を手伝う、それが仕事にもなる。
きっと喜んでくれるだろうな?楽しい予想そのまま母が笑った。

「あら、お金をいただいて勉強できるのね?最高じゃない、」

最高、なんて言ってくれるんだな?
その言葉に笑顔に嬉しくて、嬉しいまま笑いかけた。

「お母さんもそう思う?」
「もちろん、周もそれで承諾してきたんでしょう?」

アルト弾んで笑ってくれる。
先を聴かせて?そんな眼ざしに今日、ちょっと誇らしく笑いかけた。

「あのね、契約書もきちんと下さったんだ、」
「すごいね、どんなの?」

見せて見せて?促してくれる瞳に立ちあがって、台所の鞄を開く。
書類一通とりだして、戻ったテラスのテーブルに差しだした。

「きちんとしてるのね、拝見します、」

微笑んで母の手が封筒ひらいて、黒目がちの瞳すっと奔らせる。
その貌いつもと少し違って、つい見つめた。

―お仕事の貌なのかな…ちょっと、かっこいいね?

いつも穏やかで明るくて、優しい笑顔で寛がせてくれる。
けれど今すこしシャープで怜悧な眼は、こちら見てすぐ微笑んだ。

「田嶋先生とのお仕事は楽しそうね、大学院はどうするの?」

訊いてくれる瞳と言葉、僕の未来を尋ねてくれる。
それがただ幸せで、けれど少しの迷いと微笑んだ。

「青木先生の研究室を受験するつもりなんだけど…」
「田嶋先生にも誘われてるんでしょう?」

すぐ問いかけてくれる、ほら?お見通しなんだ。
いつもながら聡明な視線に、ありのまま肯いた。

「ん…お祖父さんとお父さんの分もって、思ってくださるみたいで、」

あの闊達な文学者が言ってくれたこと。
それが嬉しかった想いのまま、母も笑ってくれた。

「よかったね、周?」
「ん、ありがとう、」

肯いて笑いかけて、母の瞳ほがらかに弾んでくれる。
ふたり紅茶とスコン囲んだテーブル、弾んだアルトが笑った。

「今夜はちょっと乾杯しようね、周?」

乾杯しようね、
祝ってくれる言葉と笑顔が温かい、だから僕も肯ける。
たぶんきっと、警察官を辞めたことは、学問の世界を選んだことは僕の未来だ。

だからこそ考える、
あなたと僕の時間には、未来があるのだろうか?

『あの公苑、桜きれいだったでしょう?』

桜きれいだったでしょう?
そんなふう訊いてくれる想い、きっと多分、それは父と母の時間たち。
その時間たち短すぎて、けれど優しくて温かで穏やかで、そして輝いている希望と未来と、永遠その先。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」より抜粋】

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