萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.38 another,side story「陽はまた昇る」

2023-02-08 22:00:00 | 陽はまた昇るanother,side story
That after many wanderings 
kenshi―周太24歳4月


第86話 建巳 act.38 another,side story「陽はまた昇る」

憧れで、恩人で、大好きな友だち。

そんなふうに祖母を想ってくれるひと。
そうして今、淹れてくれた茶の香ふわり清々しくて周太は微笑んだ。

「ありがとうございます…祖母のことそんなふう仰ってくれて、嬉しいです、」

うれしい、こんなにも。
だって自分は祖母を知らない、ずっと昔、生まれる遥か前に亡くなったから。
それでも今こうして向きあうテーブル、研究室の窓辺に学者は朗らかに笑った。

「こっちこそよ、斗貴子さんのお孫さんだなんて。しかも私の講義を受けてくれるんでしょう?どうしよう、嬉しい、」

メゾソプラノ朗らかな目もと、皺やわらかに滴が光る。
ほら?こんなふう悼んでくれる、僕の家族のこと今も。

―僕にも家族がいるんだ、ほんとうに…ここで生きて、

父は亡くなった、もうじき十五年になる。
父は祖父母の話をしなかった、母も知らされないまま嫁いで今がある。
それでも知ることができる幸せに、ただ嬉しくて笑いかけた。

「ありがとうございます、祖母のこと話してくださって、」
「私こそ話したいのよ。講義だけじゃなくって、斗貴子さんのこと聴いてね?」

微笑んで、鼈甲フレームごし真直ぐ見つめてくれる。
大きな瞳ふわり明るんで、ことん、オレンジ色の箱ひとつテーブルに開けた。

「シュウタくんはチョコレート好きかしら、意外とお煎茶にも合うのよ?」

ほろ甘い香ふわり、研究室やわらげる。
やさしい甘い空気の底、隣の友だちが笑った。

「ソレって晄子先生の秘蔵のチョコじゃないですか、待遇違いすぎません?」
「あたりまえでしょ、大切な友だちのお孫さんよ?」

からり言い返して銀髪のショートカットゆらす。
どこまでも朗らかな祖母の旧友に微笑んだ。

「どうかお気遣いなさらないでください、急に押し掛けたのに申し訳ありません、」

祖母の友人だなんて知らなかった。
けれどあの教授は?気がついた疑問にメゾソプラノ軽やかに笑った。

「シュウタくんこそ遠慮しないで?サプライズさせたのは田嶋君なんだし、それもまた喜んでる私なのよ?」

どうぞ召しあがれと、チョコレートの箱こちらに押してくれる。
艶やかな甘い香やわらかで、優しい仕草に笑いかけた。

「ありがとうございます、あの、僕もです…びっくりした分も嬉しくて、」
「でしょ?こういうの、ほんと田嶋君だわ、」

鼈甲フレームの瞳くるり笑って、ぽん、チョコレート口に運ぶ。
さあどうぞ?そんな視線に隣は遠慮なく手を伸ばした。

「うまっ、やっぱミツコ先生の出してくれるモンはうまいですね、」
「美味しいのしか出しませんよ、だからシュウタくんも安心して召しあがれ?」

甘い香やわらかに笑いかけてくれる。
その眼差し優しく率直で、周太も素直にひとつ摘まんだ。

「いただきます、」
「はい、どうぞ?」

勧めてくれる笑顔に、ひとつぶ口にして芳香ほどける。
豊かな甘さにかすかな苦み、ほっと息吐いて微笑んだ。

「おいしいです…なんだかほっとします、」
「でしょ?私も昔から好きなの、」

眼鏡ごし大きな瞳くるり笑ってくれる。
祖母の友人なら七十も半ば位だろう、そのくせ瑞々しい声が言った。

「これね、斗貴子さんのお気に入りだったチョコレートなのよ。パリの老舗のお菓子屋さん、」

ほら?祖母はここで生きている。

「祖母が…パリの、」

声こぼれてチョコレートが香る。
深い甘い馥郁ほろ苦い、この香なつかしくて似ている。
とても知っているようで、たどる記憶に老婦人はきれいに笑った。

「そう、パリのチョコレート。パリ大学出張のお土産って頂いたのがキッカケで、斗貴子さんは好きになったんですってよ?」

パリ大学出張のお土産、そう言って祖母に贈ったのは?
告げられた言葉たちに口ひらいた。

「あの、祖父が祖母にってことですか?」
「そうよ、湯原教授は粋なダンディでいらしたのね。とても真面目でお堅い方でもあったのだけど、」

メゾソプラノ朗らかに答えてくれる。
ほら?面影たち近くなる、知れる嬉しさに笑いかけた。

「祖父のプレゼントなんですね、」
「だから私もナイショで教えてもらったのよ、でもシュウタくんには良いじゃない?もう時効だし、」

くるり大きな瞳すずやかに笑って、湯呑に笑っている。
朗らかな笑顔、けれど言われた言葉に問いかけた。

「あの、時効ってどういう意味ですか?」

時効、すこし前は身近だった言葉。
つい訊き返した先で老婦人は軽やかに告げた。

「教授と女学生、秘密の恋は罪みたいな時代だったのよ、」

秘密の恋は、罪。

「…、」

ほら言葉が出ない、鼓動が軋む。
それは祖父母のことだからだけじゃない、噛まれる想いに友だちが言った。

「どの恋が罪とか、誰が決められるんでしょうね?」

明朗な声いつもどおり徹る。
明るいクセどこか深い、そんな声に女学者が微笑んだ。

「湯原教授と斗貴子さんの恋は、私には恩恵よ。こんな素敵な学生さんに逢わせてくれたんだもの、チョコレートにもね?」

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」より抜粋】

第86話 建巳act.37← →第86話 建巳act.39
斗貴子の手紙
師走十一日、白薔薇―honorable
にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
純文学ランキング
PVアクセスランキング にほんブログ村
著作権法より無断利用転載ほか禁じます

萬文習作帖 - にほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 春紅あわい、梅の春 | トップ | 清香の梢、梅の春 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

陽はまた昇るanother,side story」カテゴリの最新記事