萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.36 another,side story「陽はまた昇る」

2022-12-08 23:15:00 | 陽はまた昇るanother,side story
That after many wanderings 
kenshi―周太24歳4月


第86話 建巳 act.36 another,side story「陽はまた昇る」

周太いますか?

そんなふう呼んでもらえる、友だちに。
ここ大学の研究室で、同じ夢追うパートナーが笑ってくれる。

「はーい、いるよ。おはよう賢弥、」

応えて呼びかけて、鼓動そっと温かい。
温もり嬉しくて、笑いかけた書架むこうシャツ姿あらわれた。

「おはよー周太、田嶋先生もおはようございます、」

明朗な声ぱっと徹って、日焼けの笑顔ほころばす。
チタンフレームの眼鏡ちょっと直す友人に、学者が言った。

「おはようさん、手塚も早く来たなあ、」
「周太の初出勤ですからね、それにもう小嶌さんの大事な日でしょ?な、周太?」

明るい眼ざし笑いかけて、デスク向こうから教授もこちら見る。
この友だちにも「大事な日」なんだな?うれしくて周太も微笑んだ。

「ん、美代さん初登校だね、」

あの大好きな女の子が今日、この大学の門を潜る。
ここの学生としての初めてのことに、教授も笑ってくれた。

「そうか、今日はオリエンテーションだもんな?」
「だから出迎えようって思って早く来たんですよ、ってソレうまそうですね、」

話しながら、がたり椅子ひいて座ってくれる。
そんな隣に微笑んだ。

「スコン焼いてきたんだ、父がよく作ってくれたお菓子で…よかったら食べて?」

こんなの、どんな反応してくれるだろう?
ひそむ不安と信頼の横で、快活な眼ぱっと笑った。

「周太が作ったんだ?こーゆーの作れるとかカッコイイなあ、」

かっこいい、なんて言ってくれるんだ?
思ってもみなかった言葉に、熱すっと首すじ駆けた。

「ありがと…あの、やるきになればだれでもつくれると思うけど、」
「俺でもできっかなあ、いただきまーす、」

うまいと闊達な笑顔ほころばせてくれる、その前ことん、マグカップひとつ置かれた。

「ほら手塚、茶を飲まんと詰まるぞ?」
「やった先生の紅茶、ありがとうございます、」

屈託なく笑って置かれたカップに手を伸ばす。
熱い芳香ゆるやかなテーブル、バターの匂いと古書あわい香やわらかい。

―ほっとする…ね、

心裡つぶやいて、今いる場所が温かい。
祖父が遺した研究室、あたたかな紅茶と菓子の匂い、友人と、そして祖父の愛弟子で父の親友。
ながれてゆく他愛ない会話たち、こんな時間ただ幸せで不思議になる。

―あの雪山の現場ついこのあいだで、死も覚悟して…英二と、

雪山の立て籠もり事件、あの現場で自分は銃を持っていた。
発砲すれば雪崩に吞まれる、そんなこと解っていながら放りこまれて、そして、あなたが一緒だった。

『死ぬな!』

あの瞬間あなたが叫んでくれた、あれは僕のための祈りの言葉。
あのとき包んでくれた体温が僕を生かして、そうして今ここで僕は笑っている。

―英二…今、訓練してるの?それとも任務で山にいる?

心そっと呼んでしまう、あなたの温度に。
今ここは温かで穏やかで、それでも雪山の温度たどって昨日が映る。

『俺も聴きたいよ、周太…これからのこと、』

あの公苑のベンチ、桜のなか言ってくれた。
おだやかな低い声はきれいで、薄闇のなか透って響いた。
それから次の約束してくれた、あさってはあなたに逢える、けれど。

「…おーい、周太っ、」

ぽん、肩かろやかに叩かれて視界またたく。
映りこんだ湯気やわらかな芳香、マグカップ掌に温かで微笑んだ。

「なに、賢弥?」
「なにって周太、ボンヤリしてっから先生と心配したんだって。どした?」

チタンフレームの眼鏡から、明朗な瞳まっすぐ自分を映してくれる。
友人に心配かけてしまったな、申し訳なさと幸せに笑いかけた。

「ごめんね、すこし…緊張してるから、かも?」

緊張している、嘘じゃない。
ほっと息吐いて口つけたマグカップごし、学者が笑ってくれた。

「大学の職員としては初日だもんなあ、聴講生と仕事じゃあヤッパリ違うかい?」

鳶色の瞳ほがらかに自分を見てくれる、優しい温かい、すこし懐かしむような眼。
その眼差しどこか父と似ていて、知らない幸福の時間に笑いかけた。

「はい…講義のお手伝いをすると思うと責任を感じます、学生さんにもどう接したらいいのかなとか…いろいろ、」

もとが引込み思案の自分、そのうえ父が亡くなって殻に籠っていた。
そのまま警察官になって「普通」が何かも解らない、そして「あさって」に緊張している。
こんな自分が学びの場で役立つのだろうか?織り交ざる不安と期待に教授は笑ってくれた。

「そのまんまの周太くんでいいさ、だから俺も雇ったんだろが?ありのままでいいよ、」

低いクセ朗らかな声が笑って、温かな湯気ごし鳶色の瞳が笑いかける。
なにひとつ否定なんかしない、そのままでいい。そんな姿に周太も笑った。

「ありがとうございます、僕、がんばります、」
「応援してるぞ、だが頑張りすぎるなよ?ヤリすぎて倒れちまったら困るだろ、楽しんでやってくれりゃいい、」

芳香ゆるやかな湯気、笑いかけてくれる言葉ごと温かい。
ほっと肩の力ゆるめられて息つけて、「あさって」すら明るむようで微笑んだ。

「はい、楽しみます…頂いたチャンスを大切にします、」

大切にしたい、この場所の時間ずっと。
こうして辿りついた今が嬉しくて、だからこそ逢いたくなる話したい。

―英二、僕ね、あさって楽しい話ができるかもしれない…でも、

あなたに楽しい話きっとできる、でも。
続いてしまう言葉そっと疼きだす、ずっと抱えこんだ事実が傷む。
ついこのあいだ、あなたが奥多摩の森で告げたから。

『手帳の染み抜きをしたんだ』

手帳、父の遺品あの「警察手帳」のこと。
特別な許可で遺品として渡されたもの、それを自分は母に託して、けれど、あなたが持っていた。
その事実が、そして告げられた言葉が、逃げられない現実を軋ませてしまう。
それでも温かな湯気そっと啜りこんで、スコンのかけら呑みこみ口ひらいた。

「田嶋先生、先ほどお話しくださった万葉集の講義ですが、」

話しかけのままだった、あの続きもう少し聴きたい。
これからの時間についてのことに、学者の眼が笑ってくれた。

「おう、その話が途中だったな、」
「はい、ご担当される丹治先生はこの大学のご出身と仰られて、」

話すデスクの上、広げられたシラバスにその名を見る。
非常勤教授と記された「丹治晄子」に隣から友達が言った。

「お、ミツコ先生の講義?それオモシロいよ、」
「みつこせんせい?」

訊き返しながら隣を見て、チタンフレームの瞳が朗らかに肯く。
その日焼けした指とん、シラバスのページ示して続けた。

「俺、1年生の時にとったんだよ。ただ歌の意味ずらずらじゃなくってな、科学的分析みたいのが面白いんだよ、」

紅茶とバター香るテーブル、シラバスに講義内容が語られる。
たしかに面白そうだな?惹かれるまま教授が笑った。

「手塚もとったのか、おまえだとホントはアレな解釈が面白かったんだろ?」

鳶色の瞳くるり笑っている。
その眼なんだか意味ありげ?不思議でつい見つめる隣、友人もにっこり笑った。

「そりゃ俺も男ですからね、田嶋先生もそうだったんでしょ?」
「まあな。女子でも面白い言う学生もいるがな、」
「そんなこと言っちゃう女子がこの大学にいるんだ、ってなんで先生が知ってるんです?」

ふたり笑いあう、その眼なんだか意味ありげ。
そういう意味なのだろう?解らないまま教授が言った。

「時間あるなら手塚、周太くんを丹治先生に紹介してやってくれんか?今日いらしているはずだ、」

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」より抜粋】

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