花の夢、告発
周太24歳3月
第84話 静穏 act.11-another,side story「陽はまた昇る」
ひらかれたページはセピア色あわい。
きっと何度も繰られたページ、それは序章から終章きっと同じ。
その繰りかえす指先はいまも白く美しいまま一頁、そっとめくり微笑んだ。
「周太くん、話すならひとつお願いしていいかしら?」
「…なんですか、おばあさま?」
訊きかえしたランプやわらかなテラス、テーブルにティーカップ艶めく。
あわいオレンジ色の光に琥珀色ゆれて、大叔母はそっと微笑んだ。
「ワーズワスを一節、暗唱してほしいの。インティメーション・オヴ・インモータリィティの4章、終りの4つ、」
こう言えば解かるかしら?
微笑む眼ざしそっくりで、とくん、鼓動ひとつ笑いかけた。
「おばあさま、その言いいかた父そっくりです…いつもそうやって僕に憶えさせてて、」
周、ワーズワスのあれを暗唱してくれるかな?
そんなふう父もいつも笑いかけてくれた。
あれは「おさらい」だったと今なら解かる、その懐かしい瞳そっくり白皙の笑顔ほころんだ。
「それはね周太くん、晉さんと同じなのよ?いつも晉さんも馨くんにしてたわ、」
とくん、
ほら鼓動またノックする。
そうだったんだと納得した鼓動ふかく温かい、ふわり包まれる想い微笑んだ。
「うれしいです、もっとお祖父さんのこと教えてください…いいことも、悪いことも全部、」
知りたい、祖父のこと家のこと。
ただ願うまんなか大叔母は微笑んで濃やかな睫そっと閉じた。
「話しますよ、さあパンジーのところ暗唱して?」
まず聴かせて?
そんな声の窓辺にガラスごし花ゆれる。
白、藤色、あわい黄色、深紅と紫は夜やわらかな闇とけてしまう。
ランプこぼれるテラスに春の花は咲く、その一輪を見つめて唇そっと開いた。
……
The Pansy at my feet
Doth the same tale repeat:
Wither is fled the visionary gleam?
Where is it now, the glory and the dream?
……
この一節、今なぜ大叔母は聴きたいのだろう?
不思議な想いごと声つむいだ前、白いテーブルに低いアルトが謳った。
「The Pansy at my feet Doth the same tale repeat: Wither is fled the visionary gleam? Where is it now, the glory and the dream?」
声なぞらせて美しい唇そっと笑う。
けれど伏せた睫かすかに光って、一滴こぼれた。
「この詩、晉さんに教えてもらった最初よ…わたしの儚い夢で後悔です、」
この詞を祖父が贈った、その真意は何?
詩の意味なぞりながら見つめる先、瞑られた瞳しずかに微笑んだ。
「コンフェッションと書いてくれたのは告白だと思いました、二十年前の私の告白を受けとめられたと勘違いして、だから告発に気づけませんでした、」
告白と告発、
字面よく似ていて、けれど意味は違ってしまう。
ランプやわらかな白い部屋、擦違ってしまった想い零れた。
「こんな勘違いする私だから選ばれなくて当りまえね、それでも今こうして話せる幸運を逃したくないわ、晉さん?」
今なんて呼んだのだろう?
途惑って見つめる真中、きらめく睫そっと開いた。
「声そっくりなのよ、周太くんと晉さん、」
懐かしい、そんな瞳は微笑んで声つむぎだした。
「よく晉さんを訪ねる男がいました、警察官僚で同窓生だと聴いたわ、」
警察官僚、同窓生。
単語ふたつで符合するまま言われた。
「その男は法学部だからクラスメイトではないわね、でも射撃部で一緒で、従軍したときも同じ狙撃手だったとその男は話していました、」
ほら、あの小説そのままだ。
『 La chronique de la maison 』
ある館の年代記、そう題された小説の主人公と「ある男」の関係。
そのすべてを紡ぎだした現実に問いかけた。
「おばあさま、その話は…話していましたって、直接その男からおばあさまが聞いたということですか?」
もし「直接」なら面識はある、そうだとしたら今「あの男」は気づくだろうか?
可能性と見つめる窓辺、ランプあわいテーブルに白い手はティーカップとった。
「私の耳で聞きました、観碕の口から五十年前に、」
あの男だ。
「…おばあさまも面識があるってことですか?」
「社交辞令だけはね、」
低いアルト微笑んでくれる、けれど不安つのりだす。
あの男に存在を知られている?心配のまんなか切長い瞳は笑った。
「そんな心配な顔しないで?あちらさんは生意気な小娘の記憶なんてとっくに消してるわよ、」
ほんとうにそんなものよ?
涼やかな瞳わらって紅茶ひと口、端正な唇は言った。
「あの日、晉さんのお父さまが亡くなった日もあの男を見たわ、」
あの日あの男はそこにいた。
「…小説どおりってことですか?」
「そうかもしれない、私も推測しか出来ないけれど、」
琥珀色の湯気にアルト応える、その馥郁かすかに菫があまい。
オレンジやわらかなランプの下、白い手そっと花びらふれた。
「晉さんのお父さまが亡くなった日はお誕生日だったの。毎年お誕生会をされていて私もいつも招かれていてね、あの日も行ったけど異様だったわ、」
異様だった、
その言葉なにを大叔母は見たのか、それが「小説どおり」なら?
もう解かる続きに鼓動ひとつ確かめた。
「おばあさま、そのこと観碕さんは知っていますか?その日おばあさまが湯原の家に来たこと、」
もし知られていたなら多分?
否定したい可能性の先、父そっくりの瞳は笑った。
「気づかれっこないわ、こっそり見ていたんだもの?」
それってどういうことだろう?
つい首傾げたテーブルごし教えてくれた。
「実はね、湯原のお家の合鍵を私も預かっていました、斗貴子さんの調子が悪い日は私が看病に通っていたのよ、」
それくらい信頼があった。
そんな言葉なんだか温かい、そして重なってしまう。
―合鍵…英二も持ってる、ね、
祖母は大叔母に合鍵を託し、その孫も合鍵を持っている。
これは偶然のようで必然なのだろうか?符号するまま彼女は言った。
「その日もいつもどおり勝手に開けて入って、驚かしたくて静かに廊下を歩きだしたら言い争う声が聞えたのよ、」
ランプ艶めくティーカップのテーブル、紅茶の馥郁に花かすかに香る。
語るひとはカシミヤの腕のべて、白い指そっと一輪たおりグラスに挿した。
「お父上の名誉のためにファントムに戻れ、そうあの男は言ったわ、」
ほら、あの符号だ。
“Fantôme”
この単語が「戻れ」と祖父に告げた、それは「争う」声にある。
だから父はあの本からページを切り取った?
『Le Fantôme de l'Opéra』
家の書斎にある一冊はページほとんど無い。
あの落丁ずっと不思議だった、その鍵を声やわらかに低く透る。
「それはできないと晉さんの声は応えたの、静かだけれど怒りが噴くような声。あんな晉さんの声はあのとき以外、聴いたことないわ、」
五十年、その哀悼はるかな聲がつむぎだす。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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