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劉邦の魅力

2006年05月13日 16時32分38秒 | 携帯実況
 独断と偏見中国皇帝ランキングファンの皆様、お待たせ致しました!?
 しばらく更新に動きが無かったですが、それでは4位劉邦の魅力を書いて見ます。

 ランキングでの説明でも、さわりだけ書きましたが、
劉邦の魅力とは、人徳。この一言に尽きます。
 才能はそれ程でも無い様に見えますが、その人徳、周りの人間を惹き付ける魅力は
随一でした。

 今回は、そんな彼の、人徳に関するエピソードを詳しく書きたいと思います。
 彼が人徳に富む人物に成り得たのには、幾つかの分析が出来ます。
 まず、自分に才能が余り無い。と言うのを客観的に認識出来て居た事。
なので自分に集まり、自分の為に才能を使ってくれる人間に、
素直に感謝が出来た事。
なので、部下への恩賞を惜しみませんでした。
 また、上辺だけで無く、その人物の才能の本質を見極めて評価出来たのも、彼の凄いところです。
 また、例えミスしたとしても、総合的に活躍して居たのなら許し、
更には恩賞を授ける事も出来る等の、度量の広さが有りました。
 そして基本的に弱い立場の人間が困らない様に、と大衆の事を常に心を配る姿勢です。

 これらの具体的なエピソードとすれば、
 秦を滅ぼして関中を占領した時、そこの住民は長年に渡り秦の厳しい法治主義に苦しめられて居たであろう。
として、今までの法律を全部廃止して、所謂「法三章」と呼ばれる。

 人を殺めた者は死刑。
 人を傷つけた者は、傷付いた者の傷が癒えるまで投獄。
 人の財物を掠めた者は、その程度に比例した罰則を与える。

それ以外は、皆自由だ。
 として、民衆から大喝采を受けました。

 あと、民衆を大切にするエピソードと言えば、
自分が引率して人足を先導して都に向かった時、
厳しい労働を嫌った人足が、日に日に脱走して減ってしまった事があった。
この時、劉邦初め、そこに居た全員が、連帯責任で全員死刑に成るので、
それを思いやってこう言った。
「お前達も逃げて良いよ。俺も逃げるから。」
と言って、開放した。
 これに感動した者達は、劉邦にしたがって逃走して、
劉邦を頭とする山賊に成った。

 また、人の意見を良く聞くので、その人物が言っている事に理が有れば、
肩書きや実績等も関係無く、重く用いました。
 後に天才軍師として名を馳せる張良も、(韓の貴族だったが)始めはただの流れ者に過ぎず、
各地の群雄は彼の進言に耳を貸しませんでした。
 しかし劉邦は、彼の方策、作戦に感心して、軍師に成って貰える様に頼みました。
この態度に、張良は感動して居ます。
 また、後の大将軍として大活躍する韓信も、項羽の配下として不遇をかこって居ましたが、
劉邦に合間見えた時に、その語り合った話だけで解る軍事の才を買って、
彼を全軍を指揮する大将軍の位に就かせました。
(まぁ、蕭何から推薦は受けたが)
これに因り、彼は三大功臣の一人として活躍する事に成る。

 また、天下統一後、漢建国に一番功が有ったのは誰だったか?
と言う話題が、臣下の中で流行して議論が巻き起こった時、
殆どの実際に戦場に出て活躍した将軍達は、自らが一番と主張し合った。
しかしこれを聞いていた劉邦は、「それは蕭何だ。」と言った。
 皆はそれを聞き、蕭何等は後方の都で、ぬくぬくと過ごしながら、
兵糧やら増援軍等の、救援物資を運ぶ手配をして居ただけじゃないか!?と不満を盛らした。
 すると劉邦は、「狩をするのに、その段取りをするのは誰だ?
猟師である人間だ。実際に獲物を捕らえる猟犬は、その指示に従って動いているだけで、
猟は猟師が居無かれば成立しない。 お前達の功は、猟犬の功だ。」
と言って、皆を納得させた。

 また、同じく天下を統一した直後に、功を挙げた配下に、総決算の恩賞を授けなくては成らなく成った。
 しかしどの配下も甲乙付け難く、恩賞の序列を量りかねて難航し、
恩賞の発表が伸び伸びに成ってしまった。
 すると、配下の中から、このまま有耶無耶にされて、恩賞を反故にされてしまうのでは?
と言う噂が出回り、騒然と成って来た。
 それには、渋る意味で遅くなって居る訳では無いので、ほとほと困り、
どうしたものか、対処法は無いかと張良に相談した時、張良は…
「陛下の部下で、功を挙げたが一番嫌いな部下は誰ですか?」と聞いた。
すると、それは誰もが知っていると思うが、雍歯の野郎だ。と、
(雍歯は挙兵直後の時期に、故郷の豊の街の守備を任せていたが、
隣の魏の勧誘に乗り、寝返ってしまい、これが原因で、
故郷を裏切りで敵に奪われたのも格好悪いし、序盤の勢力拡大戦で、
非常に苦戦させられる事に成ってしまった。)
 すると張良は、「陛下は雍歯にも、恩賞を与える御積りはおありですか?」と
 それに、劉邦は「凄くむかつくが、奴も功臣の一人だ。勿論恩賞は与える積りだ。」
と答えた。
 「ならば、まず雍歯にだけでも恩賞をお与え下さい。さすれば部下の不満は納まるでしょう。」と張良は言った。
劉邦がその通りにすると、部下達は「あの陛下から一番の嫌われ者の雍歯ですら恩賞が出るのだ、これは出し惜しみでは無くて、評価に難儀しているだけで、
そのうち我々にも必ず恩賞が出るだろう。
と言って、以後不満を言う者は無くなった。
 これは張良の進言が凄いともとれるエピソードだが、逆にこれも、
劉邦が度量の狭い人間だったら、不可能だった対処法だった。
憎い雍歯でも活躍を認め、評価できる劉邦だからこそだ。

 度量が広いと言えば、漢信が地方に転戦して、各地の王国を次々と平定して、
戦国期で、秦の次に大勢力だった斎も占領して、
彼自身が一大勢力に伸上がった時が有った。
この時、斎とは、平和的和議で降す段取りが出来ていたのに、
侵攻して斎を占領してしまった韓信が、更に自らで斎王を名乗らせて欲しい。
と申し出てきて、怒った事が有った。
 しかし、韓信が離反しては一大事な状況を冷静に見極めて、
彼の斎侵攻を不問にして、斎王に任じる事にも了承した。
 結果、韓信は劉邦を見放す事が無く、天下がとれた。
逆に、この一件で、韓信は自らの運命に暗い影を落す事に成るのだが…

 あと面白いエピソードなのは、謀臣として有名に成る陳平を配下にしようと言う時期に、
配下の中で陳平を快く思わず、陰口を叩き中傷する者が多かった。
 彼は過去に、自分の嫂を好いてしまい、その嫂と関係を持ってしまっていたのだった。
道徳観から見れば、彼は禄でも無い人間だが、
その陰口と、陳平の加入反対の意見に劉邦はこう答えた。
 「俺が配下に欲しいのは、道徳がしっかりした潔癖な人では無く、
俺に天下を取るのに必要な進言をしてくれる人間だ。
嫂に手を出すのと、素晴らしい進言が出来る事は関係無い。
下らない事を言うのはよせ」
と意に介さずに、彼を配下に入れた。

 これは、彼が人を正確に評価する。と言う事を現して居るし、
当に清濁併せ呑む度量の広さを現して居るエピソードである。
後に陳平は、劉邦亡き後に、王朝(劉氏廃絶)滅亡の危機に直面するが、
それを見事救っている。

 劉邦と韓信で、兵を操縦する能力に付いて話をした時、
韓信からこんな評価を受けた事が有る。 

韓信:「私は兵を与えられたら、与えられた数の兵を、手足の様に統率する事が出来ます。
なので、与えてくださる人数が多ければ多いほど、実力を発揮でできます。」 
 これを聞いて
劉邦:「ほー、ではお前を配下にしている私なんかは、それよりももっと凄い統率力なんだろうな?」
韓信:「いえ、私が見るに、貴方が統率出来るのは良い所、二・三万程度でしょう」
劉邦:「何!?ふざけるなよ!!」
韓信:「しかし、貴方には私には無い素晴らしい才能をお持ちです。
私は、兵の将たる器では、他人よりも抜きん出た才を持って居ると自負して居りますが、
貴方は、そう言う才能は、人並みです。しかし貴方には、私には無い才能…
将の将たる器が有り、その才能では、天下第一でしょう。」



 すなわち、将の将=皇帝としての器である。と評して居る訳です。
 今回のエピソードを読んで頂いて、劉邦が実力的にはどうか?だが、
人を惹き付ける魅力では凄い。と言う事がご理解頂けたかと思います。

 ではそんな素晴らしい彼が、なぜ四位に甘んじているのか?
次回はそんな、ランキング4位評価の理由を書きたいと思います。