◇◆◇帰って来た嗜好の隠れ家blog◇◆◇

嗜好な事や色々の思った事を再び書き連ねます。

同じ名前を呼ばれるとドキっとする。

2005年08月12日 21時51分15秒 | 雑感
 今日、近所に開店した、噂の回転寿司屋へ行った。
座った席が、寿司がレーン出口から出る絶好のポイントへ案内してくれて居たので、
やったぜ!と思ったが、別の見方をすれば、一番厨房に近い席と言う側面も有った。

 そんな中、バイト君に、筆者のハンドルネームと同じ呼び名の人が居たらしく、
しきりに厨房から「トミーさん!鮪お願いしまぁ~す!」と言う様な掛け声が掛けられ、
初め呼ばれた時は何事か!?と、マジでビビった…

 その後も何度かこの掛け声が掛けられ、その度に体が無意識に声の方へと反応してしまい、
どうにも落ち着けない席に座らされてしまったなぁ~、と思うも、後の祭りだった。

大学卒でも意味が有る。

2005年08月12日 00時06分34秒 | TV
 筆者は普段、学歴なんて糞喰らえだ!と思っている人間で有る。
 まぁ、自分自身が学歴社会での勝組・負組。と言うカテゴライズしたとしたら、
明らかに負組なので、僻みが全く無い。と言えば嘘に成るんだけど…

 でもその信念と言うのは、ちょうど受験戦争が激しくなる、中学時代からの一貫した信念だ。
それは中学時代の筆者の文集にも、その当時、既にその信念を語っている事から、
決して後出しジャンケンでは無い。と言う事は、その文集を実際に見て貰えば解って頂けると思う。

 まぁこの信念に思いが至ったのも、当時から学校の勉強が出来なくて、負け惜しみで言って居た。
と言う部分が全く無い。と言えば、当時の成績を知っている人からすれば、全然信じて貰えないだろうし、
実際に、強がりは全く無い。と言えば、やはり疑問符は付くかも知れない。

 ただ、受験勉強の負け組みに追い込まれて、肩身の狭い思いをして居たと言うのも確かに有るが、
実際にその受験勉強で習得する知識が、果たして本当に社会に出た時に必要な学問なのか?
と言う思いが、当時から強く感じ、そんな大人に成って必要の無い(受検だけに必要な)勉強で、
人間の優劣が決められる現状に、非常に疑問に思って居た。
 実際、当時受験勉強が出来る奴らは、殆どがエリート意識剥き出しで、
人を見下す奴が多く、一人間として見た場合、非常に糞の様な人間がのさばっている様に思えて、
仕方が無かった。
 そして後日、高学歴で社会人に成った同窓の徒が、自分でも常識と思われる一般的な常識すら知らなかった。
と言う状況を目の当たりにして、改めてその思いを強くした物だった。

 人間は学歴ではない。
それは単に良い大学、それを基準にしか量れない、良い企業(お役所)に就職するのに、
必要な事でしかない。
 実力が有れば、そんな物は無くても立派な大人に成れるし、人からも認められる事が出来る。
 また、そんな中で培った人間関係こそ、人生には大切な物である。
と思ったし、今までもそう思ってきた。

 しかし、先日見たTVの未成年公開討論番組を見て、少し考え方を新たにしようと思った事が有る。

 その日のテーマは、表題に書いた様な、 ”「大卒」ってそんなにエライの?” だった。

 初めそれを見始めた時、「ははぁ~ん、またどうせ勉強が出来るって生意気な子供が、
さも自分が勝組みたいに、勉強が出来ない奴を見下して偉振る展開なんだろ?」
と思った。
 しかし見てみると少し様子が違うようだ。
それは、この番組は、毎回一人だけ大人が参加できる。と言うルールが有るのだが、
 その大人なゲストが良い事を言って居たからだ。
 議論の途中から見たので詳しくは書けないが、多分俺と同じ様な意見を言った奴が居たのだろう。
 それを聞いた大人ゲストが、「確かに、大学の勉強は、社会に出て余り役に立つ知識は無いかも知れない、
けど、だからと言って、そこで敢えて自分の知識の広がりを閉ざす行為は、凄く勿体無いと思う。と
 もっと詳しく書くと、一見有益で無い知識でも、生活の中で何の気無しに出た会話の中でも、
昔に得た知識が教養と成って役立つ事も多いと思う。

例:古文の勉強をして、何かの会話で古文が解らないと意味が通じない(知っていると面白さが良く解る)会話が出たとして、
 それを知って無くても、スルーすれば済んでしまうのだけれども、知っていた事で、
その会話の真の面白さが解る。これは古文の知識を習得した者だけが得られる楽しみだ。と、
 この様に、自ら知識の広がりを閉ざす行為は、知らず知らずに自分の知識の広がりの素養も、
閉ざしてしまう行為をして居る可能性が有る。
と言う事だ。

 一見関係ない知識でも、それを知っている事で意外な所でその知識が生きる場面が有るかも知れない。
と言う事。
 また、そんな状況の可能性を増やす所が大学なんじゃないかな?
と言う事だった。
 確かに、二次的な効果(就職有利等)を期待した”学歴”だけを重要視する奴は、その知識も上辺だけかも知れない。
しかし、本当に自分のしたい勉強をしたくて勉強するならば、大学は素晴らしい場所だ。
と言う事だった。

 自分的に、凄く納得がいってしまった。目から鱗でしたね。
 先日同じ様な”一見関係ない知識が、別の分野で役立つ事も!?”と言うエピソード
(一見関係ない、数学(物理?)のベクトルがサッカーに役立つ)が、友人の日記に有り、
 こう言う事なのかな?と、読んで更に感心してしまった。と言う事が有った。

 本気で好きな事を勉強するなら大学は良い。と言うのも、最近は凄く納得が行く。
筆者も歴史が好きなのだが、それを語る掲示板で、大学の在学生が、大学の図書館には、
あんな資料も、こんな資料も有る。と言う話を聞くと、どれも自分が見てみたい資料ばかりで、
凄く羨ましく成ってしまうし、大学生って、そんな贅沢な環境で勉強出来ているのか!
と思うと、逆に俺みたいな人間こそ、大学向きなのかもなぁ~
とかも思ってしまいました。

 とにかく、学歴が欲しくて大学行く奴は未だに論外だけど、本気で勉強したくて大学行くのなら
(と言うか大学制度自体は)全否定するのは止めよう。と思いました。

(でもこの国では、殆どが学歴目当ての進学だと思うけどね(苦笑))


真剣十代しゃべり場