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囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

困った!! お盆週間

2013-08-12 17:55:39 | 囲碁きちのつぶやき
余りの暑さに、汗は吹き出し、夜もロクに眠れません。
そんな中、先週から体中に湿疹のようなものが出来てしまいました。

庭に出たときに、毛虫のおうなものに触られたのか、あせもからかぶれたのか、糖尿の気でもあり、内蔵疾患が原因なのかよくわかりません。そこで、とりあえず、皮膚科に行ってみようと思い、近くの医者を調べていました。案の定、今週はどこもお休みでした。駅周辺では、調剤薬局も休みですから、医者、調剤薬局とも連絡をとりあっての「お盆休み」でしょう。



その上、トイレの排水が故障しました。
いつも修理を依頼する水道工事店に連絡しました。見には来てくれましたが、部品屋さんが休みなので、修理は来週になるとのことでした。

今週は、どこも、ここもお盆休みです。この休みを利用して、帰省や旅行に出かける人も多いようです。
我が家には、そんな予定もなく、その上、体調不良と水回りの故障を抱え、困ったお盆休みになってしまいました。
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長崎平和宣言への賛同署名を!

2013-08-11 20:34:09 | さよなら!原発
友人を通してこんなメールをもらいました。

昨日8月9日の田上長崎市長による「長崎平和宣言」には心から共感するものでした。今年4月、核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しましたが、日本政府は賛同署名をせず、その非を安部首相列席の場で訴えました。
○長崎市では、この平和宣言に賛同する人々の数の調査をしています。賛同される方は、下記アドレスにアクセスすると、平和宣言文が現れ、その画面右下の「クリック」ボタンをクリックしてください。操作は簡単。それだけで、賛同者1人分がカウントされます。

http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/


なお、平和宣言全文は以下の通りです。

長崎平和宣言


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 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

 2013年(平成25年)8月9日

長崎市長 田上 富久


この宣言に賛同される方は、上記のアドレスをクリックして、「賛同」をクリックしてください。
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所沢・平和のための戦争展 3日目

2013-08-10 22:58:49 | 日記
戦争展の最終日でした。土曜日でもあり記念イベントがあるので、朝から会場に詰めました。

10時からは、所沢の基地跡を見学するウオーキングもありました。炎暑の中25人以上が参加し、航空公園内の軍の跡地を古老の案内で歩きました。

正午前には、すいとんの試食もありました。



子どもにはあまり美味しくないかもしれませんが、私には戦時中食べたものより数段美味しかったです。

記念イベントでは、地元の合唱団ききゅう のコーラスがありました。



練習を積み重ねた素晴らしい歌でした。

「みんなで歌おう」のコーナーでは、私たち年金者組合のうたごえサークルなどが歌のリードをして、100人余の会場のみなさんと一緒に平和のうたを歌いました。



「里の秋」「りんごの歌」「いぬふぐり」「折り鶴」の他、「あの日の授業」という曲も歌いました。途中、二つのセリフが入りますがお国言葉で演じてもらいました。

東北の災害や福島原発の一日も早い収束を願い、復興支援のうたも歌いました。

「花は咲く」は、手話での振り付けで演じてもらいました。「釜石小学校校歌」は、歌唱指導のあと、こどもさんにも参加してもらって元気に歌いました。

イベントの最後は、女学校時代に「風船爆弾」作りに参加した80歳代の方の体験談のお話です。



彼女は、その体験を通して、戦争はゴメンだ。平和を守らなければ との思いを強くしたと語ってくれました。

最終日とあって、展示の参加者も沢山来てくれました。

来場者は、3日間で、1,000人を越え、大成功の戦争展でした。

すべての後片付けを終わらせ、夕方6時すぎに帰宅しました。
さすがに疲れましたが、やりがいのあった3日間でした。
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所沢・平和のための戦争展 二日目

2013-08-09 17:46:07 | 日記
今日も、所沢市役所で行われている「所沢・平和のための戦争展」に朝から詰めました。

実行委員のひとりが、「この戦争展のことが、埼玉新聞としんぶん赤旗に載っているよ」と切り抜きの記事を持ってきました。



しんぶん赤旗の記事です。写真を見ると、米軍所沢通信基地の説明を受ける中学生親子さんでした。なんと、説明しているのが私でした。

今日も沢山の人が来てくれました。その内、一番大きな団体です。



市内の学童クラブから 43人が来てくれました。引率する指導員も大変です。

学童クラブのこどもたちは小学校低学年の子が多いので、やはり「はだしのゲン」のビデオが人気でした。



ビデオに見入るこどもたちです。

今日は、8月9日、長崎に原爆が落とされた日です。
11時に庁内放送がながれ、原爆投下時間の午前11時2分、戦争展会場でも、全員が1分間の黙祷をしました。

戦争の悲惨さ、原爆や原発事故の恐ろしさをこどもたちに伝えた、8月9日でした。
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所沢・平和のための戦争展 一日目

2013-08-09 06:11:14 | 日記
所沢市役所1階ギャラリーで開かれる戦争展は、会期が3日間です。
初日は、午前中は展示の飾り付けで、午後1時からのオープンです。
チラシや市報でその旨、お知らせしてあるのですが、それを見落とし、10時過ぎから来てしまう方もいます。
時間との勝負のように、みんあで何とか正午ころまでに飾り付けを済ませました。

市役所8階の展望食堂で、簡単にラーメンで昼食を済ませました。



食堂から見下ろす所沢航空公園です。遠く東京スカイツリーもかすかに見えました。

午後になると沢山の人が来場してくれました。親子連れや友達同士、学童クラブの団体見学など、子どもたちが多いのは嬉しいです。



展示の説明をする説明員も熱が入ります。でも、子どもたちに理解できるように話すのは、とても難しいです。

この戰爭展の特徴はこどもたち用に「クイズラリー」があり、全問正解者には、自作で「プラ板」を作ってもらいます。



作り方によぅてはこんな素敵なものもできるようです。
これが良い記念になるので、人気が高いです。
私は、主にこどもたちと展示の中の「答え探し」を兼ねて、回答の説明をしています。



プラ板を作るコーナーです。学童クラブなどの団体が来ると順番待ちの状態です。



こちらでもプラ板のデザインを作っています。

ビデオのコーナーでは、「裸足のげん」などの上映もしています。



原作者の中沢さんは、所沢在住でしたが、残念ながら昨年亡くなりました。この戰爭展の代表呼びかけ人になっていただいてもらっていただけにとても残念です。

中沢さんの追悼もかねて、「裸足のげん」の上映や作品を並べてありますが、やはりこどもたちにはとても人気があります。

今日も暑いですが、これから戰爭展に出かけます。
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