南尾根へ
本丸の南下段差を設けて、二の丸
縄張り図は「甲斐の山城と館」下巻 宮坂武男氏著、北は下方です。
南尾根を下りてゆきます。第一腰曲輪
南尾根第二腰曲輪
堀切にしては形状が斜めで?
尾根を平地として南第一曲輪
南第二曲輪の下に段差を設けて腰曲輪、左手には土塁、結構複雑な形状で検討が必要と感じました。
尾根を下って、もう一段段差を設けて仕切っています。
下方に段差を着けて、虎口が木々の間に見えています。(宮坂氏の縄張り図とかなり違っています)
切岸を設けて、大きな曲輪を展開しています。南尾根第三曲輪
縄張り図にある曲輪6です。右側下に腰曲輪が付いています。
曲輪6の南下斜面には四段の段曲輪が築いてあります。
『甲斐国志』なは安田遠江守義定の要害なりとあるが、鎌倉期の城址ではないのは明白で、王代記に寛政6年(1465)跡部上野介西保小田野城にて自害とあり、この頃の山城であろう。(宮坂氏)
本丸の南下段差を設けて、二の丸
縄張り図は「甲斐の山城と館」下巻 宮坂武男氏著、北は下方です。
南尾根を下りてゆきます。第一腰曲輪
南尾根第二腰曲輪
堀切にしては形状が斜めで?
尾根を平地として南第一曲輪
南第二曲輪の下に段差を設けて腰曲輪、左手には土塁、結構複雑な形状で検討が必要と感じました。
尾根を下って、もう一段段差を設けて仕切っています。
下方に段差を着けて、虎口が木々の間に見えています。(宮坂氏の縄張り図とかなり違っています)
切岸を設けて、大きな曲輪を展開しています。南尾根第三曲輪
縄張り図にある曲輪6です。右側下に腰曲輪が付いています。
曲輪6の南下斜面には四段の段曲輪が築いてあります。
『甲斐国志』なは安田遠江守義定の要害なりとあるが、鎌倉期の城址ではないのは明白で、王代記に寛政6年(1465)跡部上野介西保小田野城にて自害とあり、この頃の山城であろう。(宮坂氏)