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小牧山城の発掘調査

2018-11-14 22:56:35 | 日記

発掘:信長の屋敷跡か 小牧山城で礎石見つかる

毎日新聞 / 2018年11月14日 20時0分


 織田信長が築城したとされる愛知県小牧市の小牧山城の発掘調査で、同市教育委員会は14日、山頂の天守(主郭)近くに屋敷建物があったことを示す礎石が見つかったと発表した。信長か身内の居宅だった可能性がある。天守近くに居宅があるのは近世城郭の特徴の一つで、市教委は「小牧山城が(岐阜城や安土城に先立つ)近世城郭のルーツとの見方が一層強まった」としている。

 礎石は天守の南東側斜面下の平たん地で8個見つかり、周囲には玉石敷もあった。礎石は建物2棟の柱を支えていたとみられ、1.5~1.7メートル間隔でほぼ1列に並んでいた。建物2棟の大きさは不明。玉石敷は長さ約5メートル、幅約80センチで、同じ場所から天目茶わんや青磁の小わんなどの破片数点も出土した。

 これまでの発掘調査では、天守周辺の平たん地がどのように使われたか不明だった。今回の調査で屋敷が建ち、しかも格式の高い茶室などの建物向けとみられる玉石敷や高級な陶器片が確認されたことで、信長一族の居宅があった可能性が高いという。

 天守近くに居宅などの城主の生活空間が設けられたのは、これまで1567年に信長が岐阜城を攻略して設けたのが初めてとされていた。小牧山城は信長が岐阜に侵攻する4年前に築城されたことから、同城の方が早かったことになる。

 小牧山城では2011年の発掘調査で天守を囲む石垣が見つかっており、当時、最古の石垣は1576年築城の安土城とされていた定説を覆した。今回の発見について、滋賀県立大の中井均教授(日本考古学)は「戦国時代の山城は防御空間だったが、信長は岐阜城に居住空間を構えた記録がある。だが今回の発見で小牧山城にさかのぼることが明らかになった。さらに玉石敷は特別な建物を示しており、信長の身内の屋敷地だった可能性が高い」とコメントした。【花井武人】

ことば「小牧山城」

 尾張を統一した信長が1563年、美濃の斎藤氏を攻める拠点として築いたとされる。岐阜城に移るまで約4年間居城とした。その後廃城となったが、1584年の小牧・長久手の戦いでは徳川家康が改修して本陣とした。美濃攻めのためのとりでにすぎないと長年考えられていたが、小牧市が2004年に史跡整備の一環として発掘調査を始め、実態の解明が進んでいる。

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