山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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イベント情報

2018-09-10 21:54:41 | 日記
[特別展]安城ゆかりの大名 家康を支えた三河石川一族
会期:平成30年9月22日(土) ~ 11月4日(日)
観覧料:400円(中学生以下無料)
 戦国期、石川一族は真宗門徒の多い西三河の各地に一族を輩出しました。由緒によると蓮如との関係を持って三河に来歴したとあります。一族の惣領家は、小川(市内小川町)に居た石川家でした。一六世紀中頃には、惣領の忠成(清兼)が家康の祖父清康・父広忠の重臣となりました。
 石川一族の中で特に活躍したのは、家康に仕えた石川数正と石川家成です。数正は忠成の孫にあたり家成は忠成の子で、数正の叔父にあたります。永禄六、七年(一五六三、六四)の三河一向一揆では、石川一族の多くが家康方と一揆方に分かれて争いましたが、数正・家成はともに家康方につきました。
 その後、家康の重臣として活躍した家成は掛川城に赴任し、武田氏の滅亡まで、最前線を守備しました。本能寺の変後、家康は領国を拡大し、後に豊臣秀吉と対立します。数正は家康と秀吉の取次でしたが、対立が明確になるに及んで、岡崎城から秀吉の許へ出奔しました。
 秀吉の天下統一後、数正と二代三長(康長)は松本城主(長野県松本市)となり、また家成の子康通も関ケ原合戦後、美濃大垣城主(岐阜県大垣市)となり、城の普請や城下町づくり、領国経営にあたりました。
 この展示では、門徒武士としての石川一族や、家康を支えた数正・家成とその息子たちが活躍した時代を中心に紹介します。◆記念講演会「家康の重臣 石川数正」
10月6日(土)14:00~
出演:平野明夫氏(國學院大學講師)

◆記念講演会「松本城と石川数正・康長」
11月3日(土)14:00~
出演:後藤芳孝氏(松本城管理事務所研究専門員)

◆歴博講座「家康の友 石川家成、恋敵 康通」
10月27日(土)14:00~
出演:三島一信氏(本館学芸員)

安城市歴史博物館にて

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