根小屋城の記事①で報告しましたように、三島根小屋城の東側の諏訪神社上の曲輪は上信越道が通るため破壊されるようです。
東吾妻町の文化財課の回答です。
お問い合わせの件ですが、根小屋城はご指摘の通り上信自動車道建設の線形上に位置しており、今後は埋蔵文化財調査
を行った上で記録保存をし、後生にその記録を残していくこととなります。実際には線形が決まった後に町へ話が来まし
たため迂回等の計画については非常に難しい状況となっています。町としては少なくともしっかり発掘調査によって記録
保存をして記録という形にはなりますが後生に伝えていくことが必要と考えています。
計画内容等については町の事業ではないことからお答えすることは難しいのですが、工事内容であれば上信自動車道建
設事務所に、遺跡の取り扱いについては群馬県教育委員会文化財保護課へ問い合わせをして頂ければと思います。
ご満足のいく回答にはなっていないかもしれませんがご回答申し上げます。
本丸から西尾根へ
大戸浦野氏
大戸浦野氏は倉渕村の三ノ倉城・権田城、そして吾妻町(現東吾妻町)の大戸城・三島根小屋城などを支配していたようです。つまり、吾妻川を境に北は岩櫃城の斎藤氏、南は浦野氏という勢力分布の時代があったようです。浦野氏は長野氏の配下の時代、真田氏の配下の時代、そして北条氏との死闘という歴史をたどってきました。
北尾根から戻り、本丸北城壁を見ています。
本丸
本丸を西から見ています。奥に円形の窪地があるのに気が付きましたか。
狼煙台跡です。
この狼煙台から東に見える山は・・・・?岩櫃山です。そうです、真田氏の配下にあった時は敵の動きによって、ここから岩櫃城へ狼煙を上げていたと想像できます。
本丸東下腰曲輪
東第二腰曲輪、この先は崖ですので滑落の危険があります。
本丸西下第一曲輪
西下曲輪から本丸西城壁を見ています。
西第一大堀切、この先は西尾根の遺構が待っていますが次回とします。
東吾妻町の文化財課の回答です。
お問い合わせの件ですが、根小屋城はご指摘の通り上信自動車道建設の線形上に位置しており、今後は埋蔵文化財調査
を行った上で記録保存をし、後生にその記録を残していくこととなります。実際には線形が決まった後に町へ話が来まし
たため迂回等の計画については非常に難しい状況となっています。町としては少なくともしっかり発掘調査によって記録
保存をして記録という形にはなりますが後生に伝えていくことが必要と考えています。
計画内容等については町の事業ではないことからお答えすることは難しいのですが、工事内容であれば上信自動車道建
設事務所に、遺跡の取り扱いについては群馬県教育委員会文化財保護課へ問い合わせをして頂ければと思います。
ご満足のいく回答にはなっていないかもしれませんがご回答申し上げます。
本丸から西尾根へ
大戸浦野氏
大戸浦野氏は倉渕村の三ノ倉城・権田城、そして吾妻町(現東吾妻町)の大戸城・三島根小屋城などを支配していたようです。つまり、吾妻川を境に北は岩櫃城の斎藤氏、南は浦野氏という勢力分布の時代があったようです。浦野氏は長野氏の配下の時代、真田氏の配下の時代、そして北条氏との死闘という歴史をたどってきました。
北尾根から戻り、本丸北城壁を見ています。
本丸
本丸を西から見ています。奥に円形の窪地があるのに気が付きましたか。
狼煙台跡です。
この狼煙台から東に見える山は・・・・?岩櫃山です。そうです、真田氏の配下にあった時は敵の動きによって、ここから岩櫃城へ狼煙を上げていたと想像できます。
本丸東下腰曲輪
東第二腰曲輪、この先は崖ですので滑落の危険があります。
本丸西下第一曲輪
西下曲輪から本丸西城壁を見ています。
西第一大堀切、この先は西尾根の遺構が待っていますが次回とします。
遺跡を保護したい、というご意志は尊敬いたしますが、行政からの回答文をそのまま掲載するのは問題があると思うのですが。どういった経緯で行政に質問し、回答を得られたのか存じませんが、ブログで回答を公開することは質問の際に伝えたのでしょうか?
しかも担当者の名前をそのまま載せるのはいくら相手が公務員であっても非常識ではないでしょうか。前後関係はわかりませんが、回答文を読む限り担当者は誠実な対応をしているような気がいたします。組織としての行政を非難するならともかく、担当者個人攻撃になりかねない行為はいかがなものでしょうか。
回答の中にある、群馬県文化財課はいまもって回答がありません。それに比べれば東吾妻町の担当者は誠実な方です。