昨夜はツーリングの疲れも有って早寝したら、朝早く起きてしまったょね、
レッドツェッペリンⅡの曲
living loving maid が頭の中でグルグル回るから、とりあえず音楽を聴きながらね
このアルバムの色合いが、昨日訪問した
陸奥記念館の集合写真と重なってね、
戦艦陸奥の艦橋をバックに撮られたところ
陸奥は長門と並んで当時は人気のある艦種
だったし旗艦でもあった
製造時にはワシントン軍縮会議なんかの制約で未完成艦種は廃棄せょ、と言われたが
日本独特の接待で調査団を煙に巻き込んで
完成艦として海軍省に引き渡した経緯がある、
とにかく
半分くらいしか完成していない艦だったから甲板上の板などは本来の材質では無いものが急いで貼られていたという、、
陸奥の承認と引き換えに、米英海軍には
強力な軍艦製造を多数、許されることになり
山本長官は陸奥一隻の為に、敵に沢山の艦を渡してしまった!と述懐させているな
それはともかく、瀬戸内海の水深浅い場所に沈んだ戦艦陸奥は、三式弾や火薬庫の放火、さらには艦内の窃盗事件などの多数の
原因、要因が語られるワケだが
今となっては原因だとなる証拠は藻屑と成り果てている
ひとつ考えられるのは駆逐艦が浮遊機雷を
現場付近の海中に誤投棄したという話、
この機雷は水深25mに設定されていたという、
浅い位置にある機雷に接触したなら
3番砲塔真下あたりは丁度、爆発ポイントとなり得るかなぁ、、
陸奥後部の三番と四番砲塔、直下には弾薬、火薬庫が存在する
しかしながら、当時の目撃した水兵の証言では、まず三番砲塔付近から煙が上がり
その後に砲塔が艦橋の高さまで吹き飛んだという、、
つまりウクライナ戦争でロシアのT-72戦車の爆発と同じく被弾後はしばらく火災と発煙をして、
その後に弾薬に誘爆します、つまりは弾薬に放火したなら即時に爆発的な事態となり煙が噴出するヒマなどあり得ないかな、
直立煙突から曲った煙突に換装、煙逆流がなくなった陸奥
他の生存者の証言では衝撃があり陸奥が主砲を撃ったと思ったら、艦が右と左に大きく揺れて、その後は逆さまになる感じで浸水した
そして水に潜ったら光が見えたので脱出出来たという、舷窓からの脱出しか考えられないが定かでは無い、と語られた
長官室の舷窓だが人は抜けれない大きさ、
と、今になっては原因だとなる証拠などは
ないし、帝国海軍の殆どの艦艇は深海に眠り人の手が及ぶようなものではない、
ある意味では戦艦陸奥は、その身を晒して
現代と
まだ繋がりがあるように思えます、
陸奥の場合は半分くらいは引き上げて
まだ、艦首部品などはそのままです
その遺品や部品、
さらには陸奥鉄と呼ばれる高純度のコバルト無しの綺麗な鉄が原発などで利用されている、
マァ引き上げには費用がかさむからサルベージ会社も
そこら辺は読んではいる、
鉄と言うと錆びるものだが、陸奥から引き上げた刀剣は、塩を落として拭いただけ、
これには驚きを感じる、
刀は錆びる事なく光る、が
南部陸式の拳銃は哀れな姿を見せてくれる
助かった下士官はほとんどが新兵だった
その理由は雨の日でも甲板で昼食後の皿洗いをしてた水兵たちだった。
トムは長い間、時計を盗んだ下士官が軍法会議を恐れて弾薬庫に放火したと言う説を
そうかも知れないと思っていたが、
昨日、陸奥記念館に訪れて
真実は不明だとなりました。
戦艦陸奥、柱島沖の沈没
以上、
あと、写真など100枚はあるョネ〜
沢山の写真と共に爆沈しますねー。
またね。(^。^)