goo blog サービス終了のお知らせ 

集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

これぞ「カラテ大戦争」?「カラテ地獄変」?

2016-02-28 20:23:54 | 格闘技のお話
 2020年の東京五輪の種目に、もしかすると空手が入ってくるかも、という話が出てきております。
 しかし、ひとくちに空手といっても、国体競技にもなっているいわゆる伝統派と呼ばれるものを筆頭に、直接打撃のフルコン、防具をつけての直接打撃ルール、グローブを着用した新空手、投げも寝技もなんでもありの空道まで、まあそれは多種多様なルールがあり、いったい何が五輪競技種目になるんだか、さっぱりわかりません。
 おそらく、伝統派と呼ばれるものが、一番余計なハレーションが少なくていいと思いますが、一筋縄ではいかない問題であることに間違いはないでしょう。

 さて、日本の空手が、こういった「カラテ大戦争」(←古い三協映画が好きな人には、ピンとくるタイトル(*´∀`*))の様相になった原因については、終戦後、戦勝国人を自称して日本に居座った、「三国人」なる輩が大きく関与しています。

 「ヤクザと妓生が作った大韓民国」(ビジネス社 菅沼光弘)という名著があります。
 記載内容には、目からウロコな知らないことも結構あり、瞠目するところ大であったのですが、最もびっくりしたのが「戦後空手の推進に、三国人が非常に大きな役割を果たした」というものでした。
 同著より抜粋します。
「武道を禁じられたのは日本人だけであって、自称戦勝国人である第三国人にはこれは適応されなかった。敗戦の年である1945(昭和20)年の10月、東京九段に韓国人・ユン・ヒビョン(原文は漢字表記)を館長とする韓武館なる空手道場がオープンしている。韓武館には大山倍達や曹寧柱ら多くの在日空手家がつどう一方、廃業した剣道場から払い下げた胴、小手などの防具を着用しての防具付組手の研究も積極的に行われていた」
 気になって調べてみると、別の文筆家のブログにも、全く同じ内容が記載されていました。なので、かなり確度の高い話であると思います。

 これによって、柔道や剣道よりも先に、空手が武道としていち早く復活する素地ができたのですが…ただこれが悲しいことに、純粋な武道や学生の体育として発展することはなく、後日朝鮮総連となる「朝鮮人連盟(朝連)」と、朝連と反目した「朝鮮建国促進青年同盟(建青)」との、命をかけた大喧嘩の道具として使われたわけですな((((;゜Д゜))))
 昭和20年から27年までの間に、朝連のカチコミ部隊であった民青(在日本朝鮮民主青年同盟)と、建青との間で行われたカチコミ合戦は実に353件。昭和27年だけでも、75人の死傷者が出たという、なんとも恐ろしい同士討ちが繰り広げられていました。
 そんな中から、朝連側のツワモノとして名乗りを上げたのが、先ごろ死去された拳道会の中村日出夫先生。
 大東亜戦争時には、なんとたまげることに、陸軍中野学校二俣分校(本校は諜報工作員養成、静岡県にあった二俣分校は、ゲリラ要員養成学校だったらしい)で人殺し用の空手を教えていたそうで…(°д°)
 建青側のツワモノとしては有名な大山倍達総裁。大山総裁は、知っている人は知っていますが、初代民団代表で、韓国系の大立者であった曹寧柱の弟子でもあり、そこで剛柔流の空手を修めています。

 その善悪はさておき、そういった必死必殺の状況では、「身に降りかかる火の粉を払う」用途が主である本来の空手は、「役不足」と思われても仕方ないことですし、手っ取り早く強さを求めるため、対人稽古(スパーリング)を繰り返し、当時は珍しかったウェイトで体を練るようになった…。ごく当然の成り行きであるとは思います。
 当時は「東京の不良少年は、必ずボクシングを習いに行った」などと言われた頃ですから、そうした殺伐とした世相の中で、空手が何がしかの変質したとしても、仕方のないことだったのかな、とも思います。
 それが巡り巡って、最終的に「フルコン」という形になったんですね…。

 先ごろ亡くなられた、空手研究家であり、自らも空手の大家であった金城裕先生は生前、日本武道館が刊行する「武道」という月刊誌の取材に応じ、「空手はいまだにチャンプルー状態で、核となるものがない」と言っておられました。
 戦後の空手が、文字通り人殺しの技術として変質した。これはこれで仕方のないことであるとは思います。
 しかし、平和な時代にはそれにマッチした変質を試みるべきであると思いますし、いまだに残酷ショーやガマンくらべ、軽業みたいなものを競う、「空手」の形をしたなんだか違うものが盤踞している現状には、いちおうハナクソのような空手の修行者として、なんだか寂しさを感じます。

 なお最後に、本稿は拳道会や極真、あるいは特定の空手流派を修行されている方に対して、イチャモンをつける目的で書いたものではなく、あくまでも過去にこんな事実があった、ということを羅列しただけであり、他意はないことをお断りしておきます。

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (還暦過ぎ武道オヤジ)
2016-02-29 15:13:38
取りあえず私がコメントしないとあかんかな?・・私は戦後の殺伐とした時代を生き抜いたセンセイ方に空手を教わった年代です。しかしながら私の接したセンセイ方は皆が皆、凄みを秘めた猛者ばかりでしたが自分の武勇伝を語ることはありませんでした。人と闘争し勝っても負けても「やんなきゃよかったかな?」と後悔が残ります。闘争の前に「この男とやりあうとヤバいかも?」と相手に思わせるオーラがその態度、仕草に現れれば「平和を守る武道」になると思っています。そのために老骨にむち打ちほどほどに頑張るのですが・・いつまで続きますことやら・・
返信する
待ってました、ありがとうございます (周防平民珍山)
2016-02-29 21:58:56
 還暦過ぎ武道オヤジさま、かなりコメしづらい内容に果敢なコメ、大変ありがとうございます。ある意味助かりました!
 ご年齢からおそらく、そうしたツワモノから薫陶を受けられたと、勝手に想像しておりましたが…やはり古の強豪は、そうしたレベルまで自らを高めておられたとのことで、感服するところ大でございました。
 そういえば、「ヤクザと妓生が・・」の本の中でも「中村日出夫先生と大山総裁が戦うことはない。強い者同士は絶対にケンカしないよ」という記述もございました。
 未だそのレベルに達しえず、些細なことに怒ったり喚いたりしている私は、未だ初伝の域を出ない、ダメ人間です。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。