飯野ロケット研究所
『火薬』
(タイトル発音は“kayagu”な)
此処3枚の
(雪崩~切腹~本作)
CDアルバムに於ける彼等の
爆発的クオリティUPは
万人の認める所と思うが、
通常のアーティストの場合、
それは或る意味に於いて
古来のコアなファン層から
『当初の彼等の手造り感が
良かったんだよね~』
的反発を招き兼ねないほどの
劇的進化、メジャー化で在るにも関わらず
彼等に限っては全くその懸念が無い。
音楽面が如何なる成長進化、変容を
もたらそうとも、
彼等が歌う歌詞の世界観、テーマが
不変で在るからだ。
誰しもが己の幼年期や
郷愁を重ね合わせて感情移入可能な
(・・・ホントかよ(^_^;)?)
彼等の
“飯野町”と云う“永遠の遊び場”。
幾度も繰り返し取り上げる事によって
リスナーと共有される名物キャラクター、
名物事件の数々。
歌われる内容が
“ナメナメ”や“味の峠”で在る限り、
音楽自体が如何なる次元に飛躍しようとも
固定ファン層の期待を裏切る事は無く、
停滞に陥らず、ひたすら向上と
クオリティUPを続け、新たな層を
捕まえて行けるのだ。
(CD作品時代に入ってから
その姿を顕した彼等の
ビジュアル風、ギター・ポップ風
作品は、新たなファンク面開示の今作
でも楽曲、演奏共に更なる洗練の域
に入って居る)
得てして“支持層”なるモノは
『新しいコトを演れ』と口にする割に
本音の部分では
アーティストに永遠の
マンネリズムを求めて居り、
進化要求を口にしながらも、
冒険や新たな地平の開拓には冷淡、
と云う恐ろしい自家撞着を見せる
“自己中極まりないツンデレども”なのだが。
アーティストとファンとの間に横たわる
この“永遠の命題”にすら、
“真の天才”
アゴパン博士は
ほくそ笑みながら、アッサリと答えを
出して見せたのだ。
アーティストが長く生存し続ける為に
恐らくは最も重要なその“スタンス”の
問題を、実に軽やかに解決する
そのクレバーさと戦略には全く舌を巻く。
『ホントはどうなんだい』は、
もはや小生にはLittleFeatに聴こえる。
そう云えばLittleFeatの故ローウエル・ジョージも
マザーズ・オブ・インベンションに在籍した経歴が
在る所からも、
兼ねて凸ヤマ主張の
“ロケ研こそ
日本のフランク・ザッパ”説
が実証されたのではなかろうか。
『NAMENEM』のラップの見事さや、
後半の圧巻ファンク展開
には、既に耳にした誰もが
惜しみ無い賛辞を寄せたコトと思う。
お茶パン博士は
ジェームス・ブラウンに比肩し、
パッション屋良の“ん゛ー!ん゛ー!”を越えた。
黎明期、アゴパン博士とは別ベクトルの
才能を飯野ロケット研究所の
“オマケ”的に
発揮して居たお茶パン博士が、
前作辺りから
やや本気(?)を出して披露し始めた
ビジュアル、ジャパメタ系に於ける
職人的(かつ商業的)作&編曲能力の
多彩な引き出しと歌唱力は
元来の圧倒的な演奏力
(コレも近年、やや本気を見せ始めた感アリ)
と相俟って
『厄除』に結実して居るが、このジャンルを真正面から
標榜して(つまり大マジで)演って居る皆様を
全て笑い飛ばし、シニカルに笑う
お茶パン博士の顔が見えるではないか。
お茶パン博士の“やや本気”が、アルバム枚数
を重ねる毎にアゴパン博士の世界観に
説得力を付加する傾向に在り、
此処に来て二人の才能が“最強タッグ”
の色合いを強めて来て居る様に感じられる。
音楽で展開されるギャグは、その演奏クオリティ
が高ければ高い程・・・見事に“落ちる”。
二人の天才の飛翔は留まることを知らず、
加えて彼等に、今回版
『飯野町に捧げるバラード』
のアレンジに見られる“サービス精神”在る限り
飯野ロケット研究所に死角は無い。
(彼等は、史上初の
“信奉者を置いて行かない天才”なのだ)
例によって『会員制秘密倶楽部』的
領布方式を採る彼等のこの新作を
『(屮゚Д゚)屮た・・・頼む、聞かせてクレ』
とする向きは多いだろう。
彼等の公式HPや
正規販売所ルートのリンクを
小欄に記載して良いものか否か、
ご当人達に正式許可を得ないと
判断が付かないので・・・
(今時であるから、検索すりゃ済むコトだが)
取り敢えず、此処では
『( ゚Д゚)きっつあんトコで買え!』
との情報を開示するに止めようw
(…(-_-;)ナニそのニッチな内輪隠語www)
最後に蛇足ながら
『爆弾メサイア(ベテラン)』に於いて、
それまで毎回途中に挟まれた
“飯野町民の為に”の台詞が来ないナ、と
思わせて置いて
それを落ちのトリガーに使う、と云う
圧巻のセンスこそが、
今日、日本映画界の脚本に著しく欠ける
トコロでは無かろうか、と考えさせられた事も
書き添えて置こう。
『火薬』
(タイトル発音は“kayagu”な)

(雪崩~切腹~本作)
CDアルバムに於ける彼等の
爆発的クオリティUPは
万人の認める所と思うが、
通常のアーティストの場合、
それは或る意味に於いて
古来のコアなファン層から
『当初の彼等の手造り感が
良かったんだよね~』
的反発を招き兼ねないほどの
劇的進化、メジャー化で在るにも関わらず
彼等に限っては全くその懸念が無い。
音楽面が如何なる成長進化、変容を
もたらそうとも、
彼等が歌う歌詞の世界観、テーマが
不変で在るからだ。
誰しもが己の幼年期や
郷愁を重ね合わせて感情移入可能な
(・・・ホントかよ(^_^;)?)
彼等の
“飯野町”と云う“永遠の遊び場”。
幾度も繰り返し取り上げる事によって
リスナーと共有される名物キャラクター、
名物事件の数々。
歌われる内容が
“ナメナメ”や“味の峠”で在る限り、
音楽自体が如何なる次元に飛躍しようとも
固定ファン層の期待を裏切る事は無く、
停滞に陥らず、ひたすら向上と
クオリティUPを続け、新たな層を
捕まえて行けるのだ。
(CD作品時代に入ってから
その姿を顕した彼等の
ビジュアル風、ギター・ポップ風
作品は、新たなファンク面開示の今作
でも楽曲、演奏共に更なる洗練の域
に入って居る)
得てして“支持層”なるモノは
『新しいコトを演れ』と口にする割に
本音の部分では
アーティストに永遠の
マンネリズムを求めて居り、
進化要求を口にしながらも、
冒険や新たな地平の開拓には冷淡、
と云う恐ろしい自家撞着を見せる
“自己中極まりないツンデレども”なのだが。
アーティストとファンとの間に横たわる
この“永遠の命題”にすら、
“真の天才”
アゴパン博士は
ほくそ笑みながら、アッサリと答えを
出して見せたのだ。
アーティストが長く生存し続ける為に
恐らくは最も重要なその“スタンス”の
問題を、実に軽やかに解決する
そのクレバーさと戦略には全く舌を巻く。
『ホントはどうなんだい』は、
もはや小生にはLittleFeatに聴こえる。
そう云えばLittleFeatの故ローウエル・ジョージも
マザーズ・オブ・インベンションに在籍した経歴が
在る所からも、
兼ねて凸ヤマ主張の
“ロケ研こそ
日本のフランク・ザッパ”説
が実証されたのではなかろうか。
『NAMENEM』のラップの見事さや、
後半の圧巻ファンク展開
には、既に耳にした誰もが
惜しみ無い賛辞を寄せたコトと思う。
お茶パン博士は
ジェームス・ブラウンに比肩し、
パッション屋良の“ん゛ー!ん゛ー!”を越えた。
黎明期、アゴパン博士とは別ベクトルの
才能を飯野ロケット研究所の
“オマケ”的に
発揮して居たお茶パン博士が、
前作辺りから
やや本気(?)を出して披露し始めた
ビジュアル、ジャパメタ系に於ける
職人的(かつ商業的)作&編曲能力の
多彩な引き出しと歌唱力は
元来の圧倒的な演奏力
(コレも近年、やや本気を見せ始めた感アリ)
と相俟って
『厄除』に結実して居るが、このジャンルを真正面から
標榜して(つまり大マジで)演って居る皆様を
全て笑い飛ばし、シニカルに笑う
お茶パン博士の顔が見えるではないか。
お茶パン博士の“やや本気”が、アルバム枚数
を重ねる毎にアゴパン博士の世界観に
説得力を付加する傾向に在り、
此処に来て二人の才能が“最強タッグ”
の色合いを強めて来て居る様に感じられる。
音楽で展開されるギャグは、その演奏クオリティ
が高ければ高い程・・・見事に“落ちる”。
二人の天才の飛翔は留まることを知らず、
加えて彼等に、今回版
『飯野町に捧げるバラード』
のアレンジに見られる“サービス精神”在る限り
飯野ロケット研究所に死角は無い。
(彼等は、史上初の
“信奉者を置いて行かない天才”なのだ)
例によって『会員制秘密倶楽部』的
領布方式を採る彼等のこの新作を
『(屮゚Д゚)屮た・・・頼む、聞かせてクレ』
とする向きは多いだろう。
彼等の公式HPや
正規販売所ルートのリンクを
小欄に記載して良いものか否か、
ご当人達に正式許可を得ないと
判断が付かないので・・・
(今時であるから、検索すりゃ済むコトだが)
取り敢えず、此処では
『( ゚Д゚)きっつあんトコで買え!』
との情報を開示するに止めようw
(…(-_-;)ナニそのニッチな内輪隠語www)
最後に蛇足ながら
『爆弾メサイア(ベテラン)』に於いて、
それまで毎回途中に挟まれた
“飯野町民の為に”の台詞が来ないナ、と
思わせて置いて
それを落ちのトリガーに使う、と云う
圧巻のセンスこそが、
今日、日本映画界の脚本に著しく欠ける
トコロでは無かろうか、と考えさせられた事も
書き添えて置こう。