ROSALIND凸ヤマ翁の『Wスタな日々』

みちのくの御長寿旅バンド・ロザリンドの随想録。

A YOUNG PERSON'S GUIDE TO 70's ROCK

2009-03-31 19:39:00 | 70年代HARD ROCK奇譚
(^_^;)サテ困った。
此処で取り上げてる音源って

☆『若い頃、確かに聞いたナ~。懐かしスo(^-^)o 』
  って年寄り世代
       及び
☆『え?そのメンバーってあっちにも参加してたっけ?
   どれどれ・・・』

  と自分のコレクションを調べるマニア

  ・・・ないし拙宅のCD棚を漁りに来れる一部の人々、
     小生のラィヴラリー・データを違法(?)
     に入手してる極一部の特権階級

        (でもデータ既に2年落ちw)

が主なターゲットのつもりだったので

◎『此処で見て興味持ちました!探してみます!』
  って人達は想定して無かったのよネ(^_^;)

実は、今日までこのコーナーで紹介した
僅かな数の紹介音源だけで既に、
一般の街中CD屋さんでは、かな~り“入手困難”
度の高いモノが含まれてるコトに
今更ながら気が付いたのですが・・・

そこで

この“凸ヤマの70年代ロック奇談”に

若干の 
『A YOUNG PERSON'S GUIDE
TO 70's ROCK』
(爆
的性格を付与する努力として、

今後は数段階の“入手困難指数”を添付して
その一助と為す試みを行おう、と考える。

   入手困難指数

 レヴェル1 o(^-^)o 楽勝
       貴方の街のCD屋さんに在るかもw

 レヴェル2  (^_^;) 要努力
       HMV~タワレコ・クラスの取り寄せ

 レヴェル3  (>_<) 難易度クシ高し
       Amazonで探せばHitするが、ヘタすると
       プレミア付いてマス

 レヴェル4 ( ̄□ ̄;)!!超難関(草薙剛)
       eBayでヨーロッパ探すか、西新宿
       界隈のマニア専門店をくまなくチェック       

 レヴエル5 (ノ`ω´)ノ~┻━┻ 天空の御皿
        真の“コレクター”領域。
        レヴェル4作業で万一発見出来ても
        サザビーズのオークションみたいな値段
        なので、手を出さずにリ・イシューを
        待つ方が懸命。




いちいち既発のブログを編集するのはマンドクセ( ゚Д゚)
なので、取り敢えずこちらにマトメて記すから
興味の在る方は参照チェックよろしくw


STRAYの一連のアルバム  LV 1~2
   どのアルバムでも楽しめるが初心者向けとは言い難い。
   BEST盤が見つかればソレをお勧めする。

CHICKEN SHACK      LV 2~3
   初期のブルース・アルバムや此処で紹介した作品以降
   のモノに手を出すと、退屈するコト請け合いw
     CARMENに関しては LV 3

BAKER GURVITZ ARMY LV 2~3
   THREE MAN ARMYについてはLVが3~4にUPして
   しまうが『Two』は聴く価値在り!









GRAND FANK RAILROAD   LV 1~2
   4人編成になった後期のアルバムは手を出さない方が
   無難。初期のトリオ編成時代作品も好みが分かれる
   と思われるので、白黒ジャケの『LIVE ALBUM』
   か『LIVE THE1971TOUR』から入る事をお勧めする。

PAT TRAVERS       LV 2~3
あくまでピーター・マーズ・コーリング在籍の
   初期作品がお勧め。『LIVE! Go for what you know』
   が入門には最適か?









MOUNTAIN
FLEETWOOD MAC
TEN YEARS AFTER
JEFF BECK GROUP
についてはメジャーどころなので
            LV 1~2

    関連で登場した中では

West Bruce & Laing LV 2~3
PARIS   LV 2~3
HUMMING BIRD  LV 3~4
HANSON LV 4
JODY GRIND     LV 3




ってトコかなあ?
サポート・コメント求む!


・・・え?そこまでやるならレコード番号も載せろって?

         マンドクセ( ゚Д゚)!


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(^_^;)いや、別に・・・

2009-03-30 21:32:00 | 70年代HARD ROCK奇譚
声高に何か主張しよう、ってんぢゃ無くて、

この奇談読んで
『( ゚Д゚)ハッ?それって・・・どんな曲だっけ?』
と、レコード棚かCD棚ガサゴソ漁る機会となって
戴ければ、無上の幸いでゴザイマスのよ?
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JEFF BECK GROUPの巻

2009-03-30 20:40:00 | 70年代HARD ROCK奇譚


JEFF BECK GROUP

『ROUGH and READY』

ですぜ、御新造さんへ、いやさお富!(一体ナニ


( ̄□ ̄;)!!えええ?『Truth』とか『Beck-Ora』
ぢゃねえのかよッ!と驚いてる貴方、甘いw

確かに『JAILHOUSE ROCK』の間奏の
トニー・ニューマンロン・ウッド・リズム隊は
ネ申だよ。異論は認めない。
小学生ん時コレに出逢ってなきゃ、今
Rosalindとか演って無い。

また長い話に、当然なる訳だがw
(あ~ソコ、ウンザリして携帯閉じない様にw)


小生には
『やたらと聞いた4枚のアルバム』が存在する。

それは“お気に入り”などと
明らかに別次元の“もはや異常”な反復だった。

まず、当時既にその理由が
自分自身でも明確だった2枚

Wishbone Ash の『Wishbone four』、
Family『It's only a movie』。
(この“二大駄作愛聴盤”については、
 いづれ書く機会も在るだろう。)

そして残る2枚、
Captain Beyond の1stと
この『Rough and Ready』。

小6~中1の小生には、その時点で
ナゼこの2枚をそこまで憑かれた様に
聞き返して居るのか、自身知る由も無かった。


そう。単純に『解らなかった』のよ、
子供にはw
ランドセル背負ってる分際の知識経験で
この2枚をスンナリ受け入れられる程の
音楽的素地やキャパシティが
醸成されてた訳も無く。

だが『解んねえや』が→『( ゚Д゚)イラネ』
に直結して排除、って訳に行かない、
抗し難い魅力が確かに在ったんだよネ。

それが、戸惑いながらも聞き狂った理由。

さてその『ROUGH and READY』。

アルバム1曲目『Got The Feeling』。
当時の小生の稚拙な
“ハード・ロックの概念”から大きく逸脱した
この曲はしかし、やがて
『なんだか解らないケド、カックイイ(>_<)!』
と、幼子を虜にしたのだった。

アルバム発表の前年にジェフと共に
御存知、Dr.コージー・パウエル
が渡米、デトロイトのモータウン・スタジオで
リハを試みたり、
続く2nd (通称『Orange Album』)
スティーヴ・クロッパー
ブッカーT&MG'sのギタリスト。
 映画『ブルース・ブラザーズ』でも御馴染み)
のプロデュースでメンフィスのスタジオ・・・
って辺りから、ジェフが狙ったのは
ソウル系ブラックな音だったと思われ、

マックス・ミドルトンのKey、
クライヴ・チャーマンのBass、
ボヴ・テンチのVocalは、その狙いに於いて
正鵠を射て居る。

しかし、幼子は決して
“英国製70年代版モータウン・サウンド”
に戸惑った訳では無い。

このサウンドに対して、明らかにコージーのドラム
とジェフのギターが『怪異』だったのだ。

ジェフのplayが『怪異』なのはデフォだとしても、

そのテクニックでファンクな“ハネ”は確保
しつつも、この音楽に超重たいリズムでツーバス
ぶちかますコージーのplayは、Mixで極力
軽やかな感じに補正されたサウンドでも、
余りに『怪異』スギw

単純にモータウン・サウンドを模倣再生した
とて、ここまで魅力があろうハズも無く、
その怪異さをブラックなモノにぶつけた
(融合は・・・してない、たぶんw)
この雰囲気が『何か得体の知れぬ、新しい魅力』
だったのだろうネ~。

『New Ways Train Train』
その“何か新しい”モノをリングに
暴れ回るハードロック・ボキャブラリィの
コージーのドラミングが、泣けるほどカッコイイ。

さりとて、
小生はコージー・パウエルを彼の全キャリア
通じて高評価して居る訳では無い。

彼が超人気ドラマーに登り詰める過程で
どんどん大味大仰になって行ったのは
素人を騙す為の必然だったのだろうが、

このJEFF BECK GROUP時代の彼の様な
重たいツーバスを空気読まずにブチかましつつも、
ハネハネの細かいハット&スネア・ワークを見せる
ドラミング展開は、これ以降類例を知らないもの。
(他に評価出来るとすれば、大仰化作業途上
 のBEDLAM 時代と、完成された大仰さが
 プログレ環境下で逆に笑える
  Emerosn Lake & Powell期ぐらいか)

まぁ、コージー人気は定石としても、
この時代のジェフを支えた!として
key.マックス・ミドルトンは一般に高評価。
GASSからやって来たボヴ・テンチ
このかなり後、あろう事か
Street WalkersHumble Pie
の掛け持ち、と云う言語道断の荒業を見せ、
その相関交遊図で1章費やす勢いだが・・・
(なんでそんな絶対的な看板Voの居る
 バンドばっかし?サイド・ギターと
 コーラス演ってる方が好きだったのか…?
 ともあれ“イイ人”だったのは間違いないw)


でもさあ、やっぱ一番スゲエ( ゚Д゚)のって

クライヴ・チャーマン
に尽きんぢゃね?

今作『Short Business』のplayで既にその
発露を見せる彼のユニークで
目立ち捲くる、尚且つネックが狂ってて
特定ポジションのチューニングが必ず
合わないプレベ(笑 から繰出すサウンドは
この時期、ブートレッグで聞ける幾多のライヴでも
大暴れ!
(ハイ(^_^;)小生、この時期のJBGブート・コレクターです)

クライヴは
JEFF BECK GROUP解散後、
マンティコア・レーベルから
『Now hear this』
をリリースするHANSON に参加。
(同名の兄弟POPバンドとは関係無いw。
 ボヴ・マーリィ好きの方には
 ジュニア・マーヴィンのバンドですよ、
 と言えば通じるのか?)

このアルバムも
強烈に好きだったアルバムだ(>_<)!
ジュニアのGuiterがフェイザーに煙る名曲
『Rain』は凸ヤマ・トラウマ曲のひとつ。

此処で
黒人のクセにコージー並のべらぼうに
攻撃的なDrを叩く
コンラッド・アィジドア

(Isidore・・・イシドール説で無く
 小生はアィジドア説採用w
 此処で笑うのはナッカさんだけw
 ちなみに、
 Robin Trower の初期作品で突っ込みに
 突っ込んで、前のめり捲くる素敵なドラムを
 聞かせたレグ・アィジドアのお兄ちゃんw
 コンラッドがこのアルバムの
 『Traveling Like A Gypsy』のサビで見せる
 ドラミングの黒人らしからぬ?無茶ッぷり
 を聴けば、誰しもアィジドア家の血筋に納得。)

とコンビを組んだクライヴは

JEFF BECK GROUPの盟友
テンチとマックスを呼び戻し、
なんとGuitarに 大名盤『FAR CANAL』
有するJODY GRINDから
バーニー・ホランド
を招き HUMMINGBIRD を結成。








(ちなみにコレは裏ジャケ)
このアルバムの『Music Flowing』の素晴らしさ
はどうだ。此処でのバーニーのGuitarソロが
余りにカッコ良くて、一瞬『JAZZもイイかも!』
とさえ思った程だったw

この後、バンドはドラマーがバーナード・パーディ
に変わったりして“ホンモノ”になってしまい、
時代背景的にもフュージョン大攻勢の波に
紛れてしまう。
(コージーやコンラッドの“異化”要素が
 消えてしまうと、纏まるには纏まるが
 何の変哲も無くなる罠)

しかし2nd
『We Can't Go On Meeting Like This』
でクライヴのBassはひとつの到達点を極め、
アルバムの何処を取っても
ユニーク極まるベース・ライン教本として
今猶、金字塔である。


   超余談

釜石の片田舎から上京し、出来も解りもしない
JAZZのビッグ・バンド・サークルに入った
小生は
『JAZZ研にロック上がりのエレキ・ベース弾き
 が居るらしい』
と云う間違ったスペックだけが伝播し、
『それならフュージョンが演れるだろう』
((>_<)チガイマス!)
全盛期6つのフュージョン・バンドから
招聘される(学校の先輩相手なので断れない)
異常事態を経験したが、ほぼ全てをこの

HUMMINGBIRD
『We Can't Go On Meeting Like This』
でのクライヴのplayから借りた知恵だけで
誤魔化し切った大恩は生涯忘れ得ないw

案の定
ケージも一発でハマリましたo(^-^)o

おそらく、JEFF BECK GROUP~HANSON~
HUMMING BIRD
と云うひとつの完全に
継続する流れに魅了された理由は

“純然たる米国黒人ファンクには無い
    英国的曇天感と重さ”

だったのだろうコトよなあ。


コージー、よりによってSAAB乗ってて
事故死すんなよッ(>_<)!(合掌)




    エピローグ

今回の冒頭部分に注目。

『公平』と『平等』を
巧みにスリ代えた“ゆとり教育推進”(?)&
運動会で順位を付けるのは止めましょう、な
某組合的感覚だと恐らく
言葉狩りっぽい糾弾と吊るし上げを喰らうで
あろう、

『聴衆にも当然、段階(レヴェル)が存在する』

って抗し難い事実を自ら証明して見せたのだが、
如何?

↑絶対在るに決まってんのに、割と
それに言及すんのってタブーなのなw


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TEN YEARS AFTERの巻

2009-03-28 16:28:00 | 70年代HARD ROCK奇譚

TEN YEARS AFTER
にございます、ご家老様!


意表突いたでしょw


でも、
アルビン・リー
率いる、この
TEN YEARS AFTER(以下、T.Y.A)
には凸ヤマ、物心つく以前から
親しんでましたの。

確か、自分でお小遣い貯めて買った
LPレコード最初期3枚中の1枚がこの
『WATT』

だったハズ。
映画『ウッド・ストック』も未だ観てない
小学生の小僧がナゼにT.Y.A


…(-_-;)街のレコード屋さんに
在ったからだよ・・・



当時はアルバム買うってのは一大事業で、
シングル買ってB面の出来から判断する、
等という甚だ経済効率の悪い試みまで
行われて居た。
(その頃LPレコード1800円~2000円
 シングル・レコードは400円~500円)
お店で視聴は当然、中ジャケも観て
ライナー・ノーツまで読む!
(インターネットどころか、VTRすら存在しない
 時代の田舎で、如何に情報が無かったかを
 現代の諸君に実感させるのは不可能に近い)

…(-_-;)T.Y.Aってさ・・・ジャケがカッコ
良かったのよ・・・KIDS凸ヤマ的に・・・


以下、写真は彼等の5枚目
『CRICKLEWOOD GREEN』
の見開き中ジャケ、4枚目『SSSSH』
(邦題・夜明けの無い朝)の裏ジャケw










実はT.Y.Aって、リズムが当時の水準で
言っても古臭いのよねw。ドラムの
リック・リーの責任だと思うんだけど(^_^;)

ブリテイッシュ・インベージョン大変革の
波に乗り切れてないちゅうか
『JAZZ風味BLUESシャッフル』を演ってた
初期の彼等から、8ビート覚えたゾ!
ってトコで止まってるちゅうか、
ドラムのサウンド自体も古臭い。
(このリズム隊、4ビート系になると突如
 生き生きする傾向有りw)

ベースのレオ・ライオンズは・・・上手いよ?
ステージングもカッコイイだったしo(^-^)o 。
上手いんだけど、やっぱりウッドベースの
ランニングをジャズベに置き換えた、って
だけでフレージングとかサウンドが
斬新とは言い難い。
マイケル・シェンカーを迎えたばかりの
 UFOの作品を、かなり特異な音でプロデュース
 した手腕は高く買うけど、それは後の
 話だしね(^_^;))

アルビン・リーのギター・ソロも確かに
速い(当時明らかに最速)んだけど、思いっ切り
手癖だし・・・。

んぢゃ、このバンドの魅力は何だったニカ?
と云えば・・・

曲だよね!o(^-^)o アルビン・リー
早弾きギター・ヒーローとして捉えられてる
けど、実は優秀なソング・ライターですた。

恐らくはZEPとかSABBATHと違う意味で
『リフって概念で捉えた
      最初期のロック・ナンバー』
を創り出してた人な気がする。

しかも決定的な要素として、
T.Y.Aのリフ・ナンバーは
“メロディがちゃんとしてた(>_<)!”
のさw


マージー・ビートやらリバプール・サウンド
から脱却し、米国から輸入した黒人音楽を
ブルー・アイド・ソウルやらホワイト・ブルース
へと消化吸収する胎動期にジャズ・ミュージシャン
までが合流参戦、ロックと云う柔軟で
スポンジみたいなフォーマットに吸収された
物凄いエネルギーがイギリスに起こした
“ビッグ・バン”(ジミ・ヘンの渡英も起爆剤)が
ブリテイッシュ・インベージョンとして
米国に大逆流する丁度その頃。

ありきたりの3コードを刻む、バッキング
としての“リズム・ギター”が、より
過激で派手な演出を追求の結果
リフ主体のヘヴィー・ロックが誕生する。
これはブルースを齧った人々には
正常進化形で、送り手側、聞き手側双方共
非常に取っ付き易く、
Ampの大音量化、Fuzz等エフェクター
の一般化、エレキ・ギター自体の技術革新
と云ったハード面との相乗効果も伴って
大流行、定番化する。

その際、
2流~3流ブリティッシュ・バンドが
こぞって陥った罠は
『リフさえ出来りゃイイだろ、後はVocalが
 適当にシャウトしてろ』
だった。
(・・・(^_^;)いあ、凸ヤマはダイスキ
 ですけどネ、そう云うのw)


アルビン・リーの曲は、その点が決定的に
違った。Fuzzとか使った無茶なリフも在る
のだけれど、歌メロが実にシッカリしてたのよw
(決してPOPでは無いが、楽曲の
 中心があくまでメロディだった。この規範が
 完全に貫かれてたのは、他にはJethroTull
 Trafficぐらいか?・・・あ、Traffic
 “リフ”系ぢゃねえかw)

『当時のロンドン、マーキー・クラブの楽屋で
 うっかり新曲のリフとかアイディアを
 つま弾こうもんなら、たちまちライバル・バンド
 にパクられたゼ!』

・・・と皆様語っては居られますが、1線級
有名どころだけでも、SABBATHJethroTull
このT.Y.AEL&PFREEなんかが
ヒシメキ合ってた訳ですから、凄い話デス。

でも、それらのバンドって・・・
確かに当時ライバル関係だけどさ、みんな
全ッ然違うよね(>_<)?お互い“パクる”とか
無理ぢゃね?個性離れすぎててw

ナニソレが流行れば、一斉にその手のバンド
だらけになる我が国とは根本的に
文化の成り立ち方が違うのネ…(-_-;)
(個としてで無く全体の理念を統一
 し易い、って国民性の特質と考えれば
 悪い点ばかりでも無いケドw)
でも近年、やや米国音楽界も↑この傾向が在る
のが戴け無いなあ・・・



脱線しましたが文化人類学を語る資格も
意図も無いのでT.Y.Aに戻りましょw
(あ~楽しいwストレス発散するわ~o(^-^)o
 サヲリさんもだるまさんも ハッスルさんも
 御容赦~♪・・・って、既に此処まで
 辿りつく前に放棄か?w)


アルバム『SSSSH』のオープニングを飾る
『Bad Scene』。
チック・チャーチルのピアノ連打は
ジェリー・リー・ルイス『火の玉ロック』
の域を出ておらず、古色蒼然ではあるが、
アルビンのfazzギターから突如4ビート風味の
シャッフルに展開するサビは、今聞いてもお洒落。
ブリッジのリフも御見事。

この曲のイントロSEの鳥の声?を大音量で
レコード・プレイヤーに掛けると、驚いた母が
飛んで来たものだ。

続くアルバム『CRICKLEWOOD GREEN』。

アメリカン・ロックかと思う程にリズムの硬い
リックのドラムに導かれ、アルビンのメロディ・
センス炸裂の名曲『Sugar The Road』。
パーカッシヴなチックのハモンド・オルガン
がカッコイイ。このハモンドとギターの位置づけ
とメロディの相関こそがアルビンの非凡を証明。

どうにもES-335のセミアコが放つサウンド
は時代を感じるがw

何故にこれ程のメロディ・センスを有する、
アルビンが、ギター・ソロに限って毎度毎度同じ
手癖だったのだらう?…(-_-;)不思議だ。

『Working On The Road』
『Love Like A Man』
余り斬新とは云えないが、ブルース・ベースの
ナンバーとして印象に残る。後者はシングル
としてそこそこHitを飛ばしたはず。
前者の開始50秒辺りで激しくピッチが狂うのが
当時、子供ながらに凄~く気になったものだが、
Mixの際に誰かがマルチ・トラック・レコーダ
に寄りかかってリールに触ってしまった
んですって(@_@)!・・・ナットクw
(今時の若いモンはリールのテープなんて
 ワカランか(^_^;)w)

『Me And My Baby』
彼等がニューポート・ジャズ・フェステイバル
に出演して居たり、初期の3枚のアルバムで
ジャズ・バンドと呼ばれて居たのも頷ける
ナンバーだが、これが彼等の出自だとして聴くと
尚更『Sugar The Road』や前作『Bad Scene』
での革新振りに驚かされる。
その伝に於いて、彼らは真に“プログレッシヴで
あった”と言って差し支え無いだろう。

『50,000 Miles Beneath My Brain』
KIDS凸ヤマがひどく“スリ込まれて”居る曲。
何処かTraffic を彷彿とさせるメロディのせいか
やたらとこの曲が好きだった。

ってな訳で、冒頭に『WATT』を紹介して居るが
アルバムの出来は『CRICKLEWOOD GREEN』
のが上なのな・・・(^_^;)ゴメンw

なんせ『WATT』は最初期に自分で買ったLP、って
コトと“不朽の名作リフ”
『I'm coiming on』が入ってるから♪
エレキ・ギター手にして一番最初に
コピーしたの、この曲だったナ~o(^-^)o
(ソロの途中までで挫折w)


    エピローグ

もう世の中にハード・ロック欠乏が
常態化して居た1978~1979年頃。

以前ジョン・カンANDROMEDAを演ってた
ミック・ホクスワース
(・・・(^_^;)たぶん。その人ぢゃないかな?)
をベーシストに迎え、アルビンが突如
TEN YEARS LATER
として帰って来てブチかました
『Ain't Nothin' Shakin'』って曲には
“今どき、んなの在るかいッ!(>_<)b”
とツッコミながらも大いに楽しんだ。
トム・コンプトンってドラマーさんも
 全くもって“今どき、んなの在るかいッ!”
 スタイルだったw)
思えば、パットラ的スタイルのハードロック
だったと言えなくも無かったナ~w



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Fleetwood Macの巻

2009-03-27 15:44:00 | 70年代HARD ROCK奇譚


Fleetwood Mac
  ッスよ、お代官さま!




さて、これまた以前取り上げたCHICKEN SHACK
同様、ブリティッシュ・ホワイト・ブルースの雄
だった頃は大して興味無かったバンドでした(^_^;)
(所謂ピーター・グリーン時代な)

BAND名の通り、ミック・フリートウッド
ジョン・マクビーのリズム隊を不動の中心軸として、
フロントのギター&ヴォーカルが変遷して
行くに連れBANDの音楽性も大きく変わる、
と云う通常とは逆の流れ。

この世界で云う
“James Gang方式”
の典型だな。
(・・・(^_^;)云わない。絶対云わない)


普通は非ブルース時代のFleetwood Mac
つうとリンゼィ・バッキンガム
スティヴィー・ニックスがフロントだった
大ブレイク期を指すんだろうけど、
小生が圧倒的な影響受けたのはむしろ

クラプトン、ベック、ペイジに次ぐと云われた
ギター・ヒーローであるピーター・グリーン
(当時のライヴ音源で『Tiger』のソロとかは
   確かに切れ味がネ申。)
が薬と宗教で崩壊し前線を退く1970年から、
『Rhianon』の大ヒットで世界を席巻する
セルフ・タイトル『FLEETWOOD MAC』
アルバムでの1975年ブレイクまでの

闇の空間に存在するグダグダ期
にリリースされた作品群だった。


ピーター・グリーン在籍最後のアルバムで
名曲『Oh! Well』を含む
『THEN PLAY ON』
も傑作なんだけど、

小生が明らかに音楽人生変わる(・・・曲がる?)
ぐらいハマったのは表題写真の
『Future Games』
と、

この『Bare Trees』の2枚。

マイク・ピネラに継ぐ凸ヤマの
『作曲三大師匠』
の残る二人
ダニー・カーワン
ボヴ・ウェルチ
が揃って
居たんだもん、そりゃ仕方ない!

それに加えて、CHICKEN SHACKから移籍加入
してブルース・ウーマンからPOPソング
シンガー・ソングライターへと覚醒する
クリスティン・マクヴィー
(旧姓パーフェクト。Bassのジョンと
 この頃ご夫婦でしたの)

まで居た日にゃ、3者の楽曲ベクトルの
方向性はゴチャクチャw
Fleetwood Macって看板にこだわって
 ピーター時代からの整合性みたいなモノ
  にも色気出し、素っ頓狂なブルース
  セッション・ナンバーとかギター・
  インストも持ち出すから余計混乱)

ソング・ライターが複数居ても、せめて
Vocalistが独りならどうにかなるもんだが、
彼らの場合作曲者3人が3人共原則
自作は自分で歌う、ってスタイルだった
のがまた方向性の拡散に拍車を掛けた。
(ブレイク期のリンジー&スティヴィー
 &クリスティンの3者の方が、C&W 風味
 とかで整合性が高いのも事実)

アルバム『FUTURE GAMES』では
タイトル・ナンバー『Future Games』
新参のボヴ・ウェルチがいきなり上梓。
しかしこの透明感は、
未だ加入当時未完成だったであろう
彼の作曲傾向がダニーから強い影響を
受けた風情が在る。

御大ダニーも負けてはいない。彼の大傑作、
『Woman Of 1000 Years』をアルバム・
オープニングにぶつけて来る。
メロディ、コードの展開はダニーの独壇場だ。

このアルバムは、ほぼこの2曲で全体の
印象を決定づけるが、
(クリスティンの傑作『Show Me A Smile』
  も忘れてはイケナイが・・・)
この2曲には不思議な統一感が在るものの、
全体に、とっ散らかった印象は否めない。

続くアルバム『BARE TREES』
から名将マーティン・バーチがプロデューサーに。

ダニー・カーワン作3曲は、
いづれも霧の向こうに霞むが如き
はかなさと透明感が漂う素晴らしさ。
カーワン節のケレン味溢れるコード使用と
これでもか!展開炸裂『Child Of Mine』。
リヴァーヴ嫌いの小生でも、
この奥行きは許す。
タイトルナンバー『Bare Trees』でも
カーワン得意ワザ、リフとのユニゾン
・メロディが炸裂。
インスト『Sunny Side Of Heaven』
聞きながら眺める、裏ジャケの夕日が
喚起するイメージの豊かさたるや!

そしてボヴ・ウエルチ渾身の名曲
『Sentimental Lady』。
本人が後に幾度もセルフ・カバーして居る
点からも、この曲が彼のキャリアの
マイルストーンで在る事は疑いあるまい。

このアルバムを最後に、ダニーは暖簾を
ボヴに託してFleetwood Macを去る。

ピーター・グリーンによって見出された
天才作曲少年はしかし、アルコール中毒等の
問題でこの後は不遇なキャリアを辿るのだが、
前作の『Sometimes』に観られる路線で
独自の魅力的なメロディと哀感を以って
数枚のソロ・アルバムを遺した。
それらのソロ作から編纂されたベスト盤CDは

今でも小生の愛聴盤だよ、ダニー師匠o(^-^)o

ダニーを失ったFleetwood Mac
何をトチ狂ったかほぼ『ROAD RUNNNER』1曲
を歌わせる為だけにデイヴ・ウオーカーと云う
ブルース・シンガーを迎え
『Penguin』
と云う何がしたいのか良くワカラン
アルバムを製作。同時にASHKANと云う無骨な
ブリティッシュ・ヘヴィ・バンドから
器用なボヴ・ウェストンを招いたのは、
純粋にダニーの抜けた穴を“ギタリスト”補強
に留め、ソング・ライターは要らない、
と云う判断だったのだろう。
(それは正しい判断だったが、結果
 このギタリストに嫁さんを奪われたミックは
 お気の毒としか言い様が無い・・・)



この過程を経て迷いを捨て
ボヴ&クリスティンの双頭
体制に特化した彼等は、
『Mystery to Me』
と云う傑作アルバムをモノにする。

前3枚と比較して格段に完成度、トータル
バランスの向上した名盤中の名盤は
ボヴの『Emerald Eyes』、クリスティンの
『Keep on Going』、YARD BIRDSのヒットで
グラハム・グールドマン10cc)作
『For your Love』の秀逸なカバー等々を
含んでいながら、ビッグ・セールスには
至らなかった。

しかしながら、凸ヤマは既にこの
『Mystery to Me』製作時点で
翌々作『FLEETWOOD MAC』バカ売れの
種は蒔かれた、と考えて居る。

ミックとジョンのリズム隊は、ブルース・
バンド出身の割りに非常に柔軟で、
(御二人共に、あましスタンダードな
 スタイルのPlayerで無いw)
あくまで楽曲の演出重視でプレィヤビリティ
には余り拘らない、と云う美徳を持つ。

売れないながらも、良いソングライターの
楽曲を高い完成度で仕上げるプロ意識、
と云うスキル集積と、ピーター・グリーン
『Black Magic Woman』のバンド、的な
イメージからの脱却
(そこのアナタ!アレをSantanaの曲だと
 思ってたんぢゃ無いでしょうねッ!
 ついでを云えばJUDAS PRIESTファンの君!
  『Green ManaLishi』Fleetwood Mac
  の曲だからなッ!w)
には充分な時間が費やされ、売れる売れない
は些細なキッカケに過ぎない状況が既に
現出して居た、と言える。
(妖精と云うより、ビッチ感満載の
 スティヴィー・ニックスがエロかった、とか
 リンゼィ・バッキンガムの声が歴代で
 一番、一般チャート受けに無難な声だった、
 とかの理由しか無いと思う)

その傑作『Mystery to Me』
上記の大ブレイクの狭間に、実は
全く注目度の低い1枚のアルバムが
ボヴ・ウェルチ主導で遺されて居る。
『HEROES ARE
     HARD TO FIND』

がそれだ。



これまた、小生には
殊更に忘れ難い作品である。
心血を注いだ自信作『Mystery to Me』
でもビッグ・セールスに結びつかなかった
彼等の妙な達観と言うか諦観が
セピア色のジャケットと相俟って
誠に特異な才能の持ち主だったボヴ
の世界観を前面に押し出し、
ミックとジョンのリズム隊技量を
フルに発揮した傑作だ。
このアルバムは、ほとんど『売れたい』
意識が感じられず、妙にクリスティンの
存在感も控えめ。

このアルバムでバンドを去るボヴは
何を思ったか
『HEROES ARE HARD TO FIND』
で培った方法論を推し進める
為の土俵をハードロックに置き、
ex.JETHRO TULLグレン・コーニック
と共にPARISと云うトリオを結成。
『Black Book』と云う傑作曲
と2枚のアルバムを残すが、如何せん
彼のギター・スタイルでトリオ・ハード
ロックは・・・(ry 暴挙で在った。

やがて病み上がったボヴが
『HEROES ARE HARD TO FIND』時の
ひとつの到達点だった曲『Silver Heels』
のスタイルに立ち返り、ソロ作
『FRENCH KISS』から『EBONY EYES』
大ヒットを放ち、古巣Fleetwood Macの大成功
から独り取り残される事も無く、
一時の栄華を極めたのは救いであった。




後日談めくが、凸ヤマがこのバンドに
首までどっぷり浸かって居たのは
釜石で過ごした高校生時分で
(この影響から男女混成バンドに
 抵抗感が無くなり、此処まで全キャリア
 の8割を女性Vocalで歩む素地となった。
 当時小生のFleetwood Mac症候群に
 無理矢理付き合わされたメンバー各位
 に改めて此処で謝意を(ry)

未だブートレッグのライヴ盤とかに
接する機会が少なく、その時点では
気が付かなかったのだが・・・

長じて後
ボヴ時代のFleetwood Macのライヴを買い漁ると、
そこでアンコールに演奏される、定番として
不可避の
『Black Magic Woman』『Green ManaLishi』
『Oh !Well』と言ったボヴ加入前の代表曲が
驚く程自然と云うか、ボヴのスタイルに
ハマって居て、却って戸惑った。

そうして観ると、加入時の先輩だった
ダニーのスタイルを学んで
『Future Games』を書いたのと同じく、
自分の在席時とは重複しないピーター・グリーン
のファクターをもボヴは貪欲に吸収し、
己のスタイルに反映させて居た事が判った。

或る意味、フロント・マンを入れ替えて
その都度バンドのカラーが変遷する
冒頭に述べた“James Gang方式”(
を採ったFleetwood Macの長い歴史を通して
必死にその統一を図り、整合性を持たせる
努力を続けたのは他ならぬ
ボヴ・ウェルチその人だったのでは
あるまいか?



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