釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:狂言 『釣狐』

2013-11-05 10:05:06 | 釋超空の短歌
先日、NHK・TVで狂言『釣狐』が放送された。

私は古典芸能についても全くの無知であるが、関心だけはあって、TVで放送される此の種の番組は時折視聴している。

もう何十年も前になるが、当時のNHK・教育テレビで、日曜日の午後7時頃からだったか『日本の芸能と伝承』という実に地味な番組が放送された。

それは日本各地に伝わる伝統芸能を其の土地の人々が継承している様子を記録するという、誠に「教育テレビ」ならではの番組だった。

この番組をみているのは私の近辺の家では私だけだろうと思いながら見ていたものだ。しかし私は毎週此の番組を楽しみにしていた。

今でも覚えているが、山形県の黒川能が紹介されたとき、その演者の一人が・・・勿論、その土地のお百姓さんか何かだろうが・・・神酒に酔っぱらったのかフラフラしながら舞っていた。

実に、土着ならではの舞ではあった。
其れは決して洗練されてはいないが、しかし本来の芸能の持っていたはずの土臭さは多分に残されていて、そういうところが此の番組の面白さであった。

そのような土着性を記録しておくというのが此の番組のコンセプトだったのだろう。 民俗学的にも貴重な映像記録として現在も残っているだろう。

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先般、『百年インタビュー』というNHKの番組で野村万作が出ていた。

狂言演者には『猿で始まり狐で終わる』という言葉があるようで、狐で終わるとは『釣狐』という演目を演ずることが、狂言演者として一応認められるという、狂言演者としての一つの区切りのようだ。

この番組で野村万作は、演者として『釣狐』の苦労さと其の魅力を熱っぽく語っていた。 この人は私は昔から知っているが、もう80歳を過ぎたという。私も歳とったわけだ。
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先日、私がみたNHK・TVの『釣狐』は野村万作ではなかったが、名前は忘れたが若手の兄弟によるもので、狂言特有のアノの突き刺すような鋭い発声も、若手らしく朗々としていて、それに耳傾けるだけでも快かった。

こちらの歳のせいか、この演目の前半の老狐の、或る種の「侘しさ」も何となく身に染みるものがあった。

狂言は快活な笑いを生命とする芸能だが、この『釣狐』には、もっと別な何かがある。

また能とはまた違う「何か」がある。

能の世界は或る意味で高尚と言えるかと私は思うが、この『釣狐』には我々庶民レベルの凡庸さと其れへの侘しさが表現されている。

快活な笑いというより、侘しい苦笑いである。

恐らく此の苦笑いは或る歳を越えた人には誰にでも内心感じているものだろう。

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