釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:映画『冒険者たち』(1967年、ロベール・アンリコ監督)

2013-05-25 09:37:44 | その他の雑談
かなり前に観ている映画だが、断片的にしか覚えてないので、一応録画しておいたのを観た。映画好きなら誰でも知ってるだろうからストーリーは省略。

もはや若くはない男二人と女一人の、夢と友情のお話。男女の仲が、どうのこうのという鬱陶しいモノとは無縁な一種の御伽噺である。

小難しい理屈もなく、ケレン味もなく、かと言ってハリウッド映画のヤボな説教臭さもなく、さらりとした気持ちよい余韻が残る。フランス映画らしい品の良さも心地よい。

アラン・ドロンの甘さが、リノ・バンチェロの渋さにうまく溶け込み、ジョアンナ・シムカムの内向的な控えめさと混合していて、それが、かれらの友情の透明さとなっている。

観る者に一陣の心地よい薫風を感じさせる佳品である。ラストの結末も、かれらの友情の証(あかし)であり、人間嫌いな私も、かれらが好きになるのであった。残念ながら映画の世界だが。

雑談:弦楽四重奏曲第八番(ショスタコーヴィチ)

2013-05-21 14:32:43 | その他の雑談
なにしろ十五番まであるのだから、何番から聴いたらよいのか迷う。
CD全集には簡単な解説書があるが此れも、ほとんど読んでいない。以前ラジオを聴いていたら第八番が誰だかのリクエストで放送されていた。そこで第八番を聴く。

この曲は1960年夏に作曲され、献呈文には『ファシズムと戦争犠牲者の思い出に』と書かれている。私は音楽によらず芸術関連は解説書は読まないことにしているので、上記二つの事を知っただけで充分。後は聴いて自分なりの感想を頭にめぐらせばよいだけ。別に義務で聴いているわけではないのだから。

私は今まで生(なま)の演奏会は数度しか行ったことはない。その理由は要するに出不精だからだが、私の音楽的聴覚は生(なま)でもCDでも区別が付かない程度の雑なもの。だから、わざわざ演奏会まで足を運ぶのも面倒だし、それに私は人混みを好まない。私は音楽にしろ映画にしろ何にしろ私は一人で楽しむほうが気楽だし性(しょう)にあっている。

随分昔の話だが、私の友人からN響のチケットをもらったことがある。私はその頃は東京の家内の実家に住んでおり、演奏会場も近いし、友人の善意を無視するほど私は悪党でもないので、珍しくも出かけた。そのとき演奏会場で、実は私はショスタコーヴィチその人を見たのだった。演奏曲目はショスタコーヴィチの『森の歌』だったと記憶している。この曲が終了した直後、ショスタコーヴィチが舞台の袖に姿を少しの間見せた。

私は演奏会場の二階席の後方だったのでショスタコーヴィチの詳細な姿は判別できなかったが、かなり老齢だとは分った。恐らく最後の来日だったのだろう。

歴史上の人物で、その生(なま)の姿を目撃できたのは私はショスタコーヴィチだけである。
歴史上の人物で、その生(なま)の姿を見たいと思う人物は私は森鴎外と織田信長である。遠くからでも眺めてみたい気がする。

音楽の感想を書きたいのだが、残念ながら私は、その語彙を知らない。だから、こんな雑文だけになる。情けない話である。尤も、ショスタコーヴィチの音楽の感想を無理して文章化する必要はない。なにかの暗喩として書けるかもしれないが、少なくとも今は其の気にはなれない。

雑談:『交響曲第七番』(ショスタコーヴィチ)

2013-05-16 10:43:04 | その他の雑談
久しぶりにCDで掲題の曲を聴く。

私の絵遊びは時間がかかるのである。ボロイPCとプログラムの貧弱さと理由はいくらでもあるが、当方は時間は腐るほどあるのだから (あ~、在職中には此れを何度夢みたことか!!) いくら時間がかかっても構わない。文句を言う人は誰もいない。まさに天国である。しかし人間てやつは贅沢なもので (と一般化すると語弊があるが) いざ天国が到来すると又アレコレと別の不満を見つけるのである。

ここで私は現在が昔夢みた天国であることを自覚せねばならない。
ということで、好きな音楽を聴くことにした。我がPC君はセッセと今仕事してくれている。なにしろ今回の絵は一枚30時間程度かかるのだ!!

なにを聴こうか。ヤワなヤツは今は聴く気がしない。シャッキとしたヤツが聴きたい。
ということで掲題の音楽を聴くことにした。この曲は「戦争交響曲」と言われる三部作の一つであるが、第一楽章から、いきなり、まさに「戦争」である。およそ甘さとは無縁の大音響の世界。映画監督フェデリコ・フェリーニの映画にフェリーニ的喧騒があるように、ショスタコーヴィチ的喧騒がある。その喧騒が、いきなり、おっ始まるのだ!! (これが実に快いのは言うまでもない。でなかったら始めから聴きはしない)

しかし、この喧騒は一瞬に静寂へと変貌する。フェリーニの映画もそうであるように。
この静寂さが、また、たまらない。嵐が一瞬静まり黒い雲の中から光が射してくるような実に微妙な静寂さなのだ。

私はショスタコーヴィチはG.マーラーから入った。マーラーのあの死の隣り合わせの、換言すれば天国的な静寂さに私は惹かれに魅かれ、レコード盤が曲がるほど聴きまくったものだ。

が、ショスタコーヴィチの静寂さはマーラーの静寂さとは根本的に違うことに私は始めから気づいていた・・・なんて書くと我ながら生意気だが、本当にそうなのだ。

私は音楽言語は全く無知蒙昧だから下手な文章で表現するしかないが、ショスタコーヴィチの静寂さは死の隣り合わせでも天国的ではない。研ぎ澄ました刃の静けさなのである。スターリン圧制が如何なるものであったか、その一端はタルコフスキーの映画でも伺い知ることが出来るが、その静けさは確かに死臭がする。

が、決して醜くくはない。
嵐の後の一瞬の「レンブラント光線」の静寂さ。 
この嵐と光線の絶え間ない、せめぎあい。

この緊張感こそショスタコーヴィチの音楽の私における魅力であり、その緊張感は私の或る精神状態のときには、なによりも私をして元気づけるのだ。

雑談:映画『勇気ある追跡』(1969年、ヘンリー・ハサウェイ監督)

2013-05-15 11:09:15 | その他の雑談
BS放送で録画しておいた掲題の映画を昨日面白く観た。
確か私は此の映画は以前も観ているのだが『3度泣けます』ではないが、『2度も楽しめます』の映画だった、私にとっては。

ストーリーは単純で (大体、佳品は、全てそうである) ここに書くまでもない。
映画サイトでみれば山ほど感想文が載っている。
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私は最近TVでの日本語が聞き取りにくくなっている。聴覚検査は定期的に受けているから、(それは周波数特性だけのものだが) 両耳とも異常はない。だからTVでの発言者の声は確かに聞こえるのだが (アナウンサーの発音は訓練されている故が私は良く理解できる) 邦画の役者の声は概して聞きとりにくい。モグモグと喋ってるのだが何を言っているのか分らないことが多い。役者達の発声の仕方に問題もあるのだろうが、又当方の加齢による発音認識機構の衰えもあるに違いない。

いずれにしても、そういう点から日本語 (←当然の話だが) 字幕付の映画のほうが私は観易く重宝である。。しかし、先日観た邦画は (題名は忘れたが面白かった) 役者のセリフは良く聞き取れたので録音等の技術的問題もあるのだろう。
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この映画に登場する15,6歳のコマッチャクレタ少女が好演していて話を面白くしてしていたが、この少女役の人 (調べたらキム・ダービーという役者さんだった) はアカデミー賞の助演女優賞か何かもらっているんじゃないかと思ったら違っていたが、ともかく彼女は光っていた。

ジョン・ウェインは相変わらずのヌーボーとした、ケレンみのない好演であった。アカデミー主演男優賞を此の映画でもらっているが、確かに良い意味でのハリウッド西部劇特有の単純にして素朴かつ大雑把さを彼は体現していた。即ち---

屁理屈等およそ無縁な、(恐らくアメリカ人の大衆が最も好むであろう)、『いささか軽薄ではあるが、なによりも行動する「良き」人』を彼は此の映画に限らず演技し続けたきたのだと私は思うのだが、この映画の賞は、そういう彼への功労賞とも言えるのであろうか。

愛すべき「ジョン・ウェイン」よ。そういう意味あいがあったのではなかろうか・・・

ともあれ、ジョン・ウェインが乗った馬は小さく見える。さぞかし馬もシンドイだろう。

雑談:『されど我らが日々ーーー』(柴田翔)

2013-05-07 15:35:06 | その他の雑談
これは私が読んだ唯一の芥川賞受賞の小説である。文芸春秋に掲載されていた此の小説がいつ発表されたかは、確実に思い出せる。

というのは、大学2年の春から翌年1月まで私は家庭教師をしていた。
当事、 (現在も在るのどうか知らないが、目黒、蒲田間を走っていた) 目蒲線での電車の中で、当該雑誌で読んだのだった。

私は目黒から、その電車に乗っていたのだが、バイト先は終点:蒲田の一つ手前の、確か「矢口の渡し」という小さな駅で下車し、徒歩数分の所だった。今思えば、まさに「3丁目の夕日」だかに登場しそうな昭和の狭い商店街を通ったものだ。

私は今でもそうだが面白くない本は直ぐ放り出す。この小説は私は終わりまで読んだのだから面白かったのだろう。この小説に登場する人物たちは、60年安保闘争に挫折した若者達だが、語り手である「私」の友人達は全て自殺し、小説の内容は、その遺書から成立していた、と記憶している。 

芥川賞選定委員の間で此の小説が芥川賞にするかどうか議論されたとき、多くの委員が此の小説の、類型さ・・・つまり余りに多い自殺者の登場が問題にされ、賞の候補に値しないと評価されたとき、石川達三が此の小説を擁護したという。その理由は此の小説には、まぎれもない青春が描かれている、と強く擁護した・・・ということを私は此の雑誌に書かれていた芥川賞選定理由で読んだ記憶がある。

60年安保闘争と言えば、私より先輩にあたる学生運動家達になるが、此の小説を読んでみれば、ここに登場する学生達の挫折感には、なるほど私も共感するものもあり、石川達三の此の小説への評価には私は好感がもてたものだった。

私は、いわゆるノンポリだったが、私の学生時には未だ学生運動は盛んで大学には「立て看」が並び、例の安田講堂攻防戦が始まる頃であり、私は此の小説を或る切実感を持って読んだものだった。

私の友人に、理系にも関らず、いつも文庫本を読んでいる男がいて、その友人に此の小説が面白かったと告げたら、彼は未だ読んでいなかったらしいが、「福永武彦の『草の花』みたいだな。」と言ったことを私は今でも覚えている。

この小説は石川達三の評するように、確かに「青春の時期」が描かれていたと私も思う。しかし今振り返ってみると、その青春には、たとえ自殺する煩悶があるにせよ、やはり若さという何よりも換えがたいモノがあったはずであり、きつい言葉になるかも知れないが、そのような青春は甘いと、今の私は言わざるを得ない。
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当時私は「3丁目の夕日」をあびながら、バイト先へと通っていたが・・・確か、毎週、木曜日だと記憶しているが・・・、私は、そのとき、いつも、ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』が私の頭の中で響いていた。これも私の青春の一時期に違いなかった。

この『されど我らが日々ーーー』の巻頭言には次のアポリネールの詩が掲載されていたのも覚えている。
  思い出は狩りの角笛 風の中で声は死にゆく