釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

83 『曇る日の・・・』

2013-03-30 16:19:20 | 釋超空の短歌
『曇る日の 
 まひる と思ふ空の色
     もの憂き時に、
         山を見にけり』
***
幼い私と従兄は、私の母方の祖母に連れられて、近くの里山へ山菜とりに行ったものだった。そこは里山と言うより森と形容したほうがよい森閑とした深い緑の木立が密集した場所だった。 私たちは祖母の後について、その木立の中を分け入り山の奥へと進んだ。決して大きな山ではなかつたが、奥に進むにつれ或る霊気のようなものが私たちを包んでいた。それは木々が発散する冷気であり匂いであった。ともかく私たちは或る幽(かすか)な静寂さの中へと入って行った。そのとき、幼い私は或る自覚があった。山には精霊がいる、と。
***
私は、あのときの、あの体験が現在も、ふと、よぎる時がある。
例えば、私の部屋の窓から見える木が微かな風に揺れているとき。
あるいは晩冬の薄雲に陽の翳りが見えたりするとき。

雑談:『明暗』 (夏目漱石)

2013-03-28 09:18:29 | その他の雑談
私は夏目漱石の小説は、人並み程度に一通り読んでいる。
盛んに読んだのは二十歳前後だったが、実はその頃は『硝子戸の中』は読んでいなかったと思う。その頃は『明暗』が一番面白いと思った。

ご承知の如く『明暗』は未完の小説だが、私はこの最後の小説が気に入ったものだった。正直に言うと『明暗』以前の小説は私は退屈だった。漱石ぐらいは一応読んでおこうという滑稽な義務感から私は我慢して読んでいたものだった。

元来、私は長編小説は好まない。私には漱石の小説は長編に属するのだ。
しかし『明暗』は未完にも関わらず文庫本2冊分の小説だが、私は稀有にも退屈せず一気に読み通した。何が面白かったのか? 私が大変面白いと思ったのはストーリーなどではなく登場人物の会話のやりとりだった。それは登場人物の心理・性格描写になるのだが、それが面白かった。 

この会話のやりとりの面白さは、映画『丹下作善余話 百万両の壺』の会話のやりとりの面白さに通ずる。 つまり登場人物の会話が、私流に言えば、生きているのだ。
森鴎外の小説( 但し後期のもの )に言えることだが、この『明暗』に登場する女性達は、実に闊達で、まさに生き生きとしているのだ。それに比べて登場する男性たちは概して影が薄い。

いずれにせよ、私は『明暗』の登場人物たちの会話が大変面白かった。
ここで面白いというのは可笑しいという意味では勿論ない。「生き生きとして闊達だ」という意味だ。

『明暗』は未完だが、水原美苗の『続明暗』も私は読んだ。漱石の文体がそのまま引き継がれて、その芸には私は感服した。この『続明暗』も面白かった。
***
此の「明暗」は再読しようと思いつつ、今や何十年も過ぎてしまった。
いずれ (と言っても何時になるか分からない) 又読もうと思っている。
私に残された時間も気力も充分とはいえない。
だから結局再読しないでオサラバするかも知れない。

雑談:『硝子戸の中』 (夏目漱石)

2013-03-28 09:16:24 | その他の雑談
『硝子戸の中』を初めて読んだのいつ頃だったろうか。学生時代ではなかったように思う。ということは会社勤めの合い間に読んだということになるが、私は会社の休暇ときには仕事関連の知識吸収をするのが精一杯だった。だから、休暇の僅かの時間に気分転換として、この『硝子戸の中』を読んだのだと思う。

これは小説ではなく39章からなるエッセーである。文庫本で一章が長くて数頁程度だから、辛い仕事の知識吸収の合い間の気分転換に読むには適宜なエッセーだった。
このエッセーを初めて読んだときには特に惹かれたわけではなかったが、何度か読み返すうちに、だんだん惹かれていった。

私は同じものを繰り返して読む癖がある。その癖により私はこのエッセーは今まで少なくとも10回は読んでいる。そんなに読んでいる理由の一つには、私の大好きな章がこのエッセーの中にあるからだ。それは3章だ。

漱石という人は犬や猫や鳥が好きらしい。というより、人間が嫌いで、その反映として犬や猫や鳥に親しみを感ずるようなタイプの人のようで、私は、そういう人が実は好きなのだ。私はそういうタイプの人に惹かれる。犬や猫や鳥が嫌いという人間は、私は、それだけで、その人間を好きになれない。嫌いである。顔を見るのも嫌である。

この3章は、漱石が知人から貰った小犬 (たぶん捨て犬の類の何の変哲の無い言わば駄犬 )の思い出を語っている。漱石宅に貰われてきた子犬は病死するのだが、この経緯を淡々と語る漱石の文章は感傷とは全く無縁であり、それだけに行間から漱石という人の温かみが滲み出ている。私はこの章の漱石という人を敬愛する。

以下は私の最も好きな文章であるので引用しよう。漱石はこの子犬の名をヘクトーと名づけたいた。
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車夫は筵の中にヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近付かなかった。白木の小さい墓標を買って来さして、それへ「秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家のものに渡して、ヘクトーの眠ってゐる土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北に當って、ほゞ一間ばかり離れてゐるが、私の書斎の、寒い日の照ない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒らされた裏庭を覗くと、二つとも能く見える。もう薄黒く朽ち掛けた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々しく光ってゐる。然し間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼に付かなくなるだらう。    
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ここには孤独な漱石の姿がある。硝子戸のうちから、庭の片隅に埋められた犬や猫の墓を黙って見つめている漱石。 
そういう漱石という人の姿を、私は遠くから敬愛をこめて眺めているーーーー
そういうことを私はいつも想像する。
孤独な漱石を遠いか見ている私。 それを想像する私。その想像は私を平穏にする。
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『硝子戸のうち』の全章に通低しているのものは、漱石の諦観だと私は思う。
このしみじみとした静かな諦観に挽かれて私は、いつのまにか、何度も読み返している。私の憧れとしての漱石の静かな諦観。 
このエッセーの最後の39章の最後の一節も私は好きだ。それも引用しておこう。
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まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思ひ出したやうに九花蘭の葉を揺かしにくる。猫が何処かで痛く噛まれた米噛を日に曝して、あたゝかさうに眠つてゐる。先刻迄で護謨風船(ごむふうせん)を揚げて騒いでゐた子供達は、みんな連れ立つて活動写真へ行つてしまつた。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放つて、静かな春の光に包まれながら、恍惚(うっとり)と此の稿を終わるのである。さうした後で、私は一寸肱を曲げて、此の縁側に一眠り眠る積りである。
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夏目漱石に『文鳥』という短いエッセーがある。
この佳品も『硝子戸の中』の一篇と私はみたい。
家人の不注意により死んだ小鳥を見つめる漱石の視線は、庭の片隅に埋められた犬や猫たちへの死線と同じに私には思えるからだ。

この『文鳥』は下記のURLで読める。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/753_425..

雑談:『1杯のかけそば』

2013-03-27 16:49:04 | その他の雑談
私がNEC主催のPC-VANに盛んに書き込みをしていた頃、『1杯のかけそば』という作文が、どういうわけか大いに話題となった。後に、これがある作家の小説だと知り、私は少々唖然とした。確か、この小説なるものがPC-VANに転載され、私はそれを読んだ記憶があるからだ( 著作権に抵触するのかどうか、その辺は知らない )。

小説の素人の私が読んでも、これは小学生あたりの出来の悪い作文にしかみえなかった。なぜ、こんな詰まらない話が、かくも話題になったのだろう。この「作文」は社会現状にも発展した。以下はWikipediaでの記載である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9D%AF%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%9D%E3%81%B0

映画化もされたそうだ。私は露骨( と、あえて言おう )な、このテの「美談」は好まない。
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昔々の映画だが、「3度泣けます」と宣伝された親娘悲話の映画が流行した。
「悲しい運命な」母親役は常に三益愛子で、子供役は・・・確か白鳥ミズエだった。東映チャンバラ映画に夢中であった私も、流石に、この「お涙頂戴」映画には辟易していた、というよりハナからバカにしていた。

そもそも悲劇・悲話というものは、それが露骨に表現されると笑劇、というより莫迦莫迦しくなる。その典型が『1杯のかけそば』であった、私にとってはネ。
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カケソバと言えば私には懐かしき思い出がある。私の両親は映画好きであった。私がチャンバラ映画に夢中になっていた頃だから昭和24,5年頃だが、この頃は私の両親と妹と一緒に町の映画館にセッセと通っていたものだ。それも夜の部に限っていた。映画が観終わると必ず近くのソバ屋により、一番安いカケソバを4人で食ったものだ。実に旨かった。1杯30円だったと記憶している。あの頃の我が家の生活水準は、まぁ中の下ぐらいのところだろう。細いネギを細かく切ったヤクミだけのカケソバだったが、私には大変なご馳走だった。ラーメン( あの頃はシナソバと言った )は50円だったと思う。このシナソバは正月、母の実家で食べるのが習慣だった。
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てな我が懐かしき記憶があったものだから、『一杯のかけそば』に私は同情してもよかったのだが、なににせん、この作文はあまりに野暮すぎた。もし、この作文いや小説に感動した諸氏がおられたら、スイマセンです。
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ところで白鳥ミズエ嬢は私と同じ位の年齢だったから、もし御健在なら、今や良きお婆ちゃまであろう。

雑談:漱石と鴎外:死について

2013-03-26 08:19:26 | その他の雑談
以下は私の勝手な感想である。
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夏目漱石の『硝子戸の中』を漱石の内面的な自伝とするならば、森鴎外の『妄想』は鴎外の内面的自伝と言えるかも知れない。自伝というのが大げさなら、彼らの内面の一部の告白だと言い換えてもよい。いずれにせよ、それらのエッセーには彼らの死についての思いが語られている。ここで語られている彼らの死についての思いも、真正面に論じられているものではなく、言わば余談として語られている。
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余談であるにせよ、漱石や鴎外という巨人の言葉であるから、我々にとって彼らの思いは重みはある。そして、この巨人たたちの死についての感想に在る共通点があるのは私には興味ぶかい。彼らの死の感想は恐らく日本人の死生観の本質を代弁しているように私には思える。
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先ず漱石は『硝子戸の中』の8章で以下のように書いている。

『不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつゝある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死といふ境地に就いて考えている。さうして其の死といふものを生よりも楽なものだとばかり信じてゐる。ある時はそれを人間として達し得る最高至高の状態だと思ふこともある。「死は生よりも尊い」』 と書き出している。

そして、その最高至高と思われる死へと踏む切れぬ理由として挙げていることは、この世で何千年と続いている『如何に苦しくとも生きるべきだ』という慣習だと言うのである。
(正確には本書の該当章を読んで欲しい)

漱石の願望する死への抵触するものは、いわゆる宗教教義でもなく、単なる『生きることが先決だ』という慣習に過ぎないというのだ。つまり、死に抵触する何物も漱石は見出していない。

私流に漱石の死生観を言い換えると、我々は生に意義があるから生きているのでなく、単に慣習として、本能として生きているに過ぎない、ということになる。そもそも、人間以外の他の生物は自身の生に意義をみつけて生きているのだろうか。そうではあるまい。無意識の本能に従って生きているに相違ない。例えて言えば、地上に投げられた石が地面へと落下していくように。
人間もその例にもれない。漱石の死生観を突き詰めればそうなる。生きている、ということに対する漱石の苦悶は恐らく其処にあったのだろう。漱石の正直さは其処にある。その漱石の苦悶があればこそ則天去私という境地へ行ったのかもしれない。
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一方、鴎外は、西洋の『自我』というモノの自身の不在に、痛切に心の空虚を感じ、いわれもない寂しさを覚えると語り、自身の死について以下のように『妄想』で書いている。

『自分には単に我(われ)がなくなるというだけなら、(死は)苦痛とは思われない。ただ刃物で死んだら、その刹那に肉体の痛みを覚えるだろうと思い、病や薬で死んだら、そそれぞれの病症薬性に相応して、窒息するとか痙攣するとかいう苦しみを覚えるだろうと思うのである。自我がなくなるための苦痛はない。』

又こうも書いている。
『(自分がしんだら)二親がどんなに嘆くだろう。それから身近種々の人ことも思う。どんなにか嘆くだろうと思う』

鴎外は自分の死に対して懸念しているのは『自我の喪失』ではなく、自分の係累の嘆きであり、更に言えば死に伴う肉体的苦痛だけなのだ。そして

『自分は人生の下り坂を下っていく。そしてその下り果てたところが死だということを知っている』という、言わば乾ききった感想である。ニヒリズムでもなければペシニズムでもない。冷徹な科学者の眼である。鴎外は以下のようにも言っている。

『私の心持をなんという言葉でいいあらわしたらよいかというと、resignationがよろしいようです。私は文芸ばかりではない。世の中のどの方面にもおいてもこの心持でいる。それでよその人が、私のことをさぞ苦痛しているだろうと思っているときに、私は存外平気なのです。もちろんresignationの状態というものは意気地のないないものかも知れない。そのあた辺は私のほうで別に弁解しようとは思いません。』

鴎外という人は、『人生の下り坂の果ての自身の死』についてもresignationという心持の乾いた眼で見つめていたようだ。
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私は漱石にも鴎外にも共感できる。一人の日本人として。