釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

55. 『 しづかなる秋のひと日や・・・』

2011-09-30 14:26:09 | 釋超空の短歌
『 しづかなる秋のひと日や。
    うつらうつら さびしき音を 聞きとめて居り 』
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スモーク・ツリー(smoke tree)という樹をご存知だろうか。

私の部屋の窓から、その樹が真正面に見える。落葉樹だから、今、葉を落としつつある。この樹は初夏頃、綿を緩(ゆる)く丸めたような、モヤモヤとした花を付ける。

その時のこの樹を遠くからみると、確かに、樹の中から煙が立ち昇っているように見えなくもない一風変わった樹だ。結構大きくなる樹で、私が見ている樹は高さは10mを超えているだろう。

この樹の枝葉の隙間から秋空が見える。先ほどまで、背後に太陽を隠した鈍い銀色の雲が、一面、空を覆っていたが、今は、その雲も切れて、一筋の長い白雲に変わっている。

『背後に太陽を隠した鈍い銀色の雲』。 芥川龍之介の短篇で、この状態の空模様を彼らしい、江戸小物細工のような凝った表現をしていたのだが、残念ながら、その短篇を思い出せない。

この秋の空を見ていると雲の形は徐々に自在に変わっていく。

フラクタル幾何学という、ものの形態を調べる幾何学があるが、この秋の空の移りゆく雲の形態をボンヤリと見ていると、なるほど、自己相似状になっていることが分かる。

部分が全体に、なくとなく相似になっていると同時に、全体が、その中の部分となんとなく相似になっているのだ。

・・・とかなんとか思いながら、『しづかなる秋のひと日』を私は、『うつらうつら』過ごしている。

では『さびしき音』はなんだろう。

私は、それは、『過ぎ行くときの流れ』として、音もなく聞こえてくるのだ。

54. 『山人の娘の 市にうられ来る・・・』

2011-09-29 13:51:23 | 釋超空の短歌
『 山人の娘の 市にうられ来る ともしき年も、過ぎにけらしも 』

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私が持っている本を見ていたら、このうたに出合った。

このブログの9/20付けの記事

『50. 雇はれ来て、やがて死にゆく小むすめの命を見し。これの二階に 』

で書いたことと、掲題のうたが関連ありそうなので、ここに、このうた挙げた。

このうたの私の感想・妄想・迷想は、50.に書いたことと全く同じだが、

これらのうたが歌われた当時、現実に『娘売り』があったことが、掲題のうたから証明されたように思う。

それはともかくとして、掲題のうたの『ともしき年』とはどういう意味だろうか。

例によってネットで調べてみた。

すると、下記の注意書きがあった。
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(注)「ともしき」という言葉は、
      [乏し・羨し]という形容詞です。

      ①めずらしくて心ひかれる
      ②うらやましい
      ③物事が満ち足りない状態である

      (広辞苑 第六版 岩波書店より)
-------------------------------------------
察するに、『ともしき年』とは、『③物事が満ち足りない状態である年』と解釈できそうに思える。 つまり『飢餓の年』ということだろう。

それゆえに、『娘が売られる』という状況が、『山間の僻地』では発生したのだろう。

今では想像できない状況が、ほんの何十年か前には現実にあったのだ。

日本は確かに豊かになった。それは物質的にだけさ、と片付けるのも尤もなことだが、

しかし、物質的豊かさの支えのない精神的豊かさ云々は、得てして机上の空論になりやすい。

事実、釋超空の、掲題のうたや50.のうたは、日本が物質的に貧しかったときの状況を踏まえな

ければ、そのうたの理解は、それこそ机上のものだけに終わるだろう。

53. 『 水底(みなそこ)に、うつそみの 面わ 沈透(しづ)き見ゆ・・・』

2011-09-28 11:54:08 | 釋超空の短歌
『 水底(みなそこ)に、うつそみの 面わ 沈透(しづ)き見ゆ。
     来む世も、 我の 寂しくあらむ 』
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ちょっと気分転換するため、インターネットで『釋超空』を検索してみた。

そしたら、飯田眞という精神科医による『折口信夫 診断・日本人』と題された小論が出てきた。精神科医ということで私は興味を感じたのでダウンロードした。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/bungsono/shisoro/iida001.htm

この小論は旧かな文字で書かれている。してみると、この精神科医は、少なくとも戦前の人らしい。 で、『飯田眞』で検索してみると、『多次元精神医学』なる本の著者らしい。

http://www.iwasaki-ap.co.jp/2007/04/post_43.html

実は私はこのところ鬱状態。薬を山ほど飲んでいる。で、今は読書は全く駄目。
とりわけ数学(勿論素人向けの)の本を読みたいのだが、その気に全くなれない。

だから、こうやって、ここで、瞑想というより迷想遊びで気分転換をしているのだ。
釋超空のうたから勝手きままに何事かを連想し、頭の中を浮遊する。迷想の所以というわけだ。

確かに釋超空のうたには精神科医をして興味を感じさせる何かがありそうだ、ということは短歌にも精神病理にも素人な私でも、うすうす分かる。

たとえば掲題のうた。
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あたりを見まわすと、草むらだけが遠くまで広がっている。
「私」は何時(いつ)何処からここへ来たのか思い出せない。
「私」は誰であるのかも思い出せない。

いや「私」はずっとずっと前からここに佇んでいたような気もする。

意識が何だか戻ってきたように感じたら、どうやら「私」は井戸の中を覗いているらしい。井戸の中は暗くて底まで見えない・・・と「私」は思っているらしいのだが、ただ、その底には水があるようで、どういうわけか、「私」の暗い貌(かお)が、その水に映っていることだけは「私」は感じている。

今生の「私」が、今生ではない「私」を井戸の底の水の中に見ている。

「私」の今生と非今生の混濁とした融合。

52. 『 いにしへや、かかる山路に 行きかねて・・・ 』

2011-09-23 14:46:47 | 釋超空の短歌
『   いにしへや、
  かゝる山路に 行きかねて、
     寝にけむ人は、
   ころされにけり

   雨霧のふか山なかに
 息づきて、
 寝(ぬ)るすべなさを
   言ひにけらしも

 山がはの澱の 水(み)の面(も)の
   さ青(を)なるに
 死にの いまはの
    脣(くち) 触りにけむ   』
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このうたには下記の前書きが添えられている。

『ーー城破れて落ちのびて来た飛騨の国の上(じやうらふ)の、
    杣人(そまびと)の手に死んだ処。』

上(じやうらふ)とは国語辞典で調べると、『年功を積んだ上位の人』とある。
***
このうたの状況はこういうことらしい。

昔,飛騨の国の何処かの城の高位の女官が、戦いで敗走し、山へ逃げた。
霧雨の降る、その山で一夜を過ごそうとしているとき、「きこり」に殺された。

おそらく釋超空は、民間伝承探訪の旅の途中で、この逸話を土地の人から聞いたのだろう。 

その逸話に触発されて、このうたを作ったのではないか。

このうたの透徹にして透明な哀感は、まさに釋超空の世界だと私は思う。

特に以下の最後の箇所は、北原白秋が釋超空を評して言うように、『尋常人の鍛錬(たんれん)によっては得られぬ、不気味なほどの底から光って響いて来る』、或る幽鬼さをも感じさせないだろうか。

釋超空以外の人が、この不気味なほどの静謐な詩的イメージを表現しえただろうか。 素人ながら私はそう思う。

『 山がはの澱の 水(み)の面(も)の
   さ青(を)なるに
 死にの いまはの
    脣(くち) 触りにけむ 』

51. 『 奇妙なる人形ひとつ 時々に踊り出る如し・・・』

2011-09-21 11:41:07 | 釋超空の短歌
『 奇妙なる人形ひとつ 時々に踊り出る如し。我が心より 』
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『奇妙なる人形ひとつ』とは何だろう。

私は短歌のみならず文系一般の門外漢だから、例えば掲題のうたも、
私の連想にまかせて迷想すればコト足りるのだが( 事実今まで、そうしてきたし、それ以上のことは私には出来ないのだが )、ちょっと気になったので釋超空の年譜を見た。

私が持っている本には釋超空の簡単な年譜が載っているのだ。

釋超空は昭和28年9月に亡くなっている。

その昭和28年の箇所には以下のようなことが書かれている。

『(前略) 八月下旬、急激に衰弱し、錯覚と幻想おこる。九月二日胃癌と診断。三日午後、永眠。 (後略)』

『奇妙なる人形ひとつ』とは、上記年譜記載の「錯覚と幻想」に拠るものだろうか?

掲題のうたが、いつ作られたものか、私がもっている本では分からない。

短歌とは、おそらく他の芸術と同様に・・・作られた後は、所詮、作者から独立したモノであり、強いて言ってみれば、そのうたは各自の読者に委ねられるモノだと私は独断している。

だから、掲題のうたは、『作者の病状による錯覚と幻想』か否かは二義的な事柄だと私は独断して、いつものように迷想すればよいのだと思っている。

もし、今後、その気になったら、このうたも迷想してみよう。