釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『はじめての現代数学』(瀬山士郎著)

2013-08-11 07:49:00 | 非文系的雑談
講談社現代新書に掲題の本がある。

タイトルから分かるように、一般読者向けに書かれた現代数学の、文字通りの入門書であるが、なかなか、どうして、私はゲーデルの、かの有名な「不完全性定理」を此の本で私なりに理解できた。

「理解できた」と云っても「私なりに」であって、真に理解するには数学基礎論のドクターコースでも理解できるとは言えず、この道の専門家の竹内外史氏によると、プロの数学者でも此の定理を理解しているのは、世界広しと言えども数名だそうである。

私は此の定理を「理解」すべく、いろいろな集合論等の一般読者向けの本を読んできた。

しかし、それらの本の中で最もナルホドと納得できたのは掲題の本での解説であった。

この定理について知らない人はネットで調べるとよい。そこそこに解説している。

もし貴方が数学の素人で此の定理に関心があるならば、この本の第4章「形式の限界・論理学とゲーデル」を一読・・・と云っても、それなりの努力は必要だよ・・・してみるとよい。私同様に、ナルホドと思うだろう。

この世に生まれてきて知らずにあの世に逝くのは勿体ないモノは数々あれど、私に云わせれば此の定理もその一つであるんだよ。

雑談:オイラーの積の公式の話

2013-04-10 13:49:55 | 非文系的雑談
オイラーの積の公式とは以下の等式を言う。

1より大きい変数をs、正整数をn、素数をpとするとき、
1+1/2^s+1/3^s+1/4^s+1/5^s+1/6^s+・・・・+1/n^s+・・・・・
     ={1/(1-2^-s)}{1/(1-3^-s)}{1/(1-5^-s)}{1/(1-7^-s)}・・・・{1/(1-p^-s)}・・・・・・

このテの話に慣れていない人は上式を見ただけでウンザリするだろうが、この式が成立することの証明は、たぶん大学受験レベルの問題となるだろう。
***
『素数に憑かれた人々』(ジョン・ダービーシャー著、日経BP社)という本があって、この等式について面白いことが書いてある。著者は此の式の証明が書かれた数学の教科書を調べあげ、一番理解し易い証明方法を見つけたそうである。

そこで、一応、念のため、オイラーの原本での証明を調べてみたところ、なんとオイラー自身の証明のほうが遥かに簡潔で理解が容易であることが分かったそうである。

この本では此のオイラーの証明方法によって上式を証明・解説している。
それを読むとナルホド・ナルホドと大納得してしまう。このオイラーの証明は中学生でも容易に理解できるだろう。

著者は、こう書いている。
『原典に当たるに越したことはないとは、やはり真実である。』

これは一般的な教訓でもある。モノゴトを真に理解していない人間ほど、そのモノゴトを晦渋に説明する、という教訓である。

ちなみに、上式はsを変数とするζ(ゼータ)関数といって、知る人ぞ知る超難問:リーマン予想の主題の式である。上記の本はリーマン予想に関しての一般読者向けのお勧めの本である。

雑談:『雛』(芥川龍之介)

2013-03-26 07:44:24 | 非文系的雑談
今から20年以上も前になるが、PC-VANのBOOKS SIGに私は芥川龍之介の小説について盛んに書き込みをしていた。そんな、ある日、新参加者が現れた。

HNは忘れたが若い女性らしかった。彼女は芥川龍之介の『雛』が好きだと書き込んでいた。 私はその短篇を読んでいなかったので早速読んだものだ。

もう、あれから20年過ぎた。
『雛』についての当時の私や彼女の感想については忘れてしまった。

今日、芥川龍之介の何か短篇を読もうと全集をパラパラめくっていたら、たまたま『雛』が目についた。

私は上記の女性のことを思い出し、『雛』を再読した。
今やストーリーは完全に忘れていたが、面白く読んだ。

少女の心理描写の旨さは私は太宰治が筆頭だと思っているが、芥川龍之介の心理描写は、少女に限らず、これまた実に面白い。彼独特の美学が背景にあるからだ。

私はこの『雛』を読み終わって、PC-VANのかの女性は現在はどうしているんだろうと思いやった。

ネットでのプロヒールはアテにはならないのは今も当時も変わらない。
当時の彼女の実際は実は若くはなかったのかも知れない。
もしかしたら相当の年配者だったのかも知れない。
いや男性だったのかも知れない。

しかし今回久しぶりに『雛』を読んでみて思った。
PC-VANのかの人は、やはり若かい女性だったに違いない、と。

雑談:神の論理

2013-03-24 14:51:40 | 非文系的雑談
孫引きだが『神狩り』(山田正紀著)というSFに面白いことが書いてあるそうだ。

『全ての複合論理命題は∨(OR)と¬(否定)で構成できる』

ことは、このテの話に興味ある人なら誰でも知ってるだろうが、実は一つの論理のみで,∨(OR)も¬(否定も表現できるそうだ。仮に此の論理記号を | と表して、その真理値表で以下のように定義する。

A B A|B
0 0 1
0 1 0
1 0 0
1 1 0

試してみれば分かるが、なるほど∨(OR)も¬(否定)も | で表現できてしまう。
ということは、

『全ての複合論理命題は | という一つの論理で構成できる』

ことになる。この | は「神の論理」と著者は言ってるそうである。

暇な人は試してみるとよい。『はじめての現代数学』(瀬山士郎著)という本の、ゲーデルの話の終わりのほうで著者が確認している。

雑談:科学について

2013-03-01 11:34:38 | 非文系的雑談
『理性とは何か』という問題は私には手に負えない問題なので、それをタナにおいて、科学に問題を変えましょう。現代はまさに科学の時代ですよね。科学及科学技術は、好むと好まざると関わらず現代人の抗うことの出来ない、言わば『聖書』です。

現代においては学問とは事実上科学の別称ではないですか。
科学的手法こそ事実上、全ての現代の学問の研究手法ではないでしょうか。
だから現代においては、ゲーデルの不完全定理が提示している問題を考えるとき、その対象を科学に向けるのが最も現実的であり、机上の空論に終わらない議論になると私は思います。

では科学(的手法)とは何か? いわゆる科学(的手法)を重視する最初の人はガリレオですかね。ガリレオは自然観察において、理論のみならずと、その理論の正しさを証明する実験を重視した。また理論においては数学を導入した。ここらあたりは科学史の教科書にも載っていることでしょうか。

デカルトの方法序説には以下のことが書かれているそうです。
------------------------------------------------------
ものを学ぶためというよりも、教える事に向いていると思われた当時の論理学に替わる方法を求めた。そこで、もっとも単純な要素から始めてそれを演繹していけば最も複雑なものに達しうるという、還元主義的・数学的な考えを規範にして、以下の4つの規則を定めた。
1. 明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れない事。(明証)
2. 考える問題を出来るだけ小さい部分にわける事。(分析)
3. 最も単純なものから始めて複雑なものに達する事。(総合)
4. 何も見落とさなかったか、全てを見直す事。(枚挙 / 吟味)
-----------------------------------------------------
これは、まさしく科学(的手法)だと私は思います。だからデカルトとガリレオのいずれかが科学の父であるかということは不毛なことですので、上記のデカルトの手法が科学の手法だと、ここではしておきましよう。(余談ですが'80年代頃、デカルトの還元主義が徹底的に批判されて、いわゆるニュー・サイエンスが叫ばれたのですが、結局、現在は還元主義に戻ってしまっているようです)。

この科学(的手法)の成果は今更言うまでもなく大成功をおさめ、今や、この科学的手法が全ての学問をも制覇し、現代の人類の思考をも制覇し、人類にとって絶対的な存在になりました。言わば、現在の絶対的宗教とも言えるべきものは科学です。

科学(的手法)は私は素晴らしい手法だと思います。この『宗教』は、誰にも開かれており、人類の差別とは全く無縁であり、空疎な教義など存在しないし、科学における『正しさ』は誰にも検証できるし逆に誰にも検証できないモノは『正しくない』のです。
この科学(的手法)、いいかえれば、デカルト的手法の『公平さ』が、全世界に受けられたのは当然です。今や文明化とは科学化であることだっと言っても言いすぎではないでしょう。