釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『真夏の夜の夢』 (メンデルスゾーン)

2013-07-30 14:52:05 | その他の雑談
私は絵遊び中であるが、今や我がPC君たちが作業をセッセとやってくれていて私自身は今、暇だから雑文でも書こうか・・・・

というわけで音楽を聴きながら此れを書いている。
なんの音楽が良いか。このクソ暑い日には、メンデルスゾーンなんぞが良い。

そこで『真夏の夜の夢』を聴き流すことにした。

メンデルスゾーンって、いかにも天才というか、大秀才というか、音の流れに全く澱みがなく、スラスラと聴ける。

まるで冷やしソーメンを食ってるみたいで、特に此の曲は私には夏向きである。

大きな声では言えないが此の曲は図書館で借りたCDをダビングしたのであった。

この曲は5楽章からなるが最後の「結婚行進曲」は詰まんないから (私のCDプレーヤーは曲のプログラムができる。どのプレーヤーもそうだろうが。)とばして聴いている。

此の曲は、言うなれば、おとぎ話風で気持ちよい。
小難しい屁理屈とは全く無縁な世界で気楽に聴ける。
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いつだったか、だいぶ昔になるが、この曲を背景に、ちょっとした寸劇がTVで放送された。舞台は、いかにも童話の森と言った仕立て具合で、ピエロが登場したりした。

そのピエロが、どういうわけか、
『To-morow,and to-morrow,to-morrow』 と呟いた。

そしたら、どこからかクスクス笑う声が小さく聞こえてきた。
この寸劇には観客がいたらしい。その観客の誰かが忍び笑いをしたのだろう。理由は分からない。

確かに場違いなピエロの呟きではあったたろう。
そのピエロ役の人にも其の忍び笑いが聞こえたのだろう。
そのとき、キョトンとした顔をしていた。

いずれにせよ、この曲のすがすがしさは格別である。
森林浴をしているようである。
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さて、トコロテンでも食おうか・・・

雑談:『インド夜想曲』(アントニオ・タブッキ著)

2013-07-27 09:28:39 | その他の雑談
須賀敦子訳、白水uブックスの此の小説について今まで何回か感想を書いてきた。

だから我ながら好きな小説だなと思う。
やはり訳が良いのだと思う。

この小説は'89年に映画化もされていて監督はアラン・コルノー。   
大体、小説を映画化したものは詰まらないものが多いが、此の映画は原作の味を失うことなく、大いに私は楽しめた。 NHK BSで放送されるのを待っている映画の一つである。

訳文は誠に平易に書かれていて、晦渋でシュールで且つ形而上的な内容にも関らず、まるで童話を読んでいるような錯覚にとらわれる。

訳者の後書きも面白い。
その内容も紹介したいが面倒なので省略。
興味ある人は、或る意味で奇妙な此の小説を読んだ後、のんびりと後書きも読むとよい。

「ある意味で奇妙な此の小説」と私は書いた。
確かに奇妙であると言える。

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数学の位相幾何学の分野で『メビウスの帯』という有名なモノ(多様体)がある。

それは細長い紙きれの両端において片方の端を180度回転させて両端を張り合わせて出来るモノで、此れは数学的には裏も表も区別できない。

誰でも簡単に作ることができるから暇だったら作ってみるとよい。

此の、ねじれた輪になったモノを真ん中に沿って鋏で切っていったらどうなるか? 試してみると面白いだろう。

この小説の印象を例えるなら、此の『メビウスの帯』の奇妙さだ。

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「私」は、インドで失踪した「私」の友人を探しにインドを訪れる。

しかし「私」が見つけた友人は、結局、「私」。

ネタバレになりそうだから詳しくは書かないが、此の小説はミステリー小説というには余りに晦渋である。 (上に書いたように童話のように語られるのだが。)

訳者は『インドの深層とも言うべき事物や人物を自ら体験し』と書いているが、そうも言えるだろう。

インドの深層というより、人間の深層ないし闇と言い換えたほうが良いかも知れない。

但し、此の小説は上にも書いたように決して晦渋ではない。 童話と言ったほうが良い。

その童話に、インドの闇なり人間の闇を見つけるのは読者に任されている。

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以前の感想にも書いたと思うが此の小説の始めに次の文言が引用されている。

この文言は此の小説が如何なる物語であるか象徴していると言えるかも。

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夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。
彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。
                          モリス・ブランショ

85. 『いにしへや・・・』

2013-07-24 08:54:46 | 釋超空の短歌
当地では、ここ数日、鬱陶しい日々が続いている。

私は、ふと、釋超空の詩集を読みたくなった。
以下は私の好きな詩の一つである。

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 いにしへや、
かゝる山路に 行きかねて、
 寝にけむ人は
ころされにけり

 雨霧のふか山なかに
息づきて
寝るすべなさを
 言ひにけらしも

山がはの澱みの 水(み)の面(おもて)
 さ青(を)なるに
死にの いまはの
  唇(くち) 触りにけん

***
私は此の詩の、特に最後の連に、釋超空の特異性を強く感じる。

人によっては芥川龍之介の短編小説を連想するかも知れない。

此の人は芥川よりも翳が濃く、罔(くら)い。と私は思う。

 

雑談:『安井夫人』(森鴎外)

2013-07-22 13:42:15 | その他の雑談
今日は絵遊びをする気にもなれず、年来の原因不明の耳痛もあって、椅子に座りながらウトウトと眠ってしまった。

痛みを忘れるには其の痛みを我慢すべく目を瞑(つぶ)るしかないのである。
だからウトウトと・・・

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私は森鴎外の幾つかの小説が好きである。その中の一つが掲題の短編。

この感想を書こうと何か月前に読み返したのだが書くのが伸び伸びになっていた。

知っている人は知っている短編だからストーリーは省略するが、この短編で印象的なのは、後に安井夫人になる若き娘が、ためらいがちに自身の想いを『耳を赤くしながら』告白する箇所だろう。

鴎外の幾つかの小説には似た性質の女性たちが登場する。

その共通した点は、内省的な自律性と、内省的な献身性である。 
鴎外好みの女性たちだろう。

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『安井夫人』が求めていたのは結局何だったろうか。

鴎外自身が其れを問うている。『男性』を超えているのである。
 
案外、こういう女性たちは多く居ただろうし、今も居るだろうし、今後も居続けるだろう。

それが女性という存在かも知れない。

雑談:TVドラマ『日本の面影』(1984年、NHK)

2013-07-18 10:01:32 | 釋超空の短歌
だいぶ昔、NHKで『日本の面影』というドラマが放送された。

小泉八雲の『日本の面影』を踏まえたドラマであったが・・・私は此の本は読んでいないので正確なことは言えないが・・・この本のドラマ化というより、島根県・松江などでの小泉八雲と彼の家族の生活を描いた佳品であった。

TVドラマなるものを全く観ない私には珍しく大変面白く観たものだった。

このドラマで異色だったのは、ラフカディオ・ハーンを演じたのが、あの『ウエストサイド物語』のジョージ・チャキリスであった。

私は此の配役に最初驚いたものだが、意外にも実に適役で私は此のドラマを観ていくうちに私は彼に大変好感をもつようになった。

恐らく、『ウエストサイド物語』にも優るとも劣らぬ彼の代表作と言ってもよい好演だった。

小泉八雲の妻・小泉セツは壇ふみが演じたが此れも好演だった。
また脇役陣も芸達者が並び充実したドラマだった。

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このドラマをサイトで調べていると、ブログで紹介している人がいた。
それを無断で紹介しておこう。

http://marilyn-m.at.webry.info/201005/article_6.html

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このドラマは随所で、当時においても失われゆく『懐かしき日本の面影』が紹介されている。

私は谷崎純一郎の『陰翳礼賛』が好きだが・・・此れは、もう一度再読したい本の一つだが・・・、鯉住八雲は、日本の国の此の『陰翳』をこよなく愛したと言われる。

このドラマでは其の『陰翳』も映像化されており、未だ此のドラマを観ていない人は機会があったら観ても損はないと思う。

『風情(ふぜい)』と云う言葉自体、死語になりつつある此の国において、まだ其の残滓は残っているのであり、眼力のある人は其れを現在も発見できるだろう。
 
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そもそも『幽霊』のいない国は詰まらない国である。
それは断言できる。

なぜなら、そのような国は『光』が無いからだ。
『夜』がなくて、どうして『陽光』があり得よう。