釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

79. かくばかり さびしきことを・・・

2013-01-04 08:24:23 | 釋超空の短歌
『かくばかり さびしきことを思ひ居し 我の一世は 過ぎ行くかむとす』

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私がNEC主催のPC-VANに盛んに書き込みをしていた頃、『1杯のかけそば』という作文が、どういうわけか大いに話題となった。後に、これがある作家の小説だと知り、私は少々唖然とした。確か、この小説なるものがPC-VANに転載され、私はそれを読んだ記憶があるからだ( 著作権に抵触するのかどうか、その辺は知らない )。

小説の素人の私が読んでも、これは小学生あたりの出来の悪い作文にしかみえなかった。なぜ、こんな詰まらない話が、かくも話題になったのだろう。この「作文」は社会現状にも発展した。
映画化もされたそうだ。私は露骨( と、あえて言おう )な、このテの「美談」は好まない。

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昔々の映画だが、「3度泣けます」と宣伝された親娘悲話の映画が流行した。
「悲しい運命な」母親役は常に三益愛子で、子供役は・・・確か白鳥ミズエだった。東映チャンバラ映画に夢中であった私も、流石に、この「お涙頂戴」映画には辟易していた、というよりハナからバカにしていた。

そもそも悲劇・悲話というものは、それが露骨に表現されると笑劇、というより莫迦莫迦しくなる。その典型が『1杯のかけそば』であった、私にとってはネ。
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カケソバと言えば私には懐かしき思い出がある。私の両親は映画好きであった。私がチャンバラ映画に夢中になっていた頃だから昭和24,5年頃だが、この頃は私の両親と妹と一緒に町の映画館にセッセと通っていたものだ。それも夜の部に限っていた。映画が観終わると必ず近くのソバ屋により、一番安いカケソバを4人で食ったものだ。実に旨かった。1杯30円だったと記憶している。あの頃の我が家の生活水準は、まぁ中の下ぐらいのところだろう。細いネギを細かく切ったヤクミだけのカケソバだったが、私には大変なご馳走だった。ラーメン( あの頃はシナソバと言った )は50円だったと思う。このシナソバは正月、母の実家で食べるのが習慣だった。
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てな我が懐かしき記憶があったものだから、『一杯のかけそば』に私は同情してもよかったのだが、なににせん、この作文はあまりに野暮すぎた。もし、この作文いや小説に感動した諸氏がおられたら、スイマセンです。
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ところで白鳥ミズエ嬢は私と同じ位の年齢だったから、もし御健在なら、今や良きお婆ちゃまであろう。

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